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言葉の余韻

もう会えないのか。

そう考えると胸が苦しくなる。

私は地元のコンビニで働いている。今は大学4年生で、無事就活も終えている。

ただ、もうすぐ社会人になるので、コンビニのバイトも辞めなければならない。辞めるのは構わないが、気になる人がいた。

それはいつも夜に買いにきてくれる男性だった。ちょうど帰り道なのか、毎週買い物にやってくる。仕事帰りが多く、スーツ姿がほとんどだ。

買うパターンも決まっていて、アルコール類を2~3缶とカップラーメンやお弁当がパターンだ。明らかに一人暮らしの男性という感じだ。

年の頃は、30前後というところだ。

最初はよく来る人だなと顔を覚えていたくらいだった。

ある時、人手が足りなく、たまたまレジのお客さんが多かったとき、郵送のお客さんが続き、かなりお待たせしまうことがあった。こればかりは仕方ないが、その男性のレジの番がやってきた。

すると、機械の調子が悪く、レジがうまく作動しなくなってしまった。さらに待たせてしまった。そして、もう一台のレジに移ってもらったにも関わらず、慌てていたせいで、お釣りを盛大にこぼしてしまう。

さすがに申し訳ないという気持ちで、すみませんとお詫びする。普通なら怒りださないまでも、ムッとするか、優しい人ならいいですよって言うかもしれない。

彼はどれも違って「そんなときもありますよ」っと、この状況に対しても淡々としていた。

大したセリフでもないが、私にはその言葉が強く残った。

ちょうど、その日は嫌なことが続いていた。

午前中に、階段から滑り落ちて足を強くぶつけ、友人の彼氏に対しての相談をlineでずっと返していては逆切れされて、やらなければならない課題提出を一部忘れていて、散々だった。バイト中もぶつけた足が痛かったが、なんとかバイトには出た。そうしたら、このレジトラブルだ。

ああ、なんでこんな目に合わないといけないんだ。この日一日に限らず、ここ最近はついていないことばかりで、正直なにもかも放り出してしまいたくなった。

そのとき「そんなときもありますよ」という言葉は、私に対して投げかけられたような言葉に聞こえた。

もちろん、男性にはそんなつもりはなかっただろう。

でも、私にはその言葉がうまく刺さったのだ。

それ以来、なにか嫌なことがあったり続いたときは

「そんなときもある」

って、呟くようにしている。

でも、確かにそうなのだ。

どうしたって、順調なだけでは人生は進まない。

困難なこと、どうしようないときはある。

「どうして私ばっかり」

「理不尽だ」

「あいつのせいだ」

こんな考えばかり浮かんでいたけど、どうしてかの法則はわからないけど、「そんなときもある」のだ。

そう考えて流してしまったほうが、人生の荒波をうまく越えられるのではないだろうか。

たった一人のなにげない一言が、私の心にうまく刺さってくれた。

悪意ある言葉も心には刺さるが、よい言葉も刺さる。

彼は知らないが、私はずっとその言葉に感謝している。

今日は、バイトの最終日。

時計を見ると、19時になろうとしている。

そろそろ男性が来る時間だ。

予想通り、男性がコンビニ入ってきた。

いつものお酒類とお弁当を持ってレジにやってくる。

「お弁当は温めますか?」

「はい、お願いします」

いつものやり取りだ。

普段話しかけたりはしないが、どうしてもなにか一言交わしたかったので、今日でバイト終了なんですと声をかけてみた。

顔は覚えているかもしれないが、仲がいいわけでもない店員にそんなことを言われても気持ち悪いだけだろうなと思った。

でも、話しかけてしまった。

男性はあの日のように淡々としてこう答える。

「そうですか」

それはそうだ。そうとしか返せないだろう。

話しかけてしまったことが恥ずかしい。

そう気まずい思いをすると、男性はさらに続けていった。

「今までお疲れ様でした。新しい場所でも、頑張ってください」

淡々とした言葉でそう告げると、お酒と温まったお弁当を持って、いつものように去っていった。

ああ、どうしてこの人はいつもちょうどいい言葉をかけてくれるのだろう。

男性が私のことを想ってというよりは、その状況に適した言葉を言っただけだったのだろうと思う。

それでも私は、勇気をだして話しかけてよかったと思った。

バイトが終わり帰宅する道中、公園で夜桜をみつける。

桜が散るころには、新しい出会いの時期だ。

出会いとは関わった時間が短くても、なにか記憶に残る、気持ちが生まれれば、立派な出会いなのだろう。

私にとって男性との関わりは、よい出会いと別れだった。

そう思いながら夜桜が散っていく姿をみると、少し胸がせつなくなった。





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