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AIの作文だわ、コレ

 前回批判した自称フェミニストが立て続けにnote記事を出した。まぁ、それ自体はよくあることだ。そして、主張の妥当性はともかく当初は随分と言いたいことが溜まっているんだなとの印象を受けた。

 しかし、過激な主張内容からすると論調がヘンなのである。いや、「過激な主張内容+浅薄なフェミニズム理解と拙い論理展開+丁寧な口調+通念として正しいとされている事柄以外ではなるべく断定を避ける」といった組み合わせに違和感を感じるといっていい。それというのも、他者に何かを主張するとき、内容が社会通念として正しいとされることから外れて過激な内容となればなるほど、主観的な正しさの確信は強いものだからだ。しかし、何本か同一の筆者の記事を読んでも、過激な主張の主観的な正しさの確信を感じられない。

 もちろん、専門的見地からはトンデモな主張を、ゆるふわな正しさの確信度合いで主張する人間が居ないでもない。しかし、その場合は素人目線では妥当に思えるだろうな、という主張である場合が殆どである。

 主張が過激であることが明らかな程「オマエ言っていることは間違っているんだよ」という相手の反論が予想されるものだ。というよりも、他者に何事かを主張するという行為は、大抵の場合に何かに対する反論として主張するものだ。つまり、明示するかどうかはともかく「自分が言っていることは正しい!他の人間が間違っているんだ!」と主張せんが為に行われる。このことは、主張が過激であればあるほど、主観的には「他の人間が間違っている度合いが大きい」ことを意味する。そして、「他者が大きく間違っている」との認識が生まれるためには、少なくとも主観的には確固たる根拠がなければならない。ゆるふわな根拠だとそこまでの認識には至らないからだ。

 ところがである。問題の自称フェミニストの記事からは、その過激な主張を信じ込むに足る、主観的な正しさの根拠が見当たらない。

 このときの主観的な正しさの根拠について説明しておこう。

 客観的に信じるに足るであろうデータや理論あるいは論理的に筋道の通った理屈といった、第三者から見ても「それが正しいと確信している」ことが妥当であると判断できるものが最良である。とはいえ、そういった他者から見た妥当性は主観的な正しさとはまた別物である。「尊師がそう仰っているからだ」といった信仰を共有しないときには第三者の視点からは狂人の弁としか思えないものであっても、尊師に対する強固な信仰に支えられているならば、尊師の言葉は当人にとっては主観的な正しさの強固な根拠となる。

 過激な内容の主張を行っている場合には、客観的データや論理的思考、強烈な個人的体験や激しい感情、偏った強固な思想や宗教、難しい思考が出来ない知的能力から導かれた信念といった主観的に正しいと確信する何らかの当人にとっての根拠が存在する。

 しかし、前回批判した自称フェミニストに関しては、過激な主張の記事であっても、上記の主観的な正しさの根拠が見当たらない。一つ二つの記事に限定すれば、フェミニズムという人間の知能を大幅に下げる思想に被れたせいで愚かしい主張をしているのかなと解釈できる。

 まぁ、フェミニズムに頭からつま先までドップリと浸かると信じがたい程にバカになるのでなかなかに判断が難しい。ただ、そこまで病状が進むと、何についても「やだやだやだー。アタチのゆうとおりにしろ!」といっているだけの赤ちゃんになっているので、その幼児性癇癪から断定口調になっていること多く、当人が主観的に正しいと考えている根拠の存在を強く感じさせる。

 しかし、問題の自称フェミニストは全てに関して過激な主張をしているにもかかわらず、フェミニズムにドップリ浸かった人間特有の幼児性癇癪から断定口調が見られない。しかし、「正しい」と判断することが第三者的に見て妥当と見做せるような、客観的データも整合的かつ論理的な思考も見られない。

 また、当該自称フェミニストが用いている「語彙や文体」に関して、ChatGPTが用いる語彙や文体が多用されている。

 以上、過激な内容を持つ主張を行う人間であれば持つであろう主観的正しさの根拠の不存在・頻繁な更新頻度・使用された語彙や文体から推測して、当該自称フェミニストはAIに記事を出力させていると見做せる。

 前回記事において「多くの女性が同じ仕事に対して男性よりも低い賃金を受け取っています」というトピックへの批判以外は、次回に行うと予告したが、AIが書いた記事を真面目に取り扱うことに意義をあまり見いだせないので、予告は撤回することにする。

 因みに、AI記事であろうと判断したトンデモ内容の記事は以下である。


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