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MBTI:代替機能と各タイプの弱点

 この記事は以下の記事「MBTI:最悪期・回復期の心理機能とタイプ」の続編である。

 前回の記事で以下のように述べた訳だが、代替機能との関係性については触れなかった。本稿では代替機能と代替機能で認識される対象と各タイプの関係について見ていきたい。

この劣勢機能(と主機能)で認識した「自分に足りないもの」を得ようとある程度主体的に動くようになると、回復期に移行する。言い換えると、この劣勢機能によって認識された「自分に足りないもの」を回復期に得ようとするという意味で考えても、劣勢機能について考察することは重要である。

「MBTI:最悪期・回復期の心理機能とタイプ」 丸い三角


■各タイプの弱点

 各タイプは、どうも代替機能の心理機能でモニターされる対象が弱点となるよう見受けられる。すなわち、以下の心理機能がモニター対象しているものである。

 【P型】   【弱点】       【具体例】
ESTP・ENTP:Feのモニター対象:好感度または評判・周囲の雰囲気
ESFP・ENFP:Teのモニター対象:社会通念・序列・記号的消費
ISTP・ISFP   :Niのモニター対象:目標・目的・将来像・人生観
INTP・INFP :Siのモニター対象:個人的体験・個人の生活

 【J型】   【弱点】       【具体例】
ESTJ・ESFJ:Neのモニター対象:大義名分・主義・思想・宗教
ENTJ・ENFJ:Seのモニター対象:能力・ステータス・資産・収入・地位
ISFJ・INFJ  :Tiのモニター対象:個人の信念・信条
ISTJ・INTJ :Fiのモニター対象:個人の快不快・感情

 最悪期の精神状態との関係でいうと、劣勢機能のモニター対象が意識されていくなか、その意識された対象からの視点で代替機能のモニター対象を見返し、「それが損傷している、あるいは損傷しそうになっている」と判断し、回復期に回復させようとする。そして、この回復期においては代替機能で直接に弱点をモニターしながらの行動・思考するようである。

 これから、なぜそのようになるのかについての仮説を提示しよう。また、各タイプの最悪期から回復期の移行段階についても詳しく見ていきたい。


■心理機能という8つのカメラと注視しているカメラと弱点

 MBTIおよびユングのタイプ論では心理機能は8種類ある。この心理機能はカメラに例えることが出来るだろう。つまり、人間の心には8つのTVカメラがあってそれぞれ別な対象を撮影している。しかし、普段の生活においてはそのカメラからの映像を1つ(ユングのタイプ論)または2つ(MBTI)しかチェックしていないと考える。ユングのタイプ論ではメインにモニターしているカメラ(=心理機能)別に8タイプの人間がいるとし、MBTIでは「一方が"外的"なら他方は"内的"、また一方が"知覚機能"なら他方は"判断機能"となる組」となるメインとサブの2つのカメラの組で人間を16タイプに分けている。

 更に、この8つのカメラには各タイプ毎に1~4位と選外の序列があって、1位から4位までにはそれぞれ主機能・補助機能・代替機能・劣勢機能と名付けられている。多くの場合は機能として高水準のものから順番に序列が付くようであるが、必ずしも序列と機能としての能力水準が対応している訳ではない点には注意が必要である。

 MBTIの心理機能理論においては、各タイプが人生において重視している価値の序列に対応して心理機能も序列付けられると考える。しかし、通常の精神状態においては、2つの心理機能から知覚・判断しているとのことである。先のカメラの譬えで説明する。1位と2位の重要な価値は普段の状況で対応した2つのカメラでモニターしている。しかし、3位以降の価値は普段の状況では対応したカメラは設置されているもののモニターしていない。

 したがって、1・2位に序列付けられた価値は普段からモニターされているために問題は生じにくい。しかし、3位に序列付けられた価値は、それなりに重要であるにも関わらず、普段はモニタリングされていないのだ。それゆえ、その価値が知らぬ間に劣化しているという場合があり、3位に序列付けられた価値が弱点となるように思われる。


■最悪期から回復期への移行期

 先に触れた以下の最悪期から回復期の移行期の精神状態での行動について考えよう。

劣勢機能のモニター対象が意識されていくなか、その意識された対象からの視点で代替機能のモニター対象を見返し、「それが損傷している、あるいは損傷しそうになっている」と判断し、回復期に回復させようとする。

 これは、代替機能のモニター対象を「代替機能である心理機能で直接的に認識する」ことから逃げるために生じるのではないかと思われる。つまり、惨状を直視するには耐えかねて間接的に認識しようとする心の働きではないかと思われる。いわゆる防衛機制の「合理化」の結果ではないかと考えられる。

 この辺の「合理化」の行動は日常的な行動でもよく見られる。例えば、(BL本やちょっとHな内容の漫画のような、ちょっと後ろめたい内容の)マンガ自体への興味関心で読みたくて仕方ないにも関わらず、「このマンガを知らないとみんなの話題についていけなくなるから」と誰に言い訳するでもない言い訳を内心で呟きつつマンガを読む行動がそれである。

 実際に最悪期から回復期への移行期に様子をISFPを具体例にとって見てみよう。

 彼らの心理機能について「代替機能Ni・劣勢機能Te」である。また、彼ら自身としてはNiの認識対象である目標やヴィジョンあるいは人生観といったものを価値の序列3位にする程度には重視している。しかし、普段においてはそれらの状況をモニターしていない。そして、いざ精神状態が最悪の状態になったとき、「目標やヴィジョンあるいは人生観」の惨状に気づくのだ。だがその惨状を直視できる程には精神状態が宜しくない。そのため、劣勢機能の認識対象の視点からワンクッション挟んで「目標やヴィジョンあるいは人生観」を評価するという訳である。つまり、本当は「結構、いい加減な目標やヴィジョンあるいは人生観で、しっかり考えてこなかったかも」と自分自身が思っているにも拘らず、「社会通念や常識あるいは慣行といったもので、自分の人生の目標やヴィジョンは歪められた」といった独特の思考を移行期はするのである。そして、回復期になると言い訳抜きにNiで直接モニタリングしながら「目標やヴィジョンあるいは人生観」を確立し直すのである。

 もっとイメージし易いのはINTPだろう。

 INTPの心理機能は「代替機能Si・劣勢機能Fe」である。彼ら自身はSiの認識対象である個人的体験や個人の生活を価値の序列3位に置く程度に重視している。しかし、普段はそれらの状況をモニターしていない。だが、いざ精神状態が最悪の状態になったとき、自分の体験や生活の惨状―—ボッチで単調な生活や整理整頓できていない部屋あるいはダサいファッションなど――に気づくのだ。とはいえ、最悪期は惨状を直視できる程には精神状態が宜しくない。そこで、劣勢機能の認識対象の視点からワンクッション挟んで「個人的体験や個人の生活」を評価する。本当は「整理整頓された部屋でファッショナブルな服装をしてそこそこ他人とも交流するマトモな生活をしたい」と自分自身が思っているにも拘らず、「周囲がやいのやいのと煩い。やいのやいの言われる私生活というものは望ましくない。だから、マトモな生活をして服にも気を使わなきゃ」といった独特の思考を移行期はするのである。あるいは、劣勢機能の認識対象の視点をより強烈に受け取って、「周囲の評価や雰囲気を忖度し過ぎて、自分の好きなように生きていなかった。だから、今後は趣味を全開にして生きていこう」といった"INTP=オタク"のイメージ通りの考え方をするようになる。そして、回復期になると言い訳抜きにSiで直接モニタリングしながら「マトモな生活」を確立し直す、あるいは逆に突き抜けるように「趣味の生活」に没頭するのである。

 さて、INTPを例にとったのでイメージし易いと思うが、INTPが改心してマトモな生活やファッションをしようとしても、どことなくキチッとしておらず、なんとなくダサい。つまり、代替機能の心理機能の水準など高が知れている。

 INTPのダサさは現実世界のダサさなので他のタイプから見ても分かり易い。一方で、Ne-TiやNe-Fi、Ti-NeやFi-Neが代替機能-劣勢機能にくる連中の観念世界のダサさは理解されにくい。しかし、理解できる人間にとっては彼らのダサさは筆舌に尽くし難い。NTが主機能・補助機能にある人間なら理解してもらえると思うのだが、彼らの観念世界での振舞は、現実世界でダサい兄ちゃんが雑誌で紹介されたデートプランを鵜呑みして似合ってもいないブランド服を着て「オレってイケてる」と勘違いしているのと同様だ。トッポイ兄ちゃんが現実世界ではしゃいで回ることは稀に見かける程度なのだが、借り物の思想を振り回して、ご都合主義丸出しの考えや感情が正義の考えや感情であるように振る舞う連中には反吐が出る。

 まぁ、その辺はさておき、これから各タイプについて詳しく見ていくことにしよう。


ESTP・ENTP(代替機能Fe)の行動と認識

タイプ 主機能 補助機能 代替機能 劣勢機能
ESTP   Se    Ti    Fe    Ni
ENTP     Ne      Ti    Fe    Si

 ESTP・ENTPは代替機能Feがモニターする「好感度または評判・周囲の雰囲気」が弱点となり易い。ESTPがオラついた雰囲気を持っているのも、ENTPが冷笑的・挑発的雰囲気を見せるのも、Feのモニター対象を防衛する為なのかもしれない。

■ESTPの場合

 ESTPは最悪期に目標・ヴィジョン・将来像あるいは人生の意味を持ち出して嘆き出す。ただし、以前のnote記事でも触れたようにESTPが持ち出すNiのモニター対象はペラペラの内容しかない。典型的には長渕剛が『とんぼ』で歌う「俺はBigじゃなかった」のような、気持ちは分かるが内容が無い嘆きがそれである。その何とも曖昧なNiのモニター対象と主機能Seが認識しているクッキリとした対象を比較して怨嗟の声を漏らす。

 最悪期から回復期への移行期に、(優秀なSeと)ヘッポコNiが認識した「俺はBigじゃなかった」の視点から、Feのモニター対象である「好感度または評判・周囲の雰囲気」の惨状に関して理由付けを行う。つまり、「Bigじゃなかったから、俺はナメられているんだ」「自分の将来が真っ暗と思われているから、バカにされているんだ」といった因果の枠組みで事態を捉えようとする。

 奇妙なことにESTPは回復期において、一つ前の段階で捉えた因果の枠組みを踏まえては行動しない。ESTPが奇妙というより、このフェイズの奇妙さとも言えるのだが、先だって捉えた枠組みでの「原因を改善して結果を良くする」という方策を取らないのである。ダイレクトにFeのモニター対象である「好感度または評判・周囲の雰囲気」を自分の望む方向に持っていこうとするのである。

 先に挙げた具体例で説明すると、「自分の将来が真っ暗と思われているから、バカにされているんだ」と移行期に捉えたにも拘らず、原因と認識された「将来の真っ暗さ」を改善しようとするのではなく、結果と認識された「周囲がバカにしている」ことに直接アプローチするのである。「お前らバカにすんな!」と威圧して自分をバカにする雰囲気を消し去ろうとするのか、周囲への気遣いをこまめにすることで好感度を稼いで評判を得ようとするのか、取る手段は様々なのだが移行期に認識した因果の枠組みとは無関係なアプローチとなる。ただし、そんな直接的アプローチが妥当なのかどうかはケースバイケースである。すなわち、妥当であることもあれば妥当でないこともある。

■ENTPの場合

 ENTPは最悪期には身の周りの状況・個人的体験・プライベートな生活を持ち出して嘆き出す。ただし、前回記事でも触れたようにESTPが持ち出すSiのモニター対象に対する評価はイマイチだ。悲観的過ぎる、あるいは逆に楽観的過ぎる場合が多い。その何とも曖昧なSiのモニター対象と主機能Neが認識しているクッキリとした対象を比較して諦念の境地に至る。彼らの披露するNeからの見解は社会構造―—日本の学歴社会や企業社会の構造―—を的確に掴んでいることが多く、成程と感心することも多い。しかし、その社会構造に対して自らの生身の生活を位置付けることに失敗しているケースがかなり見受けられる。防衛機制で言えば「知性化」を多用し、自分事であるにも関わらず評論家的態度で無気力になってしまうのだ。

 最悪期から回復期への移行期に、(優秀なNeと)ヘッポコSiが認識した「自分の身の周りの状況はもはや詰んでいる」の視点から、Feのモニター対象である「好感度または評判・周囲の雰囲気」の惨状に関して理由付けを行う。つまり、「自分はもう詰んでいるから、周囲からバカにされているんだ」といった因果の枠組みで事態を捉えようとする。

 回復期における奇妙さはENTPについても同様である。すなわち、移行期で捉えた因果の枠組みを踏まえてはENTPも行動しないのだ。つまり、「原因を改善して結果を良くする」という方策を取らない。ENTPも回復期にはダイレクトにFeのモニター対象である「好感度または評判・周囲の雰囲気」を自分の望む方向に持っていこうとするのである。

 先に挙げた具体例で説明すると、「自分はもう詰んでいるから、周囲からバカにされているんだ」と移行期に捉えたにも拘らず、原因と認識された「詰んでいる身の周りの状況」を改善しようとするのではなく、結果と認識された「周囲がバカにしている」ことに直接アプローチするのである。「自分の凄さ」を周囲に示して周囲の評価を向上させようとする、周囲への気遣いをこまめにすることで好感度を稼いで評判を得ようとする等々、採用する手段は様々なのだが移行期に認識した因果の枠組みとは無関係なアプローチとなる。もちろん、そのようなENTPの直接的アプローチが有用である場合も少なくはないのだが、移行期との認識の関係で言えばあまり関係が無い方策である。


ESFP・ENFP(代替機能Te)の行動と認識

タイプ 主機能 補助機能 代替機能 劣勢機能
ESFP   Se    Fi        Te     Ni
ENFP     Ne      Fi        Te     Si

 ESFP・ENFPは代替機能Teがモニターする「社会通念・序列・記号的消費」が弱点となり易い。ESFPやENFPがファッショナブルで流行に敏感であるのは、代替機能Teのモニター対象でもある、ライフステージ上での課題達成を無意識に希求してるからなのかもしれない。

■ESFPの場合

 ESFPは最悪期には目標・ヴィジョン・将来像あるいは人生の意味を持ち出して悲嘆にくれる。ただし、前回記事でも触れたようにESFPが持ち出す劣勢機能Niのモニター対象は在り来りで凡庸な内容のものしかない。そのうち進学して、そのうち就職して、そのうち結婚して、そのうち子供育てて、・・・といったお決まりのライフステージをボンヤリとした形で認識しているに過ぎない。その何とも曖昧な劣勢機能Niのモニター対象と主機能Seが認識しているクッキリとした対象を比較して「なんでそうじゃないんだろう、なんでそうしなかったんだろう?」と泣き言を漏らす。

 最悪期から回復期への移行期に、(優秀なSeと)ヘッポコNiが認識した「ライフステージ上の課題達成状況」の視点から、代替機能Teのモニター対象である「社会通念からの見た現状・序列から見た現状・記号的消費から見た現状」に関して理由付けを行う。言い換えると「ちゃんと真面目に人生を送らなかったから、他の人が出来てることができていないんだ」といった因果の枠組みで事態を捉えようとする。つまり、Niが劣勢機能であるが故の、しっかりした目標・目的・将来像・人生観に基づく戦略的行動の欠如が、代替機能Teが観取する「社会通念・序列・記号的消費から見た現状」に繋がっていると認識する。

 しかし、回復期においてESFPも他のタイプと同様に、移行期で捉えた因果の枠組みを踏まえては行動しない。「原因を改善して結果を良くする」という方策を取らない。ダイレクトに代替機能Teのモニター対象である「社会通念・序列・記号的消費から見た現状」を自分の望む方向に持っていこうとする。しっかりした目標・目的・将来像・人生観に基づく戦略的行動の欠如から現状になっているなら、今からでも目標・目的・将来像・人生観をシッカリもって人生を歩めばいいのにと他の(タイプの)人間から思われようとも、その方向でESFPが行動するケースはあまり無い。

 ESFPは代替機能Teがモニターする「社会通念・序列・記号的消費から評価する不満のある現状」を将来的な視点抜きにがむしゃらに達成しようとする。手当たり次第に就活・婚活・妊活・子供のお受験等々に突撃する。また、相対的上位ならライフステージ上の課題を達成しているだろうとの考えでハイクラスを大した考えもなく目指したりする。あるいは、ライフステージ上の課題を正面突破できないようであれば、ブランド品購入や美容整形、あるいは衒示的消費としての外食や旅行に走り、マウント合戦を開始する。

 ここでESFPの回復期の傍迷惑な行動に関する注意をしておこう。ESFPの回復期の傍迷惑な行動として記号的消費としての恋愛ないしは性愛がある。つまり、がむしゃらな正面突破では獲得できないライフステージ上の課題の代償として「異性と恋愛ないしは性愛活動ができ得る(というある種の通念から価値の認められる)現状」を獲得しようとするのだ。具体的には異性をとっかえひっかえしようとする、あるいは不倫に走ろうとする事がある。

 感情を重視するESFPのイメージからすると意外性があるのだが、彼らはしばしばそんな迷惑な行動をとる。

■ENFPの場合

 ENFPは最悪期には身の周りの状況や生活・個人的体験・プライベートな関係性を持ち出して落胆する。ただし、ENFPが持ち出す劣勢機能Siのモニター対象に対する評価は不正確だ。悲観的過ぎる、あるいは逆に楽観的過ぎる場合が多い。その何とも曖昧な劣勢機能Siのモニター対象と主機能Neが認識しているクッキリとした対象を比較して疎外感に襲われる。彼らの主機能Neによって広がる社会の紐帯に対する意識は驚く程である。しかし、その社会の紐帯に対して自らの生身の生活を位置付けることに失敗しているケースがかなり見受けられる。自他の境界が曖昧なのだ。

 最悪期から回復期への移行期に、(優秀なNeと)ヘッポコSiが認識した「自分の身の周りの状況や生活・個人的体験・プライベートな関係性」の視点から、代替機能Teのモニター対象である「社会通念・序列・記号的消費から見た現状」に関して理由付けを行う。つまり、「自分の身の周りの状況や生活・個人的体験・プライベートな関係性が良くないから、社会通念・序列・記号的消費から見た現状が良くない」といった因果の枠組みで事態を捉えようとする。

 しかし、回復期においてENFPも他のタイプと同様に、移行期で捉えた因果の枠組みを踏まえては行動しない。「原因を改善して結果を良くする」という方策を取らない。ダイレクトにTeのモニター対象である「社会通念・序列・記号的消費から見た現状」を自分の望む方向に持っていこうとする。

 自分の身の周りの状況や生活・個人的体験・プライベートな関係性が良くないから現状の有様になっているなら、それらを大切にすることで状況の改善を図ればいいのにと他の(タイプの)人間から思われようとも、その方向でENFPが行動するケースはあまり無い。

 ENFPは代替機能Teがモニターする「社会通念・序列・記号的消費から評価する不満のある現状」を生活者としての視点抜きにがむしゃらに達成しようとする。手当たり次第に、社会通念から良いとされる体験、ハイクラスな体験、記号的消費の視点からみて高水準の現状を実現しようとする。そこには、彼らが普段の状態において大切にしているように見える、Fiがモニターする価値を無視しているように感じられる。

 ESFPだけでなくENFPもまたの傍迷惑な行動として記号的消費としての恋愛ないしは性愛活動をすることがある。がむしゃらな正面突破では獲得できない「社会通念・序列・記号的消費から評価する不満のある現状」の代替品として記号的な恋愛や性愛をしようとすることがある。つまり、回復期の迷惑行動としてESFPとENFPは異性をとっかえひっかえしようとする、あるいは不倫に走ろうとする事がある。


ISTP・ISFP (代替機能Ni)の行動と認識

タイプ 主機能 補助機能 代替機能 劣勢機能
ISTP   Ti    Se    Ni    Fe
ISFP      Fi       Se      Ni    Te

 ISTP・ISFPは代替機能Niがモニターする「目標・目的・将来像・人生観」が弱点となり易い。ISTPが個人の技量、ISFPが個人の感情を重視し、補助機能Seで今の現実を見据えて堅実であるのは、代替機能Niのモニター対象でもある、目標・目的・将来像・人生観などが多少不出来でもいくらでもカバーがきくと考えているからなのかもしれない。

■ISTPの場合

 ISTPは最悪期には周囲の自分に対する好感度または評判・周囲の雰囲気を持ち出して憤慨する。ただし、ISTPが持ち出す劣勢機能Feのモニター対象の解像度は低い。ISTPは周囲から自分が誤解されて不当に低い評価を下されていると感じ、周囲が何となく自分が進む方向に反対しようとしていると思い込む。解像度の低いFeのモニター対象と主機能Tiが認識しているクッキリとした疑いようのない信条を比較して「なぜ周囲は分かってくれないのか」と憤る。

 最悪期から回復期への移行期に、優秀なTiとヘッポコFeが認識した「自分が正しいと信じる信条と周囲の誤解や同調圧力」の視点から、代替機能Niのモニター対象である「目標・目的・将来像・人生観」における問題の理由付けを行う。つまり、「今の自分の目標・目的・将来像・人生観は、周囲の誤解や同調圧力によって妥協させられて歪められたものだ」といった因果の枠組みで事態を捉えようとする。

 しかし、回復期においてISTPは、移行期で捉えた因果の枠組みでみて迂遠な行動はとらない。すなわち、周囲の理解と納得を得ることによって周囲からの応援と協力のもと「目標・目的・将来像・人生観」の実現を図るのではなく、ダイレクトに「目標・目的・将来像・人生観」から妥協を排して自分が正しいと考える形に変えようとするのだ。

 ただし、ISTPが立案した彼らの「目標・目的・将来像・人生観」に関して、そもそも周囲の協力が必要である場合がある。そのときの周囲からの協力できる範囲の提示を、周囲に自分に対する低評価や誤解に基づく反対の表れ――嫌がらせ行為―—のようにISTPが誤認してしまっていることがある。そのようなとき、独善的に「目標・目的・将来像・人生観」の精緻化にISTPが突き進むことがある。しかし、それはその計画の要素の一つ「周囲からの協力できる範囲」を逸脱するために、不適切なものとなっているケースが少なくない。

■ISFPの場合

 ISFPは最悪期には劣勢機能Teが認識する社会通念・序列・慣行を持ち出して憤慨する。このときISFPが持ち出すTeの認識は一面的であることが少なくない。

 意外に思うかもしれないが、ISFPは常識や社会通念あるいは習慣をあまり深く考えない。厳然と存在しているオフィシャルな現実をシッカリと知覚する補助機能Seによって、ISFPは「常識や社会通念あるいは習慣」に対する理解が無くとも、自分が置かれている現実に合わせて行動できるために、常識や社会通念あるいは習慣に対する理解があるかの如くに振る舞うことができる。このことはISFPと社会通念・常識・慣行の関係を理解する上で重要なポイントである。

 さて、ISTPは最悪期において、自分に押し付けられる社会通念・常識・慣行の存在が自分の本当にやりたい事を阻んでいると感じて怒り狂う。世の中の訳の分からない桎梏によって自分の人生が雁字搦めになっていると憤懣遣る方なく感じている。普段から機能している主機能Fiと、最悪期に働くパートタイマーである低い性能の劣勢機能TeとがISFPにそのような認識を齎す。

 最悪期から回復期への移行期に、(優秀なFiと)ヘッポコTeが認識した「自分に押し付けられる社会通念・常識・慣行の存在」の視点から、代替機能Niのモニター対象である「目標・目的・将来像・人生観」で生じた問題の理由付けを行う。つまり、「今の自分の目標・目的・将来像・人生観は、社会通念・常識・慣行によって妥協させられて歪められたものだ」といった因果の枠組みで事態を捉えようとする。

 移行期で捉えた因果の枠組みで考えても、原則的に「社会通念・常識・慣行」に挑戦することには労多くして益少ないため、回復期のISFPが採用する「目標・目的・将来像・人生観」の変更は望ましいものと言えるだろう。

 この事に関して、従来において最悪期および移行期のISFP(およびINFP)の人達の悩みに関して共感が得やすい状態だったのは、「やりたい事がやれない・やりたくない事をやらなければならないようなとき、社会通念・常識・慣行あるいは現実的制約によって当たり前として飲み込まされる」との状況は誰しも身に覚えのあるので、その諦念が共有できるからである。このような諦念は文学でもよくテーマになる。

 そして、社会に対して反抗する若者時代を除いて、ISFPの人達の「目標・目的・将来像・人生観を変えなければ」との意識(INFPであれば「自分の身の回りの状況やプライベートな在り方を変えなければ」との意識)は、他者からの反発を非常に買いにくいのだ。

 ただし、最近カスみたいなISFPを量産する典型的な思想にフェミニズムがある。フェミニズムが「女性が不幸なのは男尊女卑という社会の常識のせい」という形で、ISFPが事実誤認だろうがなんだろうが現実的制約や社会通念や常識に文句垂れる口実を与えたのた。

 例えば、古代日本史の博士号に関して見てみよう。史学専攻は死学専攻(しかも古代日本史!)と揶揄されるくらい研究者となるのが難しい(アカデミックなポストは極少数で民間の研究者ポストはほぼゼロ)。毎年の博士号取得者と研究者空ポストの乖離が絶望的水準なのが史学専攻である。男女関係なく博士号を持っていても食えないのが史学専攻である。このとき、アカポスを得ることのできなかった史学専攻の女性博士が居たとしよう。この女性自身は業界の状況を知っているのでフェミニズムを持ち出して自身の境遇を誤認したりはしない。問題はこの女性博士を引き合いに出して、努力が実らない現状を「男尊女卑の常識のせい」にするフェミニスト共である。

 自らの境遇に関して事実誤認のまま「常識や社会通念のせいにする」ことは通常は望ましい事ではない。しかし、事実誤認だろうがなんだろうが(男尊女卑的な)常識や社会通念のせいにする行為を持て囃す思想がある。それがフェミニズムだ。そんな風潮を受けて、女性に押し付けられたジェンダーの概念―—社会通念・常識・慣行の一種―—に関して、(精神状態が宜しくない、あるいはそれを引きずった)ISFPが振り回すときは大抵ヘッポコTeからのいい加減な認識のものが多い。ちっとは脳みそ使って考えろ。


INTP・INFP (代替機能Si)の行動と認識

タイプ 主機能 補助機能 代替機能 劣勢機能
INTP   Ti     Ne      Si     Fe
INFP      Fi          Ne            Si             Te

 INTP・INFPは代替機能Siがモニターする「個人的体験・個人の生活」が弱点となり易い。ISTPやISFPが個人の思考や感情を重視し、現実世界を離れて観念世界に拘るのは、Siのモニター対象でもある、個人的体験・個人の生活が生じさせる不満への逃避先として重要だからだろう。

■INTPの場合

 INTPは最悪期には周囲の自分に対する好感度または評判・周囲の雰囲気を持ち出して憤慨する。ただし、INTPが持ち出す劣勢機能Feのモニター対象の解像度は低い。INTPは周囲から自分が誤解されて不当に低い評価を下されていると感じる。周囲が何となく自分をバカにしていると思い込む。解像度の低いFeのモニター対象と主機能Tiが認識しているクッキリとした疑いようのない信条を比較して「なぜ周囲は分かってくれないのか」と憤る。

 最悪期から回復期への移行期に、(優秀なTiと)ヘッポコFeが認識した「自分が正しいと信じる信条と周囲の誤解や同調圧力」の視点から、代替機能Siのモニター対象である「個人的体験・個人の生活」に関して理由付けを行う。つまり、「自分の個人的体験・個人の生活は、周囲の誤解や同調圧力によって妥協させられて歪められたものだ」といった因果の枠組みで事態を捉えようとする。

 回復期においてINTPは、移行期で捉えた因果の枠組みで見たときの原因であった「周囲の自分に対する好感度または評判・周囲の雰囲気」を改善するような行動はとらない。もっぱらSiがモニターする「個人的体験・個人の生活」の変革に向かうのだ。

 ただし、このnote記事の最初で触れたように、INTPが私生活を変革しようとする方向としては2方向あって、真人間の生活となるべく改善するマトモな方向と趣味に走ってオタクとなる困った方向がある。これは、「個人的体験・個人の生活」に対して「周囲の自分に対する好感度または評判・周囲の雰囲気」がどのように害を齎したのかに対するINTPの認識の違いから生まれるのだろう。

 身の周りの状況に対する周囲の外的影響力を問題視するのが、INTPの真人間化の方向での私生活の改善である。つまり、INTP自身の価値観からはクソどうでもいい生活上のトピックで周囲が責め立ててくる事がINTPが重視する生活の静謐を乱すので、周囲がワーワー言ってこない程度には取り繕おうと考えるのだ。

 一方、身の周りの状況に対する周囲の内的影響力を問題視するのが、INTPのオタク化の方向での私生活の変化である。周囲がワーワー言ってこない程度に私生活を取り繕っていたために個人的体験・個人の生活が不満足な状態なのだと考え、タガが外れたかのように趣味の生活に突っ走るのである。

 まぁ、INTPの劣勢機能Feの能力は大抵クソ雑魚ナメクジなので、周囲がINTPの身の周りの状況に苦言を呈するのは不当でもなんでもなく至極妥当な場合であることが多い。つまり「周りがワーワー言って煩い」と感じるINTPの感覚の方がおかしいケースが殆どだ。また、周囲からの評判や周囲の無言の圧力で「私生活が抑圧されて趣味を堪能する生活が過ごせていない」というのもただの被害妄想であったりする。そんなわけで、INTPは意識して周囲の声をちゃんと聴くようにした方がいい。

■INFPの場合

 INFPは最悪期には社会通念・常識・序列・記号的消費・流行を持ち出して嘆く。ただし、このときISFPが持ち出す劣勢機能Teの認識は一面的であることが少なくない。なぜならINFPは普段において常識や社会通念あるいは序列をあまり重視せず深く考えていないからだ。

 因みに、INFPが好きな物が世の中で流行していることがあるので、彼らが本質的に流行に疎いことが理解しにくいかもしれない。しかし、彼らが流行詳しいとき「それが"流行"だから詳しい」のではない(※"流行"だから詳しい典型はESFP)。「それが流行になる程に"よいもの"だったから詳しい」のだ。彼らは流行を知る者ではなく、良いものを知る者なのだ。そして、それを可能にしているのは彼らの主機能のFiである。

 話を戻そう。INFPは最悪期から回復期への移行期に、(優秀なFiと)ヘッポコTeが認識した「自分に押し付けられる社会通念・常識・序列・記号的消費・流行」の視点から、代替機能Siのモニター対象である「身の周りの状況・個人的体験・プライベートの生活」に関して理由付けを行う。つまり、「今の自分の身の周りの状況・個人的体験・プライベートの生活は、社会通念・常識・慣行によって妥協させられて歪めらている、あるいは邪魔されている」といった因果の枠組みで事態を捉えようとする。

 回復期においてINFPは、移行期で捉えた因果の枠組みで見たときの原因であった「自分に押し付けられる社会通念・常識・序列・記号的消費・流行」を改善するような行動は基本的に取らない。もっぱら代替機能Siがモニターする「身の周りの状況・個人的体験・個人の生活」の変革に向かう。

 ただし、INTPと同様に、私生活を変革しようとする方向としては2方向あって、真人間の生活となるべく改善するマトモな方向と趣味に走ってオタクとなる困った方向がある。これは、「身の周りの状況・個人的体験・個人の生活」に対して「自分に押し付けられる社会通念・常識・序列・記号的消費・流行」がどのように害を齎したのかに対するINFPの認識の違いから生まれる。

 また、INFPの苦悩に関してISFPとの類似性がある。最悪期において「自分に押し付けられる社会通念・常識・序列・記号的消費・流行」が、プライベートな現在の生活を圧迫するように感じるINFPと、目指す将来の自分の有り様を圧迫するように感じるISFPといった類似性である。彼らが感じる苦悩は先に述べたように文学作品の定番のテーマである。

 更に、猖獗を極めるフェミニズムが勘違い他責主義者を生み出すとき、INFPはISFPと共通のメカニズムでセクシストに成り下がる。


ESTJ・ESFJ (代替機能Ne)の行動と認識

タイプ 主機能 補助機能 代替機能 劣勢機能
ESTJ   Te    Si    Ne    Fi
ESFJ      Fe      Si    Ne    Ti

 ESTJ・ESFJは代替機能Neがモニターする「大義名分・主義・思想・宗教」が弱点となり易い。ESTJは社会通念・常識あるいはデータ化された現実をよく理解し、ESFJは周囲の人々が評価しているものやを周囲の雰囲気をよく知っている。また、両タイプとも身の周りの現実についての状況把握に優れている。大局的視点を与える大義名分・主義・思想・宗教といった世界観にそれなりの価値を置くものの、その理解に粗があることが少なくない。しかし、彼らは、それぞれの主機能と補助機能の心理機能が把握するものによって、大抵の場合は大筋においてはあまりハズれてしまうこともない。

■ESTJの場合

 ESTJは最悪期には、自分自身の暴風雨のような感情に振り回される。ESTJは価値の4位に自らの感情を重視するにもかからわず、その処理に関しては然したる必要を認めていないので、洗練されていない形で噴出する。主機能Teが認識する社会通念・常識・序列あるいは科学的見解・客観的データと自らの内から湧きたつプリミティブな感情の齟齬が苛立ちとなって噴き出す。

 最悪期から回復期への移行期に、優秀なTeとヘッポコFiが認識した「社会通念・常識・序列あるいは科学的見解・客観的データと自らの内から湧きたつプリミティブな感情の齟齬」を、代替機能Neのモニター対象である「大義名分・主義・思想・宗教」の一部として回収しようとする。つまり、そのとき偶々緩く信奉している大義名分・主義・思想・宗教に回心・帰依する契機として、激しく揺れ動いた自身の感情を解釈するのである。

 回復期においてESTJは、移行期で確信した自らの(既存の)「大義名分・主義・思想・宗教」を布教するようになる。それらの中身に関する自身の理解の追求ではなく、社会における普及を熱心に盲目的に目指すようになるのだ。

 自分自身の思想ではない他人の思想を盲信して恐ろしい程の熱意で広めようとするのは、大抵ESTJ(とESFJ)である。

■ESFJの場合

 ESFJは最悪期には、彼の中では天啓のように思い浮かんだ「ぼくが考えた最強のアイディア」にとり憑かれる。しかし、ESFJの劣勢機能Tiが齎すポッと浮かんだアイディアが妥当なことなどまず無い。残酷なことに主機能がFeであるESFJは周囲の自分に向ける反応や雰囲気から「ぼくが考えた最強のアイディア」が周囲から受け入れられないことを認識する。彼にとってみれば正しいはずの「ぼくが考えた最強のアイディア」に対する周囲の無理解に酷く落胆する。

 最悪期から回復期への移行期には優秀なFeとヘッポコTiが認識した「周囲から認められない『ぼくが考えた最強のアイディア』」に関して、それが代替機能Neのモニター対象である「大義名分・主義・思想・宗教」の一部であることを"発見"する。そのとき、ESFJは「ぼくが考えた最強のアイディア」をその一部として含む(既存の)大義名分・主義・思想・宗教への確信を深める。

 そして、回復期においてESTJは、移行期で確信した自らの(既存の)「大義名分・主義・思想・宗教」を布教するようになる。それらの中身に関する自身の理解の追求ではなく、社会における思想の普及を熱心にそして盲目的に目指すようになるのだ。

 自分自身の思想ではない他人の思想を盲信して恐ろしい程の熱意で広めようとするのは、大抵ESFJ(とESTJ)である。


ENTJ・ENFJ (代替機能Se)の行動と認識

タイプ 主機能 補助機能 代替機能 劣勢機能
ENTJ   Te   Ni    Se     Fi
ENFJ      Fe     Ni       Se     Ti

 ENTJ・ENFJは代替機能Seがモニターする「能力・ステータス・資産・収入・地位、あるいは他者が直面している現実への認識」が弱点となり易い。ENTJは社会通念・常識あるいはデータ化された現実をよく理解し、ENFJは周囲の人々が評価しているものや周囲の雰囲気をよく知っている。また、両タイプとも大局的視点を与える「目標・目的・将来像・人生観」の認識に優れている。しかし、自他の能力や現状に対する認識、あるいは抽象化されいない・データ化されてはいない他者の事例への認識が粗いことがある。ただし、ENTJはデータ化されている現実、あるいは常識や社会通念あるいは科学的知見への造詣が深く、またENFJは周囲の感情・雰囲気・評判に敏感であるために大外しすることはない。また、目的意識を持ち計画的行動が出来るため、多少の無理があっても強行できてしまうことも多い。

■ENTJの場合

 ENTJの最悪期は、ESTJと同様に、自分自身の激情に振り回される。ENTJは自らの感情の処理に関して普段は然したる関心を寄せていないので、洗練されていない形で噴出する。主機能Teが認識する社会通念・常識・序列あるいは科学的見解・客観的データと劣勢機能Fiが認識する自らの内から湧きたつプリミティブな感情の齟齬が苛立ちとなって噴き出す。

 最悪期から回復期への移行期に、優秀なTeとヘッポコFiが認識した「社会通念・常識・序列あるいは科学的見解・客観的データと自らの内から湧きたつプリミティブな感情の齟齬」が、Seのモニター対象である「能力・ステータス・資産・収入・地位、あるいは他者が直面している現実」が原因で生じると考えるようだ。

 さて、因果の向きの認識に関しては2通りがある。「劣勢機能が認識する対象が原因で、代替機能が認識する対象への結果が齎される」と「代替機能が認識する対象が原因で、劣勢機能が認識する対象への結果が齎される」とに関して、他の多くのタイプに関しては前者の認識が多いような印象なのだが、ENTJとENFJに関しては後者の認識が殆どであるように見受けられる。

 回復期においてENTJは、激憤を齎した「能力・ステータス・資産・収入・地位、あるいは他者が直面している現実」の不足を猛烈に埋めようと行動する。本人もがむしゃらに行動する上に、他者もそれに付き合わせる。例えば旧軍で兵士に「服や靴にお前の体を合わせるのだ!」と怒鳴る上官のエピソードなどは、ENTJの回復期の行動に非常に類似している。現代の日本社会でも偶にいる精神論者はちょっと状態の宜しくないENTJではないかとの印象がある。

■ENFJの場合

 ENFJは最悪期には、ESFJと同様に、思い浮かんだ「ぼくが考えた最強のアイディア」にとり憑かれる。しかし、ENFJの劣勢機能Tiが齎すポッと浮かんだアイディアは大抵妥当ではない。そして、主機能がFeであるENFJは周囲の自分に向ける反応や雰囲気から「ぼくが考えた最強のアイディア」が周囲から受け入れられないことを認識する。彼にとってみれば正しいはずの「ぼくが考えた最強のアイディア」に対する周囲の無理解に酷く落胆する。

 最悪期から回復期への移行期には優秀なFeとヘッポコTiが認識した「周囲から認められない『ぼくが考えた最強のアイディア』」に関して、Seのモニター対象である「能力・ステータス・資産・収入・地位、あるいは他者が直面している現実」が原因で認められないとENFJは考えるようだ。

 そして、回復期においてENFJは、「ぼくが考えた最強のアイディア」が認められなかった原因と考える「能力・ステータス・資産・収入・地位、あるいは他者が直面している現実」の不足を猛烈に埋めようと行動する。本人もがむしゃらに行動する上に、他者も鼓舞して不足を埋める。ただし、ENTJと違って他者の感情や雰囲気を察知する能力の高いENFJは、周囲を必死に盛り上げ頑張る雰囲気を演出し周囲のモチベーションを高めようとするものの、ENTJと違って「無茶振り・無理やりやらせる」のようなことはしない。ただ、その分自分が頑張りすぎて消耗していることはある。つまり、燃え尽き症候群になるのはENFJが最も多いのではないかと思われる(※INFJも燃え尽き症候群になり易い。両者の違いは、量的負担の大きさで燃え尽きるのがENFJ、質的負担で無理が掛かって燃え尽きるのがINFJの違いであるように見受けられる)。

 因みに、活動的なワンイシュー・フェミニストはこのタイプが多い。もの凄く社会的に有益な活動を引き当てるか、ゴミの活動であるかは運次第な部分がある。ゴミの割合が高い玉石混交のワンイシュー活動で、ゴミ活動に巻き込まれた人はご愁傷様である。


ISFJ・INFJ (代替機能Ti)の行動と認識

タイプ 主機能 補助機能 代替機能 劣勢機能
ISFJ   Si       Fe    Ti    Ne
INFJ     Ni         Fe    Ti    Se

 ISFJ・INFJ は代替機能Tiがモニターする「個人の信念・信条」が弱点となり易い。ISFJ・INFJは個人の信念・信条を後生大事に抱えるにも関わらす、その信念や信条について大して考えないという不思議な二面性がある。もっとも、ISFJ・INFJだけでなく各タイプとも代替機能がモニタ―している対象については多かれ少なかれ同じような二面性を持っている(※)。この二面性がISFJについては周囲にとって非常に迷惑な行動、INFJは本人にとって悲劇的な行動(あるいは結果)に、しばしば繋がっている。

※他のタイプの代替機能のモニター対象への二面性のある態度でイメージし易いのはINTPの二面性である。INTPの代替機能Siのモニター対象は私生活である。しかし、INTPの典型的人間像であるオタクを想像すれば分かるように、普通一般の意味での身の周りの事柄については無頓着である一方、趣味に対しては尋常でないこだわりを持つケースが多い。INTPの代替機能のモニター対象への二面性のある態度は外面で分かる二面性なので容易に把握できる一方、ISFJ・INFJの二面性は内面に関するものなので注視しないと把握しずらい。しかし、その無頓着な扱いと異常な頑固さの二面性のある態度は対象が違うだけでINTPのそれと等しい。

■ISFJの場合

 ISFJは最悪期に偶々触れた、世界の有り様に説明を与える「大義名分・主義・思想・宗教」を鵜呑みにする。それがどんなヘンテコな思想や宗教であっても盲信してしまう。

 ISFJの劣勢機能Neはヨチヨチ歩きの赤ちゃんだ。思想や宗教を各パーツ毎にみて「この部分は『素晴らしいポイント・結構良い事を言っているポイント・凡庸なポイント・ちょっとどうかなというポイント・ゴミクズで有害なポイント』である」といった形での評価が出来ない。つまり、ISFJが思想や宗教を評価するとき各部分を切り分けて評価することはなく一律で評価する。

 ただし、ISFJは普段において「大義名分・主義・思想・宗教」全体が意識に上ることも無ければ興味関心もない。最悪期の危機状態においても「大義名分・主義・思想・宗教」全体を理解しようとするのではなく単にしがみつくだけだ。そして、主機能Siが認識する個人的体験・個人の生活における不平や不満を、劣勢機能Neの認識対象の「大義名分・主義・思想・宗教」から断罪する。

 最悪期から回復期への移行期にはヘッポコNeが鵜呑みにする「大義名分・主義・思想・宗教」の中から、主機能Siが掴んだ個人的体験・個人の生活における不平や不満にピッタリ適合するワンフレーズを見つけ出す。「おお、凄い。私の体験にピッタリの言葉がある!この言葉こそが私の指針、導きの糸だ!」と彼らは思いこむ。

 このときに、ISFJが誠実な人格者に出会って導かれたならば素晴らしい人生の指針が得られて、16タイプ中最良の隣人になると思われる。その際の誠実な人格者は宗教家や思想家などでもよい。出会ったのが誠実な人間であれば、その宗教や思想の最良の部分だけを与えてくれるだろう。しかし、胡散臭い宗教家や思想家あるいは陰謀論者に出会うとゴミクズで有害な考えを植え付けられてしまう。

 同様に「大義名分・主義・思想・宗教」に関する本から抜き出したワンフレーズであった場合も、本人の知的能力や感受性の水準にもよるが、それが素晴らしいかゴミクズであるかは偶然に決まり、その偶然に決まったものをISFJは握りしめる。

 そして回復期において、ISFJが握りしめたワンフレーズが周囲にとってのロシアンルーレットとなる。偶然にも素晴らしいワンフレーズをISFJが引き当てたなら周囲にとっても当人にとってもハッピーだ。逆にゴミクズで有害なワンフレーズを引き当てたなら周囲にとっては地獄である。なぜなら、回復期において、ISFJはそのワンフレーズを生活に組み込み、周囲に喧伝し、それが世界の真実であるとして、目を閉じ耳を塞ぎ頭も働かせず口だけ開けて絶叫するようになるからだ。

 このとき、ISFJにとって大事なのは「大義名分・主義・思想・宗教」の中にあるワンフレーズであって思想全体や宗教全体ではない点に注意が必要である。

■INFJの場合

 INFJは最悪期には主機能Niが認識するヴィジョンと劣勢機能Seが認識する"環境"とを比較してそこに乖離があることを知る。そしてSeが認識した現環境によって自らのヴィジョンが実現できないと考える。ただし、INFJのSeはヘッポコであるので実際以上に悲観的に認識している可能性はそれなりに高い。とはいえ、それ自体は精度の高いヴィジョンに関して、INFJの認識上では実現するのが(悲観的に捉えてしまった)現環境下において不可能であると感じてしまう。それによってINFJは現実に対して絶望してしまうのだ。

 最悪期から回復期への移行期に、主機能Niが認識するヴィジョンによって実現するつもりでいる「個人の信念・信条」と、ヘッポコ劣勢機能Seが認識する現環境とが並び立たないことに悩む。INFJのTiは所詮代替機能なので、現実に適合するよう柔軟かつ臨機応変に「個人の信念・信条」を妥当な形で変更できるだけの能力水準に無い。更に、彼らの価値観の優先順位は「個人の信念・信条」の方が「現環境」よりも高い。それにより、彼らは操作できない現環境を切り捨てるという苛烈な決断をする。

 そして、回復期においてINFJは、移行期において下した決断を実行に移す。硬直的な個人の信念・信条を実現する精緻なヴィジョン、それを不可能にしてしまう不必要な現実をINFJは切り離す。普段の優し気な態度からすると意外に思うかもしれないが、絶望したINFJは他のどのタイプよりも厳格に邪魔者をシャットアウトする(所謂「ドアスラム」)。


ISTJ・INTJ (代替機能Fi)の行動と認識

タイプ 主機能 補助機能 代替機能 劣勢機能
ISTJ   Si    Te    Fi     Ne
INTJ     Ni      Se    Fi    Se

 ISFJ・INFJ は代替機能Fiがモニターする「個人の感情」が弱点となり易い。ISTJ・INTJが自他共々の感情に関心を払わないようでいて結構イライラしがちであるのは、普段の状態ではモニターしていないものの個人的な快不快の重要度が高いことの反映である。

■ISTJの場合

 ISTJもまたISFJ同様、最悪期に偶々触れた、世界の有り様に説明を与える「大義名分・主義・思想・宗教」を鵜呑みにする。それがどんなヘンテコな思想や宗教であっても盲信してしまう。なぜならISTJの劣勢機能Neの能力水準が低いからである。

 劣勢機能が能力水準が低い事に関して、劣勢機能の能力水準の低さの典型例である「INTPに多いオタクの空気の読めなさが彼らの劣勢機能Feの低さに由来していること」を想起すれば理解できるように、ISTJ特有というものでもない。

 つまり、あのレベルでISTJは「大義名分・主義・思想・宗教」を理解していない。それゆえ、思想や宗教を各パーツ毎にみて「この部分は『素晴らしいポイント・結構良い事を言っているポイント・凡庸なポイント・ちょっとどうかなというポイント・ゴミクズで有害なポイント』である」といった形での評価が出来ない。つまり、ISTJが思想や宗教を評価するとき各部分を切り分けて評価することはなく一律で評価する。

 ただし、ISTJは普段において「大義名分・主義・思想・宗教」全体が意識に上ることも無ければ興味関心もない。最悪期の危機状態においても「大義名分・主義・思想・宗教」全体を理解しようとするのではなく単にしがみつくだけだ。そして、主機能Siが認識する個人的体験・個人の生活における不平や不満を、劣勢機能Neの認識対象の「大義名分・主義・思想・宗教」から断罪する。

 最悪期から回復期への移行期にはヘッポコNeが鵜呑みにする「大義名分・主義・思想・宗教」によって、主機能Siが掴んだ個人的体験・個人の生活における不平や不満といった感情を喚きたてる正当性を確信する。しがみついた「大義名分・主義・思想・宗教」によって、他者にとって理不尽であるような感情であっても、自分の感情が妥当で正義に適う感情であると「大義名分・主義・思想・宗教」の権威によって勘違いするのだ。

 そして回復期において、ISTJは「主義・思想・宗教」によって大義名分を得たと勘違いして、自らの感情を所かまわず撒き散らすようになる。自分勝手な「お気持ち表明」を大義に則った正義の行為と、当人と信者以外には理解不能な形で確信するのである。

 ただ、幸いなことにISTJは実務家として有能であることが多いので、他のタイプと比べて最悪の状態に至るような事態に陥ることがそもそも少ない。そこに至る前に自分でトラブルシュートしてしまうことが殆どだ。しかし、一旦最悪の状態に陥ってヘンテコな「主義・思想・宗教」を盾に騒ぎ出すと、手の付けられない「お気持ちモンスター」に化けてしまうことがある。

■INTJの場合

 INTJは最悪期には主機能Niが認識するヴィジョンと劣勢機能Seが認識する"環境"とを比較してそこに乖離があることを知る。そしてSeが認識した現環境によって自らのヴィジョンが実現できないと考える。ただし、INTJのSeはヘッポコであるので実際以上に悲観的に認識している可能性はそれなりに高い。とはいえ、それ自体は精度の高いヴィジョンに関して、INTJの認識上では実現するのが(悲観的に捉えてしまった)現環境下において不可能であると感じてしまう。それによってINTJは現実に対して絶望してしまう。

 ただし、INTJに関しては「主機能Ni-補助機能Te」が非常に強力で、ゲゼルシャフトにおける現状認識はSeがヘッポコであるにも拘らず、あまりズレないように思われる。目的と利益が集団の原理であるゲゼルシャフトにおいて「主機能Ni-補助機能Te」を駆使するINTJは、視界不良下においても計器飛行が可能な有能なパイロットに擬えることが出来るだろう。とはいえ、INTJのSeがヘッポコであるのは間違いないので、ゲマインシャフトにおける現状認識はザル認識だ。ゲマインシャフトにおける原理において目的と利益はメインではない。したがってINTJの「主機能Ni-補助機能Te」は有効に機能しない。

 INTJとINTPは似た人間扱いされることがあるが、INTPがゲゼルシャフトでもゲマインシャフトでも不適応を頻繁に起こすの対して、INTJがゲゼルシャフトではかなり器用に適応している一方でゲマインシャフトでは不器用極まりない。そのような事態が生じるのは、INTJのSeの代わりになる「主機能Ni-補助機能Te」がゲマインシャフトではサッパリ役に立たない一方でゲゼルシャフトにおいて非常に有用だからであるだろう(因みに、INTPはSeはゴミ以下で主機能-補助機能も役立たず)。

 最悪期から回復期への移行期に、主機能Niが認識するヴィジョンと、ヘッポコ劣勢機能Seが認識する(ゲマインシャフトの)現環境とが並び立たないことを理解して苛立ちをとんでもなく募らせる。しかも、その激情はあまり洗練されておらず、やや幼稚ではないかと思わせる場合が少なくない。

 そして回復期において、INTJは募らせた激情を解消するために、主機能Niによってヴィジョンを持って行動する。ゲゼルシャフトにおける行動はその組織文化次第の側面もあるのだが奏功するケースが少なくない。しかし、ゲマインシャフトでは裏目裏目に出て余計にこじれてしまうケースがかなり存在し、遺恨が残るような場合もしばしば見受けられる。


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