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COFFEE BREAK: 「SEASONS OF LOVE」は「恋の季節」なのか? そこに隠された意味とは?

~「SEASONS OF LOVE」と「シュレーディンガーの猫」~

「SEASONS OF LOVE」( from「RENT」) Lyrics by Jonathan D. Larson

こんにちは。SAKURAnoGです。英語の楽しさ、奥深さを発信する「英語のトリビア」を投稿しています。
今回は「恋の季節」ですね。今日は、「RENT」で有名なこの曲について語ります。といっても、曲の解説ではありません。曲のタイトルの「SEASONS OF LOVE」の意味、ひいては言葉の意味とは何か、について掘り下げて考えてみたいと思います。

1.「SEASONS OF LOVE」は、「恋の季節」なのか?
「SEASONS OF LOVE」って、どういう意味ですか?・・・書いてあるとおりじゃないか!「恋の季節」、そう思いますか? では、どうして「SEASONS」と複数になっているのでしょうか? 「たくさん恋の季節がある?」本当にそれだけですか?
ここには、この歌の中で、SEASONを複数にしなければいけない必然性があるのです。

2.意味の重なり合い
2ー1.ほぼ一点に収束する意味
例えば、「CAN」という助動詞があります。普通に我々は「CAN」といえば、「~出来る」と思っているのですが、この「CAN」には、いろんな意味があって、①能力的に「できる」②可能性として「あり得る」③許可の「しても良い」④「しなさい」という指示・命令の「CAN」等いろいろな意味があります。
この「CAN」という言葉、単独では上記のようないろんな意味の複合体として、「シュレ猫」(※注)的に存在しているのです。
(※「シュレーディンガーの猫」脚注説明参照)

猫小

ところが、「It ( ) not be true」の()の中に、「CAN」が入って「It can’t be true」という文章になった途端に、「~のはずがない」という可能性の「CAN」の意味に確定してしまい、それ以外の意味は消滅してしまう(完全にではないにしても)のです。
まるで、「ヤングの干渉実験」みたいに、スリットを通過した波としての光子がスクリーンにあたった瞬間に、波の状態から粒の状態に収束して一点に定まってしまうのと似ていますね。

2-2.ミルフィーユ状に重なる意味
ところが、上記の「CAN」の例とは裏腹に、文章に組み込まれても、意味が重なったまま、確定しない場合もあります。これを筆者は、「意味のミルフィーユ的重なり合い」と呼んでいます。
その例が、この「Seasons of Love」や「リンカーンの有名な言葉(「人民の人民による・・・」)(⇒ 拙稿『COFFEE BREAK:「リンカーンのゲティスバーグ演説について」』参照)です。
この歌詞では「Seasons of Love」は、単に「恋の季節」という意味ではありません。どういうことなんでしょうか? 2つの意味がミルフィーユ状に重なり合っているのです。

3.「of」は「の」ではない
「一年を何で計ろう」「恋では、どう?」と問いかけるこの歌のサビでは、いきなり「SEASONS OF LOVE(恋の季節)」と歌い上げています。一年を計るのに疲れちゃったんでしょうか? 時計や喧嘩でいっぱい計ったからもういいや、みたいな。
でも、ちょっと注意深い人だったら、「SEASONS」と複数になっていることに「あれ?」と思うかもしれません。
「恋の季節」普通は単数で「The Season of Love」と書いて「恋の季節」等と訳すのですが、ここは、前の「How about love?(恋はどう?)Measure in love(恋で計ろう)」を受けて「恋という季節(で一年をはかってみたら?)」といっているのです。一年には複数の季節があるので「Seasons」と複数になっている訳です。
ここで「of」は「の」ではなく、「~という」と訳します。「恋季節」ではなく、「恋という季節」です。〈文法的には「同格のof」と呼ばれています。「GENIUS」【of】③〉
通しで読んできて違和感を覚える方は、頭の中で「IN」(で)を補って「In Seasons of Love」[恋という「季節」(計ろう)]と「で」を補ってください。
では、どうして作家のJ.D. Larsonさんは、大事な「IN」を省略してしまったのでしょうか?今となっては、ご本人に聞くわけにもいかないので、想像なのですが、多分「IN」を付けることによって「Seasons of Love」が「恋という季節」という意味に固まってしまうことを嫌ったのではないかと思います。

つまり、(比率はやや低いのですが)「恋の季節」という意味も生かしておきたい、そんな意識が働いたのではないでしょうか?
「恋という季節」と「恋の季節」という意味を「シュレ猫」的に重なりあわせて表現したかったのだろう、と思います。([意味の多重性])
ただ、あくまで文脈としては、「恋という季節」または「恋の『季節』」と訳さないと、その本来の意味が表に出てきません。
僕は、
『人生の一年を どうやって計るの
恋はどう?
恋で計ろう
恋という「季節」で
恋の「季節」で』
と訳してみました。

ちょっと話がそれましたが、ここで言いたかったことは、「of」を何でもかんでも「の」と訳してしまうと、この歌における「Seasons of Love」の正確な意味を見失ってしまうということです。作家のJ.D. Larsonさんの頭の中では、おそらく「『Season of Love』(「恋の季節」)という言葉があるけど、これを春夏秋冬のような「季節」って考えると、一年の中にいったい、いくつくらい「恋の季節」があるんだろう」と考えていたに違いありません。「Season of Love」(恋の季節)という言葉を使って、ちょっとシャレた表現をして、遊んでみたんですね。  J.D. Larsonさん、きっとあの世で
「どや、この言葉の二重性!」
と自慢してるかもしれません。

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シュレ猫改


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