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MBTI:Te・Ti・Fe・Fiを考える

判断機能の構造

 判断機能であるTe・Ti・Fe・Fiに関して、前二者が思考に基づく判断を行い、後二者が感情に基づく判断を行うとされている。そこから、ともすれば後二者のFe・Fiを判断機能として用いる人間は"思考"していないんじゃないかとの誤解が生じることがある。勿論、そんなことはなくてFe・Fiを判断機能として用いるタイプであっても思考はしている。この4タイプは対象となる事態への判断を行う際に使用するシステムが異なっているといっていい。

 このシステムについてだが、細かく分けると認識システムと価値評価システムの二つがある。そして、少し複雑なのだが認識システムはS(感覚)やN(直観)とも結びついた認識システムとなっている。そして、この認識システムに関して、他者の感情を出力するのがFeの認識システムであり、自己の感情を出力するのがFiの認識システムであり、観念体系の外部要素を出力するのがTeの認識システムであり、観念体系の内部要素を出力するのがTiの認識システムである(註1)。

 つまり、「判断対象の事態を判断機能によって価値付ける」という、判断対象の事態を認識することをスタートとして、それを価値付けるとのゴールは同じだが、経路が異なると言っていいだろう。

 この様子を図式的に示してみよう。判断対象の事態を事態X,判断機能によって価値付けられた事態の評価を価値Vとおこう。すると、各判断機能は以下のように示すことが出来る。

判断機能Fe
事態Xー[Feの認識システム]→他者の感情ー[Feの価値評価システム]→価値V

判断機能Fi
事態Xー[Fiの認識システム]→自己の感情ー[Fiの価値評価システム]→価値V

判断機能Te
事態Xー[Teの認識システム]→外部要素ー[Teの価値評価システム]→価値V

判断機能Ti
事態Xー[Tiの認識システム]→内部要素ー[Tiの価値評価システム]→価値V

 上の図式で示した一連の心理機能の流れが、実際にどのような内容なのか具体例で考察しよう。


具体例で考える

 さて、「他人のオモチャを勝手に自宅へ持って帰ってしまった息子」に対する説諭を用いて、前節の一連の心理機能の流れを具体的に説明しよう。

 まず、Te・Ti・Fe・Fiのどの判断機能を用いても「他人のオモチャを勝手に自宅へ持って帰ってしまった事態(=事態X)」は「ダメである(=価値V)」と判断している。そこは共通であるとして考えていこう。


■Fe:外向的感情

 まず、分かり易いFeから見よう。

 Feに基づく説諭では「他人のオモチャを勝手に持ってきてはダメだよ。持ち主のお友達は悲しい気持ちになっているよ。お友達を悲しい気持ちにさせてはダメだよ」といった形で教え諭すだろう。

 この時の説諭の思考を、先の判断機能の図式に対応させて説明しよう。

 この思考においては、まず「息子がお友達のオモチャを勝手に持って帰った事態」を「(想像上の)お友達の感情システム」に入力して「お友達の悲しい気持ち」を出力させる。この一連の精神的行為が「判断対象の事態XをFeの認識システムに入力して他者の感情を出力する」という、図式化したFeの判断機能の前半部である。そして、出力された他者の感情をFeの価値評価システムに入力して事態Xに対する価値評価を出力するのが、図式化したFeの判断機能の後半部である。この一連のFeの判断機能によって「お友達の悲しい気持ちは負の価値を持つ、それゆえにオモチャを勝手にもって帰ったことはダメな行為なのだ」との理解が生まれる。

 そして、Feに基づく説諭はそのような思考と判断を息子に行わせるための説諭であると言えるだろう。


■Fi:内向的感情

 Fiに基づく説諭については、事態の認識形式がSeであるのかNeであるのかで異なる。分かり易いのは(一般的には難解である)Ne認識のFiに基づく説諭で、少し分かり難いのがSe認識のFiに基づく説諭である。そこで、まずNe認識のFiに基づく説諭を取り上げ、次にSe認識のFiに基づく説諭を説明する。

 Ne認識のFiに基づく説諭は「他人のオモチャを勝手に持ってきてはダメだよ。もし、自分のオモチャをお友達が勝手に持って帰ってしまったら悲しいだろう?息子ちゃん、キミがやったことはそれと同じことなんだよ」といった形で教え諭すだろう。

 この説諭の思考においては、息子がお友達のオモチャを勝手に持って帰ったという現実に生じた事態を一旦「所有するオモチャが無断で持ち去られる事態」と抽象化して認識させている。現実を「所有するオモチャが無断で持ち去られる事態」の一事例として認識させ、更に、自分が持ち去られる側となる場合も有り得ることを認識させる。この認識はNeによる認識である(註2)。そして、「所有するオモチャが無断で持ち去られる事態」を持ち去られる側として「自己の感情システム」に入力して「自分の悲しい気持ち」を出力させる。この一連の精神的行為が「(Neによって認識された)判断対象XをFiの認識システムに入力して自己の感情を出力する」という、Ne認識を用いたFiの判断機能の前半部である。

 そして、出力された自己の感情をFiの価値評価システムに入力して事態Xに対する価値評価を出力するのが、図式化したFiの判断機能の後半部である。この一連のFiの判断機能によって「自分の悲しい気持ちは負の価値を持つ、それゆえにオモチャを勝手に持ち去ることはダメな行為なのだ」との理解が生まれる。

 そして、Ne認識のFiに基づく説諭は、そのような思考と判断を息子に行わせるための説諭であると言えるだろう。

 次に、Se認識のFiに基づく説諭を見ていこう。

 このタイプの説諭は「他人のオモチャを勝手に持ってきてはダメだよ。お友達はオモチャを勝手に持っていかれて息子ちゃんを『嫌な子』と思っているよ。お友達に嫌われても息子ちゃんは悲しくないの?悲しくなるんだったらお友達に嫌われるようなことをしたらダメだよ」といった形で教え諭すだろう。

 この説諭の思考においては、息子がお友達のオモチャを勝手に持って帰ったという現実の事態に関して、息子視点以外の視点から見た、息子も場合によっては見ることが可能な現実の事態を示して、その視点からの事態から生じる自己の感情で判断させようとする。つまり、「お友達から嫌な子と思われる事態」を「自己の感情システム」に入力して「自己の悲しい気持ち」を出力させるというわけだ。Se認識のFiに基づく説諭に関しても後のことはNe認識のFiに基づく説諭と同様である。


■Te:外向的思考

 Teに基づく説諭では「他人のオモチャを勝手に持ってきてはダメだよ。そんなことをしたら持ち主のお友達から嫌われるよ。嫌われ者になっちゃったら息子ちゃんとは誰も遊んでくれなくなっちゃうよ。それでもいいの?」といった形で教え諭すだろう。

 この説諭の思考においては、息子がお友達のオモチャを勝手に持って帰った事態が引き起こす、幼児社会での息子に関する状態が変化する事態から判断させている。つまり、「息子がお友達のオモチャを勝手に持って帰った事態」を「息子が属する幼児社会システム」に入力して「お友達に嫌われて誰とも遊んでもらえなくなる事態」を出力させる。そして、「お友達に嫌われて誰とも遊んでもらえなくなる事態」に価値付けを行って判断を下すという思考を行わせるのである。

 前節の図式に即して説明するならば、オモチャを勝手に持って帰った事態XをTeの認識システムに入力して嫌われて遊んでもらえなくなる事態の予想(=観念体系の外部要素)を出力させる。ここまでが、Teの判断機能の前半部にあたる。そして、嫌われて遊んでもらえなくなる事態の予想をTeの価値評価システムに入力して「それはダメだ」との価値評価を出力するのが、Teの判断機能の後半部になる。

 そして、Teに基づく説諭は、そのような思考と判断を息子に行わせるための説諭であると言えるだろう。


■Ti:内向的思考

 Tiに基づく説諭では「他人のオモチャを勝手に持ってきてはダメだよ。誰にとっても『自分のモノ』は大切だ。息子ちゃんだって自分のオモチャは大切だろう?パパだってパパの持ち物は大切だ。ママもそうだ。お友達だってお友達のオモチャが大切なんだよ。だから、お友達のオモチャを勝手に持って帰ってはダメなんだよ」といった形で教え諭すだろう。

 この説諭の思考においては、息子がお友達のオモチャを勝手に持って帰った事態を「持ち物についての約束事=所有権」から判断させている。言い換えると、「息子がお友達のオモチャを勝手に持って帰った事態」を「所有についての概念システム」に入力して「所有についての約束事に違反している事態」と出力させている。そして、「所有についての約束事に違反している事態」に価値付けを行って判断を下すという思考を行わせている。

 前節の図式に即して説明するならば、オモチャを勝手に持って帰った事態XをTiの認識システムに入力して約束事に違反しているとの認識(=観念体系の内部要素)を出力させる。ここまでが、Tiの判断機能の前半部にあたる。そして、約束事に違反していることをTiの価値評価システムに入力して「それはダメだ」との価値評価を出力するのが、Tiの判断機能の後半部になる。

 このとき、発達段階に応じて所有の概念システムついての思考はもっと詳細に高度になっていくが、基本は変わらない。また、S-Nでの認識の違いは現実からのメタ的な距離の違い、あるいは概念システムの単純さ-複雑さの度合いに現れるが、やはり基本的な部分は変わらない。つまり、この場合では「他人の所有物を無断で持ち去るという行為そのもの」について思考することがTiである。

 そして、Tiに基づく説諭は、そのような思考と判断を息子に行わせるための説諭であると言えるだろう。


最後に

 MBTIの心理機能は知覚機能「Se・Si・Ne・Ni」と判断機能「Fe・Fi・Te・Ti」に分かれる。「Se・Si・Ne・Ni」といった知覚機能の違いは認識の形式の違いとなるが、その知覚機能に認識対象となる事態から何を認識させるかは判断機能の「Fe・Fi・Te・Ti」が決定しているように思われる。

 事態を認識して価値評価するという一連の心理機能は、「事態→価値」という変形を精神世界において行っている。つまり、スタートとゴールはどの判断機能でも同じである。しかし、途中で経過するものが「Fe・Fi・Te・Ti」でそれぞれ異なる。

 本稿の考察結果はありきたりな結果といってよいものだが、一応の整理にはなったと私的には評価している。



註1 Teの認識システムが出力する観念体系の外部要素・Tiの認識システムが出力する観念体系の内部要素が何を指しているのかは、以下の私のnote記事を参照されたい。


註2 心理機能の小文字「eとi」が何を指しているのか、以前にnoteで考察した。その考察の肝となる部分を提示しよう。

e:視点の空間移動は自由だが、時間移動は制約的である
i:視点の時間移動は自由だが、空間移動は制約的である

 e型はタイムシリーズ分析よりクロスセクション分析に関心があり、逆にi型は、クロスセクション分析よりタイムシリーズ分析に関心がある。e型は共時的視点、i型は通時的視点を重視しているとも言える。つまり、"全体"に対する意識の基本的な方向が、空間的全体に向かうのがe型で、時間的全体に向かうのがi型である。すなわち、時間的視点を固定して空間的視点を変化させて全体像を掴もうとするのか、空間的視点を固定して時間的視点を変化させて全体を掴もうとするかの違いである。

MBTI:「NeとSe」および「NiとSi」 丸い三角 note

 このことを踏まえて、本文でみた「現実を『所有するオモチャが無断で持ち去られる事態』の一事例として認識させ、更に、自分が持ち去られる側となる場合も有り得ることを認識させる」がNeであることを確認しよう。

 空間的全体を把握しようとする「他の場合だとどうなっているのか」という意識の方向はe型が向かう意識の方向である。したがって、現実に生じた「自分が持ち去る側で相手が持ち去られる側」だけでなく、「自分が持ち去られる側で相手が持ち去る側」に意識を向ける場合、それはe型が向かう意識の方向といってよい。また、現実を一旦「所有するオモチャが無断で持ち去られる事態」という抽象化した形で捉える為にN型の意識の方向であるとも言える。それゆえ、この時の認識はNeであると考えられるのだ。





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