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やらないことリストを書き始めた理由

こんにちは、サクラです。

この頃«やらないことリスト»を毎日書いています。
今日は、どうしてやらないことリストを書き始めたのか、のお話しをしますね。

わたしは幼い頃、隣に住む親戚のおじさんに「デブ」と言われ続けてきました。(言うほど太ってはいなかった)言われていた当時、どういう感情を抱いていたのかは覚えていないのですが、結果として見た目がコンプレックスになっていました。そしていつのまにか、

デブ = ダメなやつ

と自分の中で思い込むようになっていました。そして、それを払拭したい!という意欲もなく、受け入れるしかないんだと無意識に思い込んでしまったのです。

そして学生時代は家庭内でのケンカが絶えず、怒鳴り合う罵声をずっと耐えている、そんな日々をすごしていました。

だからでしょうか。
わたしは “耐える“ ことを無意識にしてしまうのです。どんなに悲しくても。どんなに苦しくても。どんなに嬉しくても。感情を押し殺すようになっていたのです。

こうやって心の奥深くにしっかりと根付かせてしまった

自分を制約する言葉

がたくさんあることに気づきました。
その思いが、チャレンジしたい!気になる!興味ある!とやる気が出ても、

もうこれ以上傷つきたくない。
苦しみたくない。

「本当にやれるの?今までやったことないでしょ?失敗したらどうするの?」

と自分の可能性を “ゼロ“ にさせてきたのです。数々の言葉の鎧を被って、傷つかないように護っていたのです。でも、本心は、

やりたいのです。
簡単に諦めたくはないのです。
頑張りたいのです。

それでも深く深く根付かせてしまった自分を制約する言葉の数々は、ふとした時に現れて、今も前に進むのを阻もうとします。

でもこの頃気持ちに変化があり、このままなのはイヤだ!!と思うようになったのです。

身軽になりたい。
いつでもどこへでも行けるくらいに。

ということで始めたのが断捨離でした。
家のあちこちに置いてあるものの中から、“これはもう使うことないな、と思うもの“ を少しずつ手放すことにしました。

焦らず毎日何かを手放す。

しばらく続けてから気づいたのは、モノももちすぎているけれど、考え方や時間の使い方、お金の使い道など、まだまだ整理整頓する必要があるな、ということ。

そして、思考の断捨離は今書かないと、断捨離後では書けなくなってしまうな、と感じたのです。

まだまだ気づきの段階の言葉もありますし、
あ、また思考がグルグルしてる・・・。しんどい。
疲れたーー・・・。と思ったのに、やろうとしてる・・・!!

ほら、やすみなよ!

と、やすみのサインと気づけるようになった言葉もあります。
ここに書くのは、«やすみのサイン»と気づいた言葉にしています。

がんばり “すぎちゃう“
耐えて “しまう“
押さえ込んで “しまう“

が故に疲れているのに休めない。
休んではいけないと思っている。

ちょっと前のわたしみたいな “すぎてしまう族“ のみなさんの心に何かひとつでもピン!とくる言葉があったら、受け取って持ち帰ってもらえたら嬉しいです。

同じ言葉でも人それぞれ、受け取り方も違うし感じ方も違いますよね。だからわたしのお話しにはピン!とこなくても、タイトルの言葉で何か感じることがあったら、自分自身に問いかけていただけたら幸いです。

思考の断捨離をしていくと、ですね。
心が軽くなって、ふふって気分がよくなるんです。
自分を許せるようにもなってくるんです。そして他人も許せるようになるんです。
これだけだとナニソレ?って感じですよね。
このお話しは長くなるので、別の機会にしますね。

はい!ということで。
また明日から«やらないことリスト»再開しますね。

目指せ!50音!


最後に。
もし、わたしのやらないことリストはこれだよ!っていうのが1つでもありましたらコメントくださると跳んで喜びます。どうぞお気軽に〜おまちしておりますっ


ではまた。

今日もゆるっとすごしましょう。

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