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奢り奢られ論争2:年齢逆転カップルのモヤモヤ

はじめに

 以前に「奢り奢られ論争:男女逆転カップルのモヤモヤ」との記事を書いたときの、逆転カップルの逆転は男女の所得であった(※前回も断り書きを入れたが、タイトルにおける"逆転"の言葉は既存のジェンダー的価値観についての皮肉)。今回の逆転は男女の年齢である。

 yahoo!記事で以下の記事が2023/6/1に転載されたので、前回同様に奢り奢られ論争について記事を書こうと思う。但し、当該記事は前編と後編があるのだが、yahoo!記事に転載された記事は上段の前編の記事である。

 この記事のタイトルは中々に振るっていて、"年下クズ男"や"因果応報"といったワードで一方的に男性を悪者扱いする観点が実にジェンダーバイアスに塗れていて可笑しくなってしまう。この明白なジェンダーバイアスの問題だけでなく、様々なトピックがこの記事にはある。

 本稿では、記事で取り上げた年上彼女のダブルスタンダード、ライターの悠木氏のジェンダーバイアス、無茶苦茶な理屈を男性に突き付けてもジェンダー論の観点から正当性があるとしてしまうジェンダーバイアスのある社会の風潮を見ていきたい。


恋愛力でみれば彼氏の方がどちらかと言えば格上

 はじめに記事から窺える年上彼女と年下彼氏の有り様を見て、当該カップルの恋愛面の魅力でみた釣り合いを確認しておこう。

「それまでは基本的に同年代の人を選んで会っていました。数回デートした人はいるけれど、それ以上に進むことはなく、婚活を初めて1年くらい経った頃、7つ若い男性からアプローチを受けたんです。初めはさすがにこんなに年下は……と思っていたんですが、映画とか小説の好みも近い。しかも最近ハマっている銭湯通いが趣味だったんです。会うだけならと食事をしてみることにしたんです」

 待ち合わせた先は、今っぽいネオ居酒屋。興味はあったものの訪れたことがなかった由希子は、とても楽しみにしていたという。

「こんなこと言うのもアレ、なんですが、初対面からすごくいい感じだったんです。自分でもびっくりしたというか。恋愛的にピンとくるってあると思うんですけど、そういうのを思い出しました。これだった!って。銭湯然り、ネオ居酒屋しかり、波長もぴったり。彼もすごく楽しんでくれていたと思うんですよね」

 その証にその日のうちに次に会う予定も決まった。銭湯からの呑みコースだ。由希子は年齢が少々ひっかかっていたものの好奇心の方がそれを上回り、二つ返事でOKをした。

「年上が奢るのは当然っしょ?」婚活アプリの年下クズ男に"因果応報"を教えた35歳OLの秘策。
悠木律 2023.5.31  FORZA STYLE

 以上の引用から窺えることを見ていこう。

 年下彼氏は28歳、年上彼女は35歳である。つまり年下彼氏は7歳下というなかなかの年の差がある。初対面で恋愛的にピンとこなければ数回で相手を振るような選り好みをする姿勢が年上彼女にはあるにも関わらず交際が続けられたことから、年下彼氏はルックス・コミュニケーション能力・異性への対応のスマートさ・趣味に合ったデート企画能力の全てにおいて(更には出会いの当初の彼女は、あまり気が進んでいないというハードルの高さをも乗り越えて)彼女の合格ラインを上回って恋愛のトキメキを感じさせる素敵な男性である。

 以上の内容は、恋愛対象としての魅力に関してカップルの釣り合いを考えたとき、年下彼氏の男性としての魅力は年上彼女の女性としての魅力に引けをとらない。いやむしろ、男性側に傾いているカップルとさえ言えるだろう。それというのも、この男性がこの年上彼女ではない7歳年上の別の女性と交際するのは容易だろうが、この女性がこの年下彼氏ではない7歳年下の別の男性と交際するのは難しいだろうからだ。

 この年下彼氏の異性としての魅力の高さは、奢られる側として女性がしばしば持ち出すことのある理屈「いい気分になって会話ができる素敵な異性と同席できるサービスを享受できるんだからデート代ぐらい出しなさいよね」という、芸者や幇間(=太鼓持ち)のような接待のプロが主張するが如くの理屈(補論1参照)を、奢られる側として年下彼氏が持ち出したとしても不思議ではない程だ。

 以上で確認したことは、当該カップルに関して交際関係の維持について彼氏だけでなく彼女もまた努力しなければならない関係であることを意味している。換言すると、世の中で稀に見かける恋愛力格差がある不釣り合いなカップルにおける関係、すなわち一方が他方をチヤホヤすることで交際関係を維持している関係性とは無縁であることを意味している。つまり、恋愛力格差によって年上彼女が年下彼氏からチヤホヤされて然るべきということは無いのだ。

 このことは今後の議論の大前提であるので注意されたい。


他人の奉仕を当然視して"対等な関係"も何もない

 さて、本格交際前・交際初期はデート代の支払いに関して当該カップルは割り勘にしている。つまり、金銭面の負担に関してはお互い均等に負担をしている。以下で確認しよう。

由希子は当たり前のように割り勘を提案したんだという。彼は端数の部分を自分が払うよう、スマートに由希子に金額を示した。

同上

 一方で、(年上彼女が)満足のいくデートの企画を立てるのはほぼ毎回年下彼氏なのだ。当該カップルは映画や小説の好み・銭湯巡りといった趣味は当初から同じであるのだから、彼女もまた同様のデートを企画できるはずである。それにもかかわらず、下調べや準備は彼氏任せにして単にデートを楽しむお客様でいることを彼女は当然視している。つまり、労力面の負担に関しては彼氏に集中している。以下で確認しよう。

それ以降、由希子と彼は銭湯から居酒屋というコースを多い時は週1で楽しむ関係になった。彼は色々な銭湯を提案してくれて、時には小旅行をしつつ銭湯巡りをするなんてこともあったという。

【後編】「年上が奢るのは当然でしょ?」婚活アプリで出会った年下クズ男。
"因果応報"過ぎるその末路とは
悠木律 2023.5.31  FORZA STYLE (強調引用者)

銭湯にいく頻度は少し減りましたね。でも相変わらず、食事は外で取ることが多かったですね。お店のセレクトは彼がしてくれることがほとんどでそれもすごく楽でした。

同上 (強調引用者)

 もしも年下彼氏と年上彼女の関係が、年上彼女が主張するように役割分担のない対等の関係なのであれば、デート代の割り勘・交互に奢り合うといった金銭面だけでなく、デートの企画・準備といった労力面に関しても交互に負担する対等な関係であるべきである。お互いが独立した対等な人間関係においては原則的にギブアンドテイクであるからだ。

 年下彼氏と年上彼女の関係が「奉仕する側-される側」で固定化し、二人の関係が深まるまでは「年上が負担すべき金銭面の負担」を年下彼氏は持ち出していない。つまり、年上彼女が二人の関係性を(意識的か無意識的かを問わず)「対等な男女関係」と捉えているのか「年上-年下の男女関係」として捉えているのかを年下彼氏は見極めていたと言える。

 見極め期間における年上彼女の行動と態度は、俗っぽい言い回しをすれば、年下彼氏を気の利いた美しい年下のパシリとして扱ってる(あるいは、若く美しい気配りのできるツアーコンダクターに擬えてもよいかもしれない)。この年上彼女の「年下からの奉仕を受けて当然とする行動と態度」が「対等な男女関係ではなく年齢の上下を重視した関係を二人の関係として彼女は構築している」と年下彼氏に判断させたのだ。だからこそ、彼は下に引用するようなことを彼女に主張したのだ。

「えっ、でも由希子年上だよね。奢る奢られるが男女で差別されるのはジェンダー的におかしいけど、年齢的には上が下の分を払うのが当然なんじゃない?」

同上 (強調引用者)

 ここでポイントになるのが、この直前で年上彼女が主張した内容である。以下に引用しよう。

奢る奢られない論争があるけれど、自分は割り勘が当然だと思っていることを伝えました。もちろんお互いに事情がある場合は鑑みるけどと付け加えて。

同上 (強調引用者)

 奢り奢られ論争においては原則的に「男=奢る側、女=奢られる側」との枠組みで議論される。つまり、基本的にはジェンダー問題のトピックとして議論されるのだ。そして、奢り奢られ論争における「割り勘派」は大抵ジェンダーフリーの価値観を持つ立場にいる。また、後程引用するが年上彼女は「男だから奢る、女だから奢られるいう思い込みと同様に(中略)やっぱり何だか違う気がする」とインタビューに答えている。したがって、この年上彼女もまたジェンダーフリーの価値観の持ち主だといってよいだろう。

 さて、そうすると年上彼女のジェンダーフリーの価値観からすると一見すると矛盾する態度・行動がある。それは

年下彼氏がデートの企画・準備をするのが当たり前とすること

である。ジェンダーバイアスのある価値観においては「男性がデートの企画・準備をするのが当たり前とすること」というものがある。旧来通りのジェンダーバイアスのある価値観の持ち主なら「年下彼氏は男性なんだからデートの企画・準備をするのは当然だよね?」と考えてもよい。しかしそれは年上彼女の価値観であるジェンダーフリーの価値観からは真っ向から対立している態度・行動だ。それにもかかわらず、年上彼女は年下彼氏がデートの企画・準備をするのが当たり前という態度・行動をとっているのだ。

 この一見矛盾した態度・行動に関して注目すべきは年下彼氏の属性である。年下彼氏は当然ながら男性という属性を持っているが、もう一つ重要な属性として年下という属性も持っている。

 この「年下」の属性に適用される規範に「長幼の序」がある。ざっくりとした説明をすれば、長幼の序は「先輩-後輩の関係における規範・価値観」である。この価値観においては先輩は後輩に奢るなどする一方で後輩は先輩のために使い走りをする(詳細は補論2)。そして、この関係性においては年齢の上下が重要なのであり、(年下彼氏も主張するように)ジェンダーの区別はない。

 つまり、「年下彼氏がデートの企画・準備をするのが当たり前とすること」は男性だからではなく年下だからという訳である。年上彼女が長幼の序の価値規範にしたがっているならば、年下彼氏が年上彼女のためにデートの企画・準備をすることを当然視してもよい。

 労力面の負担に関して年上彼女が年下彼氏に一方的に負担させて当然としているからこそ、年下彼氏は年上彼女が長幼の序の価値規範に従っていると解釈したのだ。その解釈に従って年下彼氏は年上彼女に対して長幼の序の価値規範から年上彼女が怠っている「年上の義務=奢る義務」の履行を要求したのである。

 しかし、これは年下彼氏が年上彼女の事をクズ人間と見做していないからこその解釈である。年下彼氏の好意的解釈とは異なり、この年上彼女は(表題とは真逆に)年上クズ女である。それを示す部分を引用しよう。

「確かに年上が年下にご馳走する、そういう文化みたいなものはありますよね。それは年下より年上の方が高収入であるケースが多かったり、仕事関係の上司と部下だったりするからだと思っていました。付き合っている間柄でもそれって通用するんですか? ちょっと私びっくりしちゃって」

同上

奢る奢られる論争は、もはや別次元に来ているんだと改めて知りました……。でも男だから奢る、女だから奢られるいう思い込みと同様に年上だから奢る、年下だから奢られるというのもやっぱり何だか違う気がするんです

同上

 「男だから奢る、女だから奢られるいう思い込みと同様に年上だから奢る、年下だから奢られるというのもやっぱり何だか違う気がする」などと性別や年齢といった属性による自分の負担を免れるべく主張する。一方で、彼氏の負担に対しては頬かむりして年下彼氏にだけ労力面の負担を背負わせるのだ。

 また、「仕事関係の上司と部下だったりするからだと思っていました。付き合っている間柄でもそれって通用するんですか?」などと言っておきながら、「お店のセレクトは彼がしてくれることがほとんどでそれもすごく楽」とデートの雑務については仕事関係において上司が部下にするが如く年下彼氏に丸投げする。

 男女差別に反対ならば、当然ながら「デートの企画・準備においても男女平等に負担」するべきである。また、年齢差別に反対ならば「デートの企画・準備においても年齢の上下に関わらず負担」するべきである。

 この年上彼女の態度と行動は下記に挙げたのいずれに重点が置かれた態度・行動かは判然としないが(恐らく前者であろうが)、どちらにせよご都合主義的なダブルスタンダードをかますクズ人間ムーブである。

  • ジェンダー平等なんだから割り勘ね。でも、男なんだから彼氏君がデートの企画と準備はしてね!

  • 年齢差別はいけないから年上が奢るのは違うよね?でも、年下なんだから彼氏君がデートの企画と準備はしてね!

 当たり前のことだが、付き合っている人間に対して「コイツはクズ人間だろう」という前提で相手のことを(基本的には)見たりしない。相手の考えを推測するとき「コイツは自分にだけ都合の良いように物事を考える」とは思わない。もっとも"ダメンズウォーカー”などと自嘲するダメ人間を好きになってしまう人や夫婦仲が冷え切っている夫婦に関しては相手に対して「コイツはクズ人間なのだ」と理解して行動や態度を解釈するかもしれないが、そういった特殊な異性の趣味の人や特殊な状況の人を除けば、基本的には相手に対して誠実性と首尾一貫性を期待して行動や態度を解釈する。

 もちろん、人間は矛盾に満ち溢れた存在ではある。しかし、その矛盾は少なくとも他者に対して「○○であるべきだよね」と主張するときには現れないようにするものだ。今回の場合であれば「一方的にワタシがするのは違うよね?」と主張したならば「じゃあ、一方的にアンタがオレにやらせているのは何なんだ?」と反論されないようにすべきなのだ。


「人格がクズ」と「価値観が古い」は違う

 次のトピックは記事の表題中にある「年下クズ男」の言葉が示すジェンダーバイアスを問題にしよう。つまり、ライターの悠木氏のジェンダーバイアスとこの記事に共感する人間のジェンダーバイアスを取り上げる。

 さて、悠木氏は後編の記事の結語に当たる箇所で以下のように自身の考えを示す。

奢る奢られる論争はこれまでも幾度となく議論されてきた。結論としていえば、その有り様は人それぞれである。しかし、ジェンダーやエイジハラスメントなど、社会問題をはらみ、また違った方向に展開することもあるのだ。

【後編】「年上が奢るのは当然でしょ?」婚活アプリで出会った年下クズ男。
"因果応報"過ぎるその末路とは
悠木律 2023.5.31  FORZA STYLE (強調引用者)

 奢り奢られ論争に関して「結論としていえば、その有り様は人それぞれである」と悠木氏が主張している以上、悠木氏の枠組みにおいてはデート代の支払いの規範・価値観に関して割り勘・交互に奢り合う・男が女に奢る・年上が年下に奢る・所得が多い方が奢る等々の規範・価値観はなんでもよい。

 すなわち、記事で取り上げられたカップルの男性の奢り奢られ問題での規範が「年上が奢るのは当然でしょ?」であってもよいはずである。したがって、記事のカップルの話は、年上彼女と年下彼氏の奢り奢られ問題でのお互いの価値観や規範が異なったことが主な原因で破局した話であり、単に価値観の相違で二人が別れただけの「因果応報」と評する方が疑問に思われる至極ありふれた話である。

 別の例で譬えると、共働き夫婦希望の男性と専業主婦希望の女性のカップルが価値観の相違(=将来の夫婦像の不一致)で結婚前に別れたという話となんら変わらない。

 もちろん、奢り奢られ問題では直接的な金銭上の損得が発生するので、譬えの価値観の相違とはまた別の問題もある。その差異が気になるのであれば、単純に記事のカップルの男女を入れ替えて想像すればよい。つまり、割り勘主義の年上彼氏と"年上が奢る主義"の年下彼女が、デート代の支払いについての考え方で別れた場合に、その考え方の違いが原因で別れたことに対して「年下彼女はクズ女」と断定し、「因果応報」と評するのかどうか検討すればよい。

 男女を入れ替えて考えてみれば、価値観・規範・考え方の相違でカップルが破局したとしても、「年上が奢る」と考えた人間に対して「年下の側はクズ人間である」と非難する事態とも「因果応報」という事態の推移とも思えない。単に「ああ、二人は合わなかったのね」との感想を抱くだけだ。

 このミラーリング(=男女を入れ替えて考えること)に関して、転載されたyahoo!記事に付いたコメントで実に的確に問題を指摘したものがあったので引用しよう。

28歳の見た目良し、会話上手い、小洒落たお店を見つけてくれるデート相手女性に35歳男が割り勘提案したら「年上が奢るものでしょ!」とブチギレて帰るのはアリなのに?? あと後半まで読んでもデート代で生活費が無くなったのは女性の側で、同棲してお世話役を断られた彼はさっさと別れてるので全く「因果応報」な内容じゃ無かった。。。

cyg***** 転載されたyahoo!記事に付けられたコメント 2023/6/1

 さて、悠木氏の見解「奢る奢られる論争は(中略)結論としていえば、その有り様は人それぞれである」からは当該カップルの年下彼氏に関して、奢り奢られ問題で年上彼女とは価値観が異なるものの"クズ男"とはならないハズである。ただし、当該男性が年上が奢るとの考えを保有していることに対して、彼は長幼の序に類する古い規範・価値観の持ち主であるとは言えるかもしれない。とはいえ、価値観が古いということは必ずしも人格がクズであることを意味しない

 もちろん、引用文にあるように奢り奢られ問題での「年上が奢るのは当然」との考えはエイジハラスメントの問題を孕みうるし、私自身が以前の記事で指摘したような問題もある(註1)。しかし、「年上が奢る」との考えが孕む問題は、当該彼氏への"クズ男"との評価には直接繋がらない。

 なぜなら、クズという評価は、他者を顧みない御都合主義かつ利己主義者の人格や行動に対するものだからだ。最近の心理学用語(といっても1998年発表の概念)でいえばダークトライアド(=サイコパシー・ナルシシズム・マキャベリズムの3つのパーソナリティ特性)に当てはまる人格や行動特性といっていいだろう。

 「年上が奢るのは当然」という価値観・規範を単に保有していることだけでは、上記のような問題あるパーソナリティ特性がある事を意味しない。

 当該カップルの男性が、年上彼女と付き合っているときに彼女に奢ってもらう意識でいたとしても(仮定の話として)別時点で年下の女性と付き合っているときは年下彼女の分を奢っているのであれば、彼は「年上=奢る側,年下=奢られる側」という枠組みに従って行動しているだけであり、それはクズと称されるパーソナリティ特性を持つ人間に特徴的な自己中心的行動とはいえない。

 とはいえ、年上彼女と付き合っているときは「年上が奢るのは当然」と主張し、年下彼女と付き合っているときは「ジェンダー平等なんだから割り勘にすべきだよね?(あるいは彼氏が奢らないで済む・逆に奢ってもらうような別の言い訳でもよい)」と主張するならば当然ながら当該男性はクズである。

 もしそうならば当該男性はスタンダードをご都合主義的に切り替えているのだから、相手にタカることが彼の最終目的である。奢ってもらうという目的のために「規範=こうあるべきという倫理」をコロコロ変えるのであるから、本質的に倫理に価値を置かないマキャベリスト(=目的の為に手段を択ばない主義の人間)である。しかもその目的は自己利益であるのだから当該男性はクズと呼んで差し障りない。

 自分勝手なダブルスタンダードを恥じず、自分が優遇されることだけを目指す姿勢でいるならば、その男性はクズであるといえるだろう(余談だが、このような姿勢をとるフェミニストは腐るほど居る)。しかしながら、記事で取り上げられたカップルの年下彼氏がそのような人物であったとは断言できない。単に「長幼の序」の価値観をもった人物である可能性も十分にある。そして、年下彼氏が「長幼の序」の価値観をもった人物であるならば、割り勘主義の年上彼女と別れたこともまた、価値観の相違で破局しただけであって「因果応報」というような話でもない。

 結局のところ、ライターの悠木氏のなかに「自分の分も女に払わせるような男はロクデナシでしょ。だから愛想を尽かされたんだよ」というジェンダーバイアスがあるからこそ、年下彼氏に対しては「クズ男」、カップル破局に対しては「因果応報」などと評するのだろう。


ジェンダー平等な規範「デート代は年上が奢るべき」の欺瞞

 この節は、以前書いた以下の記事「奢り奢られ論争:男女逆転カップルのモヤモヤ」でも論じたことを再び繰り返している。一見ジェンダー中立的な「デート代は年上が奢るべき」という規範は、実質的には「デート代は男が奢るべき」という旧来からのジェンダーバイアスのある規範になる(もっとも以前の記事で中心的に述べたのは「デート代は所得が多い方が奢るべき」の規範である。その中で「『デート代は年上が奢るべき』も同様である」という形で触れている)というトピックだからだ。

 さて、女性がデート代を男性に負担させる理由として持ち出す名目上の根拠には「相手より高所得・年上・誘った側」等がある。しかしこれらはみな交際相手に関する以下のジェンダーバイアスのある価値観・規範(ただし、男性が年上なのは男性側に存在する年下女性を望むバイアスが主原因)を下敷きにして実質的に男性にデート代を負担させている。

  • 交際相手は自分より高所得の男性がよい

  • 交際相手は自分より若い女性がよい

  • 男性が女性を誘うべき

 これらのジェンダーバイアスに塗れた価値観・規範を暗黙の前提として「デート代は『所得が高い方が/年上が/誘った方が』奢るべき」と主張する人間は、「表立ってジェンダーバイアスが剥き出しの『デート代は男性が出すべき』と主張するのはジェンダー平等が叫ばれる昨今ではマズい」という小賢しい判断をしているといえる。

 交際男性に関してその多くが「女性より高所得・女性より年上・女性を誘う側」という要素を満たしているからこそ、「男性」と直接指定せずとも「高所得側・年上側・誘った側」と指定すれば男性を間接的に指定できるのだ。

 それにもかかわらず、デート代を負担する基準として所得・年齢・誘ったかどうかを持ち出してくるのは、

  • 高所得なら男女どちらでも奢るべきなのでジェンダーバイアスは無い

  • 年上なら男女どちらでも奢るべきなのでジェンダーバイアスは無い

  • 誘った側なら男女どちらでも奢るべきなのでジェンダーバイアスは無い

といった形で如何にもジェンダー中立的な外見を作り出せるからだ。

 これが見掛け倒しのジェンダー中立性であるのを明らかにするのが、これらの名目上の条件に当てはまったために女性が奢る側に立ったケースである。奢る側に立った女性は「交際相手の男性が無茶苦茶な理屈で私に奢れって言ってくるの(泣)」と周囲に訴えかけ、見聞きした女性も「そうだそうだ!」と大騒ぎする。

「奢る奢られない論争があるけれど、自分は割り勘が当然だと思っていることを伝えました。もちろんお互いに事情がある場合は鑑みるけどと付け加えて。そうしたら彼がキョトンとした顔をしてこう言ったんです」
「えっ、でも由希子年上だよね。奢る奢られるが男女で差別されるのはジェンダー的におかしいけど、年齢的には上が下の分を払うのが当然なんじゃない?」
由希子は開いた口がふさがらなかったという。
「確かに年上が年下にご馳走する、そういう文化みたいなものはありますよね。それは年下より年上の方が高収入であるケースが多かったり、仕事関係の上司と部下だったりするからだと思っていました。付き合っている間柄でもそれって通用するんですか? ちょっと私びっくりしちゃって

【後編】「年上が奢るのは当然でしょ?」婚活アプリで出会った年下クズ男。
"因果応報"過ぎるその末路とは
悠木律 2023.5.31  FORZA STYLE (強調引用者)

 上記の箇所とりわけ太字で強調した部分から、年上彼女の意見、それが真っ当な意見として記事になるとしたライターの悠木氏の判断、そして悠木氏の判断の根拠となったであろうライターの周囲の「日本社会」に対する認識、更にそのように認識される日本社会において、デート代を負担させるジェンダー平等な理由が如何に名目上の理由に過ぎないかを明らかにしている。

 女性が奢られる側として男性に突き付ける理由は、突きつける相手が男性でなければ、開いた口がふさがらない理由なのであり、「付き合っている間柄でもそれって通用するんですか? ちょっと私びっくりしちゃって」と感じさせる理由なのだ。

 しかし、そのような理由であっても突きつける相手が男性であるからこそジェンダー平等なもっともな理由として真っ当に扱われている。何と強固なジェンダーバイアスによって歪められた社会の風潮だろうか。


まとめ

 これまで見てきたことをまとめよう。本稿は主に3つのトピックで問題を論じてきた。

 1つ目は、当該カップルの年上彼女のダブルスタンダードである。2つ目は、表題において「年下クズ男」「因果応報」と年下彼氏を評したライターの悠木氏のジェンダーバイアスについてである。3つ目は、突きつける相手が男性でなければ無茶苦茶な理屈であると感じさせるものを真っ当な理屈をして扱うジェンダーバイアスに塗れた社会の風潮である。

 まず、一つ目のトピックである年上彼女のダブルスタンダード問題を確認しよう。

 問題となったカップルに関して、彼氏が彼女をチヤホヤしなければならないような恋愛力格差のあるカップルではなく、二人ともが交際関係の維持のために努力し合うような関係であることを確認した。

 そんなカップルにおいて年上彼女は年下彼氏の奉仕を当然視している一方で、年上彼女はジェンダー平等の価値観を表に出していた。二人の関係性が不平等な関係性であるにも拘らず、ジェンダーに関しては平等な関係性であるという状態で矛盾が発生しないようにするためには、「年上-年下」という関係性に着目する他ない。つまり、「長幼の序」の価値観によって年上彼女は年下彼氏の奉仕を当然視していたと解釈せざるを得ない。年上彼女は年下彼氏から年下としての奉仕を受けているにも拘わらず「年上としての義務=奢る義務」を果たさないという事態を受けて年下彼氏は強硬手段で年上彼女に義務を履行させたわけだが、年上彼女はそれに対して非常に不満を覚えて「奢り奢られ問題で男女差別もおかしいけど年齢差別もおかしいよね」と主張する。しかし、年齢差別・男女差別がおかしいと主張するのであれば、年下彼氏の一方的な奉公を当然視していた年上彼女の姿勢はとんだダブルスタンダードだと言えるのだ。

 次に、2つ目のトピックである、表題において「年下クズ男」「因果応報」と年下彼氏を評したライターの悠木氏のジェンダーバイアスの問題を確認しよう。

 悠木氏は「奢る奢られる論争は(中略)有り様は人それぞれである」と自己の考えを記事で述べている。そうであるならば、年下彼氏の「年上が奢るべき」と年上彼女の「割り勘であるべき」も人それぞれの考え方であり、良いも悪いも無い。また、考え方が違ったことで二人が別れたとしても、単に価値観の相違で別れたというだけのことである。それにもかかわらず、年下彼氏に対しては「年下クズ男」と罵倒し、カップルの破局に対して「因果応報」などと"年下彼氏にバチが当たったのだ"と言わんばかりの表現をする。これは取りも直さず、「女に男の分のカネを出させるような男はロクデナシだ。別れて当然」というジェンダーバイアスがライターの悠木氏にあるからこそである。「私にジェンダーバイアスはありませんよ」といった雰囲気の文章を書いておきながら、実は強固なジェンダーバイアスがライターの悠木氏にはあるのだ。

 最後に、3つ目のトピックである、突きつける相手が男性でなければ無茶苦茶な理屈であると感じさせるものを真っ当な理屈をして扱うジェンダーバイアスに塗れた社会の風潮を確認しよう。

 ジェンダー平等が叫ばれる昨今、「デート代は男が奢るべき」というダイレクトなジェンダーバイアスに基づく規範は時代にそぐわないものとされてきている。そこで実質的には旧来通りのジェンダーバイアスそのままの「デート代は男が奢るべき」なのだが、見かけ上はジェンダー中立的な理屈が登場する。その一つが記事でも取り上げられた「デート代は年上が奢るべき」というものだ。しかし、この一見するとジェンダー中立的な理屈は、当該条件に当てはまった女性に突き付けられたなら、「付き合っている間柄でもそれって通用するんですか? ちょっと私びっくりしちゃって」「年上だから奢る、年下だから奢られるというのもやっぱり何だか違う気がするんです」と異議申し立てが行われ、その異議申し立てに(他の少なからぬ女性が)賛同するような滅茶苦茶な理屈なのだ。そんな滅茶苦茶な理屈であっても突きつける相手が男性であればジェンダー平等でもっともな理由として扱うような日本社会は、男性への酷いジェンダーバイアスがあるといえるだろう。


註1
 ここで一つ注意をしておくが、旧来のジェンダー意識による性役割分業が強制されることは現代の社会において否定される。また性別だけでなく年齢などの属性による役割規範も同様に問題視されつつある。だがそれは、社会的風潮・マクロ的傾向として否定されているのであって、個々人が自発的に(性役割を含めた)役割負担をするのであれば、それは多様性の観点から認められるべきである。つまり、社会的に専業主婦と専業主夫が同数程度なのであればジェンダー論の観点からは専業主婦の存在は問題ないように、「男性が奢るべき」と「女性が奢るべき」と考える人間の数がその社会において男女双方で同程度であるのならばジェンダー論の観点からは問題がない。蛇足であるが、当該カップルに関して言えばジェンダー論の観点からは女性が奢る側・男性が奢られる側なので別に旧来型の男女の性役割の固定化にはならない。


補論1:芸者理論・芸者幇間理論


 奢り奢られ論争でみられる、「いい気分になって会話ができる素敵な女性と同席できるサービスを男性は享受できるんだからデート代ぐらい出しなさいよね」という女性側の理屈としてしばしば観察される理屈を芸者理論と呼ぼう。

 この芸者理論ではデートにおいて芸者的に女性が振る舞うことが大前提である。つまり、相手が楽しく過ごせるように(自分が楽しかろうが楽しくなかろうが)努力する義務があり、かつ、相手にはそんな義務が無いような関係性をデート中は維持する必要がある。この享楽に関する義務の非対称性を引き受ける代わりに金銭に関する義務の非対称性を相手に引き受けさせるのが芸者理論である(ただし、この芸者理論は逆方向でも成立する。すなわち、金銭に関する義務の非対称性を引き受ける代わりに相手に享楽に関する義務の非対称性を引き受けさせる理屈といってもよい)。

 芸者理論は享楽サービスの義務と金銭負担の義務の交換により奢られることを正当化する理論なのだ。そして交換行為である以上、その行為の正当化には交換原則に則った正当化条件(=等価交換)を満たす必要がある。つまり、芸者理論の枠組みの内側においては「奢ってもらった金銭に値するだけの享楽を相手に提供できたか否か」が争点になるのだ。

 とはいえ、芸者理論自体を問題視するメタレベルの疑義もある。それは2つの観点から出てくる。一つはジェンダー論の観点からの疑義、もう一つは更に根本的な「そもそも論として、その種の交換は健全なのか?」という疑義である。

 まず、ジェンダー論の観点からの疑義を見ていこう。

 芸者理論においては、「(男性,女性)=(金銭負担の義務を負う側,享楽サービスの義務を負う側)という枠組み」という男女で対になった固定的な役割負担がある。男性は金銭負担の義務を負う代わりに女性から享楽サービスの提供を受け、女性は享楽サービスの義務を負う代わりに男性に金銭的負担をしてもらえる。だがこの逆は成立しない。すなわち、女性が金銭負担の義務を負う代わりに男性から享楽サービスの提供を受けるといったことはできず、男性もまた享楽サービスの提供の義務を負う代わりに女性に金銭負担してもらえる側になることができない。

 ジェンダー論の観点は社会によって構築される性役割を問題視するものであるから、性別によって決まる固定的な役割がある芸者理論の枠組み自体を問題視する。つまり、ジェンダー論の観点からは芸者理論は否定される理屈なのだ。

 では、性別によって決まる固定的な役割があるから問題なのであれば、役割を性別で固定しない形であればどうなるかを考えよう。

 さて、ここで芸者理論から性役割の固定化を無くした理論を芸者幇間理論と呼ぼう。すなわち、享楽サービスの義務と金銭負担の義務の交換にあたって男女どちらでも、享楽に関する義務を引き受ける代わりに金銭に関する義務を相手に引き受けさせてもよいし、逆に、金銭に関する義務を引き受ける代わりに相手に享楽に関する義務を引き受けさせてもよいとする理論が芸者幇間理論である。通俗的な言い回しをすれば、「楽しませてくれればカネを払うよ/楽しませるからカネを払えよ」という理屈で男女双方がデート代の奢り奢られを決める理論が芸者幇間理論である。

 この芸者幇間理論においては、相手にどちらの義務を引き受けさせて自分がどちらの義務を引き受けるのかに関して性別で固定化されていない。つまり、性別で役割が固定されていないのだから、ジェンダー論の観点からは問題が一切無い。とはいえ、ジェンダー論の観点からは問題が無ければ全ての観点でオールグリーンかといえば当然ながらそんなことは無い。

 では、どのような観点からみると問題が出てくるのだろうか。それは第二の観点「そもそも論として、その種の交換は健全なのか?」というメタレベルの観点で疑義が生じるのだ。

 芸者幇間理論は先にも述べた通り「楽しませてくれればカネを払うよ/楽しませるからカネを払えよ」という理屈である。この理屈は結局のところビジネス関係における理屈に他ならない。つまり、恋愛や交際や結婚といったプライベート領域の関係性をビジネス関係に還元していく理屈が芸者幇間理論なのだ。言ってみればパパ活やママ活といった売春類似行為に恋愛・交際・結婚等を近づけていくものであるといってよい。

 法律論のレベルではなく、もっと根本的な哲学レベルで考えたとき「売春がなぜ悪いのか?」という疑問に対する明確な答えは無い。したがって、恋愛・交際・結婚を売春類似行為に近づける芸者幇間理論を究極的な意味で間違っているとすることはできない。

 だが、現代の人々の一般的な価値観である「売春類似行為は不健全である」との価値観を議論の前提におくならば、芸者幇間理論は奢り奢られ論争における主張としては(三段論法によって)不健全な主張になるのだ。


補論2:「長幼の序」という規範意識

 「年上が奢る」「年下が奉仕する」という規範は長幼の序の規範体系の中の一つの規範である。辞書での「長幼の序」の説明を確認しよう。

ちょうよう‐の‐じょ〔チヤウエウ‐〕【長幼の序】
《「孟子」滕文公上から》年長者と年少者との間にある秩序。子供は大人を敬い、大人は子供を慈しむというあり方。

大辞泉

 辞書の説明にある通り、もともとは儒学の四書五経のなかの『孟子』で称揚されている価値観である。最近の風潮のなかでは時代遅れとされる儒教的価値観の一つが「長幼の序」なのだ。ただし、『孟子』のなかで具体的な施行規則レベルで長幼の序が規定されている訳ではなく、ざっくりとした理念として示されているだけである。したがって「年上が奢る」という施行規則レベルの規範は、日常生活に落とし込まれた形の「長幼の序」のといってよい。

 日本においては儒教的価値観はかなり希薄になりつつあるので、同じ東アジア儒教文化圏で儒教的価値観がより色濃く残存している韓国での「長幼の序」の行動様式を紹介しているネット記事を一例として示そう。

・地下鉄の優先席に若者は絶対に座らない
・年長者と年少者が食事をした際、割り勘をすることは、ほとんどなく、
 基本的に年長者が年少者の分までお金を払う

・年少者が年長者の前で、お酒を飲む時は、正面ではなく横を向いて飲む

長幼の序(ちょうようのじょ)とは?意味や使い方を解説!
言葉力~辞書よりもちょっと詳しく解説 2020/02/22 (強調引用者)

 引用文で強調した通り、「長幼の序」に基づく韓国社会の行動様式として「年長者と年少者が食事をした際、割り勘をすることは、ほとんどなく、基本的に年長者が年少者の分までお金を払う」という行動様式が紹介されている。実際問題としてそうであるかはともかく、そのように紹介したとしても事実無根とはならない程度には存在している行動様式なのだろう(※このことに関する確度は「日本社会にはバレンタインデーに女性がチョコを贈る習慣がある」と外国人に紹介されても事実無根ではないと言えるのと同等である)。

 「年上が年下に奢る」という規範に関して、本文ではざっくりと先輩後輩の関係性の義務と説明したが、その先輩後輩の関係性の義務は儒教的価値観を淵源とする義務なのである。














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