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「女は愛嬌、男は度胸」とバンジージャンプ

 「女性は『女は愛嬌』というジェンダー規範によって・・・」というnote記事を見かけた。「ああ、そういやそんなジェンダー規範あるなぁ。ただ女性に対して一方的に言うのではなく、『女は愛嬌、男は度胸』と言った形で男女セットになった規範だけどねぇ」との感想を持った。その後、X(旧Twitter)のタイムラインに以下のニュースが流れた。

目撃者によると、挑戦しようとしていた男性は飛び込み台の端に立つと、あまりの高さに怖くなったようで、なかなか飛び込めなかったという。動画が撮影される前に、2人のライフガードが「飛び込まないのであれば、階段を使って降りてきて」と説得していたが、男性は拒否したという。そして痺れを切らした別のライフガードが介入し、男性の背中を足で押し、最終的に男性を蹴り落としたのだ。

【海外発!Breaking News】飛び込み台で躊躇する男性、後ろにいたライフガードの行動に衝撃
2023/8/28 Techinsight

 このニュースはオーストリアのニュースなのだが、この手の「度胸試し」に纏わるエピソードは日本にもあるなぁと、自分の体験をしみじみと思い出した。

 個人的な体験なのだが、幾人かが集まって当時日本で最も高いとされるバンジージャンプにチャレンジしたことがある。その際に1人だけどうしても飛べない男性が居たのだ。足にロープを付けて飛び込み板のところに立った段階で「もうぅぅ、無理~!」と絶叫して柵にしがみついた。今思い返すと非常に申し訳ないのだが、彼が余りにも情けない声で叫んでいるのでコミカルな雰囲気が漂い、私達のグループだけでなく他の順番を待っている人たちも、やんややんやと「とべ~!とべ~!」「止めてもカネ返ってこんぞ!飛ばないと一日のバイト代がパーだ!」「男なら勇気見せろ~!」と大笑いしながら囃し立てた。「おカネ返ってこなくてもいいから、ヤメる~!」と這いずりながら戻ってきて結局バンジージャンプを彼は飛ばなかった。

 返金されないのに(※バンジージャンプの料金は中々のお値段)飛ばないのは非常に勿体なく感じ、また、ここまで来て飛ばない奴は少なかろうと思い、係員の人に「あそこ(=返金されない段階)までいって飛ばない人って居るもんなんですか?」と尋ねると、「男性だと結構居ますね。女性だとあまり居ませんけど。『男は度胸』なんて言いますが、ここでみてると女性の方が度胸ありますよ」と答えてくれた。当時は「そんなもんか。まぁ、女性の方が度胸が据わっているっていうのはあるかもなぁ」との感想を抱いた。

 だが、後年この自分の体験を振り返ると「男性の方が度胸がなく、いざとなれば女性のほうが度胸がある」という問題ではないと感じている。すなわち、「バンジージャンプを途中で飛べなくなるような人間に関して、男性は申し込むことがあるが、女性はそもそも申し込まない」ので、直前のバンジージャンプの飛び込み台で飛ぶのをやめるのは男性ばかりになるのではないか、と思うのである。つまり、男女のジェンダー規範が異なるためにそのような結果になったと考えるほうが妥当なのではないだろうか、という訳である。


■「男は度胸」というジェンダー規範とバンジージャンプ

 ここで「度胸」「高所に恐怖を感じる度合い=高所耐性」の二軸で人間のタイプ分けをしたとき、男女でどのような違いがあるかを考察してみよう。またこのとき、度胸と高所耐性との値の合計がマイナスになってしまえば、実際にはバンジージャンプを飛べないものとしよう。

【度胸】
2:度胸がある
0:普通
-2:度胸が無い 

【高所耐性】
3:全く恐怖を感じない
1:少し恐怖を感じる
0:普通に恐怖を感じる
-1:かなり恐怖を感じる
-3:非常に恐怖を感じる

 まず、例外的とも言える存在の高所に全く恐怖を感じない人間について考えよう。高所に恐怖を感じない人間であれば、男女問わずバンジージャンプを飛ぶ機会があったとき「ものは試しに飛んでみるか」と申し込みをして、実際に飛ぶだろう(但し、体験の価値を認めない人間であれば申し込まないかもしれない)。

 次に、度胸の有無でどんな振舞をするか考えてみたい。

 最初に度胸が無い人間について考えよう。彼・彼女らは恐怖が一切無ければ申し込むことに抵抗がなくとも、恐怖があるのであれば男女問わず申し込まないだろう。つまり、基本的に彼・彼女らはバンジージャンプの申し込みをしない。ただし先述の通り、例外的に高所に恐怖を感じないのであれば、度胸が無かろうが申し込みにも抵抗を覚えないだろうし、実際にバンジージャンプの飛び込み台に立っても抵抗なく飛ぶことができるだろう。

 では逆に度胸がある人間について考えよう。彼・彼女らは度胸があるので一先ずバンジージャンプの申し込みはしてしまうだろう。そして、その度胸の良さで、かなり恐怖を感じていても実際に飛ぶことが可能だろう。だが、どうしても不可能なぐらい非常に高所に恐怖を感じる人間であれば、その人間が飛び込み台に立ったとしても男女を問わずバンジージャンプを飛ぶことが出来ないだろう。

 最後に度胸の程度が普通の人間について考えよう。おそらくであるが、この普通の度胸の人間に関して、ジェンダー規範はその行動に大きな影響を持つのだろうと考えられる。つまり、「男は度胸」というジェンダー規範によって「高所にかなり恐怖を感じる」ような男性でもバンジージャンプの申し込みをしてしまい、そして、実際にバンジージャンプの飛び込み台の前に立ってしまったときに飛べなくなってしまうのではないだろうか(※おそらく度胸がある人間ならこの恐怖水準でも飛べてしまうのがタチが悪い)。また逆に女性には度胸や勇気といった人格的価値を示すジェンダー規範からの強制が無いために、「高所にかなり恐怖を感じる」ような女性はそもそも申し込みをしないと考えられる。

 バンジージャンプの申し込みをする人間としない人間、そして申し込みをした人間で実際にバンジージャンプを飛べる人間と飛べない人間について、性別毎に、度胸と高度耐性でタイプ別に分けて一覧にしてみよう。このときそれそれのタイプを(度胸値,高度耐性値)で示すことにする。

【バンジージャンプの申し込みをする男性】
(2,3),(2,1),(2,0),(2,-1),(2,-3),(0,3),(0,1),(0,0),(0,-1),(-2,3)
【バンジージャンプの申し込みをしない男性】
(0,-3),(-2,1),(-2,0),(-2,-1),(-2,-3)
【バンジージャンプを飛んだ男性】
(2,3),(2,1),(2,0),(2,-1),(0,3),(0,1),(0,0),(-2,3)
【バンジージャンプが飛べなかった男性】
(2,-3),(0,-1)

【バンジージャンプの申し込みをする女性】
(2,3),(2,1),(2,0),(2,-1),(2,-3),(0,3),(0,1),(-2,3)
【バンジージャンプの申し込みをしない女性】
(0,0),(0,-1),(0,-3),(-2,1),(-2,0),(-2,-1),(-2,-3)
【バンジージャンプを飛んだ女性】
(2,3),(2,1),(2,0),(2,-1),(0,3),(0,1),(-2,3)
【バンジージャンプが飛べなかった女性】
(2,-3)

 つまり、男女の差異は、(0,0),(0,-1)のタイプの人間の行動の差異で現れてくると思われる。普通程度の度胸の持ち主に関して、高所への恐怖を普通程度に感じている、またはかなり恐怖を感じていても男性ならバンジージャンプの申し込みをしてしまう一方、女性は申し込みをしない。そして、普通程度の度胸の男性なら普通程度の高所への恐怖ならバンジージャンプを飛べるがかなり高所への恐怖を感じるなら飛べないという結果になるのだろうと思われる。

 バンジージャンプに限らず、この手の「度胸試し」は人生においてしばしば現れる。そして、女性なら適性がある人間あるいは無鉄砲な人間だけが参加するが、普通の男性はとりわけ適性がなくとも参加し、また適性に劣っても参加させられて失敗する。

 「男は度胸」というジェンダー規範はこのような形で男性に負担を強いていると考えられる。

 因みに、バンジージャンプに関する意識を調べてニュースにしたものが以下。

 とりわけ、上記の記事で男女差にふれたグラフが以下である。

しらべぇ編集部「50代女性の7割が『バンジージャンプ飛べない』 絶叫マシンさえ無理なのに…」より



■「女は愛嬌」というジェンダー規範と女性の負担

 そして、おそらくは女性に対して課せられる「女は愛嬌」というジェンダー規範は、シーンを入れ替えて女性に負担をかけているだろう。つまり、以下のようにミラーリングしてみれば、前述の構造とそっくりそのままで議論が出来るだろう。

【愛嬌】※容貌の要素も含む
2:愛嬌がある
0:普通
-2:愛嬌がない

【人付き合いへの感性】
3:非常に好き
1:好き
0:普通
-1:嫌い
-3:非常に嫌い

 上記のように考えれば、「愛嬌:普通、人付き合い:普通」の人間に関して、男性ではさして強制されない人付き合いも女性では強制的に参加させられ、また、「愛嬌:普通、人付き合い:嫌い」の人間は、男性なら参加を免れて失敗しないが、女性は強制的に参加させられて苦労していることだろう。

 因みに、バンジージャンプの構造と同様に、愛嬌がある(容貌が優れているも含む)で人付き合いが非常に嫌いな人が苦労するのは男女を問わないだろう、ということに関しては断っておこう。


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