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電力会社は原発を動かしたくない:停電しても経営陣は責任がないし損失もない。

 原発を動かすなと命令されたから動かさないだけだ。責任は政府(ひいては国民)にある。(注1)

 逆に積極的に動かしてトラブルが起きたら、経営陣は個人的に賠償責任を負う。判例が出来てしまった(注2)。

注1:また経営的には停電は損失ではない。電力会社は「商品(電力)を買わないでくれ」と延々と言い続けているのに利益は確保していると言う、非常に特殊な企業なのです。商品が「売り切れ」になっても別に困らない^^;
注2:問題は、この責任の範囲が非対称なことだ。原発の放射線漏れには責任を負う。しかし、停電で熱中症死亡者や凍死者が出ても責任はない。過去にそんな事例は一つも無い。
 工場が停止したら法人として賠償責任を負うかもしれないが、停電の可能性はもちろん考慮されている。過去に何度も経験済み。
 契約で過失責任を問われないようにしているか、保険でカバーしていて金を払って終わりでしょう。

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 この状況で、電力会社が再稼働に積極的になるとは思えません。「電力確保に躍起になっている」ように見える活動はするでしょうが、本音では動かしたくないはず。
 こういうときにサラリーマンは何をするかというと、「あれが危ない。これが危ない」とネガティブな意見ばかりを言います。
 運用する人間がこの姿勢で再稼働に及び腰であれば、裁判所だって「再稼働OK」と判断するはずもない。
 電力が逼迫しても再稼働準備がなかなか進まないのは、これが理由だと思います。

 とにかく再稼働のインセンティブがない。「事故が起きたらオレが責任を取る。動かせ!」と言う人が誰もいないのです^^;

 敢えて言えば「ババ抜き」状態です。誰かが動かすと決めるのを、誰もが待っている^^; (注3)

注3:この「ババ抜き」は、社会では至る所で見られます。例えばコロナ。「マスクは不要」「ワクチンは要らない」と誰かが決めるのを、みんなが待っている。言い出しっぺがリスクを負うので、誰も言い出さない。
 本来は「責任者」が決める義務があるのですが、日本の組織は責任の所在が曖昧だ(注4)。

 会社や学校でもそうです。止めた方がいいと多くが思っている事でも、無くならないのは、これが理由です。例えばおかしな校則。
 多くの場合に、組織(特に大組織)は保守的でやり方を変えない。ここに原因の一つがあります。
注4:責任が曖昧というのが、たぶん最大の問題なのでしょう。日本の組織は「責任者」と言う言葉が形骸化している。「みんなで決めた」は実に弊害が大きいのです。
 その意味では、東電経営陣の個人的責任を追及したのは、大きな前進です。しかし、事故の責任を追及しても停電の責任を追及しなければ、失敗に終わります。
 また前の記事で触れたように、こと原発に関しては個人がリスクを負うには責任が大きすぎます。

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