元 ご当地アイドルが、ガールズグループをプロデュースするまでの記録。〜1〜

はじめまして。Moekaです。
タイトル通り
『(元)ご当地アイドルがガールズグループを
プロデュースするまでの記録』
として、日記がてら ココに綴ります。
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私は 2011.5〜2016.3までの期間
北海道の北斗市という街の
市公認ご当地アイドルグループとして
北海道新幹線開業に向けて
地域活性化や観光PRのお手伝いを目的に
活動していました。

北海道新幹線の開業と共に
グループは活動を終えることとなりました。

私が ちょうど20歳の節目の時でした。

人前に出て歌って踊って喋ることは大好きで
メンバーも本当に仲が良くて大好きだったのに
なぜか、心は常に苦しくて、
"好きなのに苦しい"このモヤモヤが
常に付き纏っている状態でした。

活動終了する1年前くらい前
幼少期からずっとこの世界にいた私は
もう誰からの目も気にする事なく
見知らぬ誰かに勝手に評価されることもなく
普通の生活がしてみたいと思うようになりました。
それでも、やっぱりこの世界が好きだったので
心が健康な状態で活動できたら
どんなに楽しんだろう…
もう自分が表に出ることはないけれど
いつか、裏方に回って、
心から楽しんで活動できるサポートがしたい
と、そんな夢を密かに持ちながらも
その時は、心の奥にしまいました。

そして活動が終了して
数年後、現在の職場のオーナーに出逢い
『プロデュースとか向いてそう!やってみたら』
と一言 言われて、思い出したのです!
"私、そういえばプロデュースやりたかったんだった!"と。

その時から、心の奥にあった夢は
いつか叶えたい夢に変わりました。

それでも、こうして
いつか、いつか、と思っているうちに
一歩踏み出すまでに4年が経っていました。

私、このままだと人生の最期に
後悔してることを聞かれたら
これをやればよかった、って
いちばんに出てくる。

年々この思いが強くなり

((( やるなら今年 )))

という感じが直感的にした。

そして、周りの人たちや環境に恵まれている私は
最近、やっと 好きなのに苦しかった
モヤモヤの理由がわかりました。
それが、このプロデュースを決意した
きっかけの一つでもあります。
(詳しくは、長くなるので別に書きます)
気づかせてくれた仲間や環境に
心から感謝しています。

それは、私は最強!なんでもできる!
怖いものなんてない!とすら
思ってしまうくらい
ダンスやボーカルや技術より
何よりも大事なものでした。

活動終了してからの夢は
一歩踏み出すまでに6年かかりましたが
今、このタイミングがベストです!

準備が整いました、さあ、行こう!

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