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輪るピングドラム20話の眞悧についての考察

※ただのつぶやき。ネタバレ有りかも。

輪るピングドラム20話の眞悧についての考察。

陽毬に「恋が実らなくても100回キスができるんだからいいじゃないか」といニュアンスの台詞を言う場面がある。

そのヤケクソに似た諦めの悪さって結構おもしろい。
手に入らないって分かってる。ならせめてキスだけでもさせて欲しいっていう、めっちゃくちゃ諦めが悪い悪足掻きみたいな笑

「キスは無限じゃない、消費されちゃう」「追いかけない、疲れちゃうから」っていう陽毬のスタンスって徹底的に受け身だし、現状維持タイプだけど、眞悧は逆で、関係が壊れてもキスしたいし相手を追いかけてしまう。


「キスをするだけじゃダメ、キスは無限じゃない、消費されちゃう。果実がないのにキスばかりしてたらからっぽになる。からっぽになったらポイされる。」

これが陽毬の主張なんだけど、眞悧は「キスで消費されてからっぽになってポイされても良い。息ができなくなるまで100回のキスをできるんだから」という。

眞悧のスタンスちょっとヤケクソっぽいな。

私は桃果と眞悧の関係好きなんですが、ちょっと切ないですよね。
同じものが見える2人だけど、それで考えることが違っているから対立してしまう。
眞悧は自分と同じものを見ている桃果が運命の人で恋人だったけど、桃果はそれだけじゃだめなんだろうなあって。
なんせ好みが多蕗くんだし。ベクトルが違いすぎる。

でも私的に眞悧よりも桃果の方が不思議、というかこの世のものとして成立出来るのか?と思ってしまう。

眞悧には人間味を感じるしわからないことも無いけど、桃果には非人間じみた神聖さを感じる。
ここまで自己犠牲をして他人に尽くすなんて人間にはなかなかできない。
実際ただの人ではなかったんだろうけど、自分自身を焼き尽くしても他人を助けて行くスタンス、ピンドラの元の1つなんだろう宮沢賢治っぽいなあと。

長編短編問わず賢治の話には仏教的な自己犠牲や他愛が含まれてるので。


この2人結構好きなんだけど、報われない感じです。
まさに「逃げるものは追うものに決して果実を与えない」を体現してる。
桃果ちゃんが眞悧に対して一貫してドライ笑

でもこれが、世界を愛せるものと憎んでしまうものとの違いなのかもしれないですね。

おしまい。

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