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本日の一曲 vol.306 ストラヴィンスキー 日本の3つの抒情詩 (Igor Stravinsky: 3 Poésies de la lyrique japonaise, 1913)

イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971)さんは、1910年、バレエ・リュスを率いるセルゲイ・ディアギレフ(Sergei Diaghilev, 1872-1929)さんの依頼を受けて、「火の鳥(L'Oiseau de feu)」を提供し、1911年には「ペトルーシュカ(Pétrouchka)」も提供して、若手劇場作曲家として有名になっていました。

当時のパリでは、日本趣味が流行しており、ストラヴィンスキーさんも、自宅の壁を日本の版画で飾り、日本の詩を読んだりしたそうです。その中で、日本に来日していた学者カール・フローレンツ(Karl Florenz, 1865-1939)の著作「日本文学史(Geschichte der japanischen Litteratur, 1906)やドイツの詩人ハンス・ベートゲ(Hans Bethge)さんが翻訳した日本の和歌集「日本の春(Japanischer Frühling, 1911)」をさらにアレクサンドラ・ブラント(Aleksandra Brandt)さんがロシア語に翻訳した「日本の抒情詩(Японская лирика, 1912)」をテキストにして作曲したのがこの「日本の3つの抒情詩」です。

1912年10月19日に、万葉集の山部赤人の歌「我が背子に見せむと思ひし梅の花それとも見えず雪の降れれば」を採用して、第1曲「赤人」を作曲しました。

この後、ストラヴィンスキーさんはベルリンのバレエ・リュスを訪れ、このときにアルノルト・シェーンベルクさんと初めて会い、12月9日にシェーンベルクさんの「月に憑かれたピエロ」を聴きます。

この「月に憑かれたピエロ」に影響されて、12月18日に、古今和歌集の源当純の歌
「谷風にとくる氷のひまごとにうち出づる浪や春の初花」を採用した第2曲「当純」を作曲しました。

そして、年が明けた1913年1月22日に、同じく古今和歌集の紀貫之の歌「桜花さきにけらしなあしひきの山のかひより見ゆる白雲」を採用した第3曲「貫之」を作曲しました。

ソプラノの大梅慶子さんの歌とヴォルハ・アミアリャンチク(Volha Amialyanchyk)さんのピアノです。

同時期にストラヴィンスキーさんは「春の祭典(Le Sacre du printemps)」を作曲しており、第3曲は「春の祭典」に近いとも言われています。

また、1913年春は、ストラヴィンスキーさんがディアギレフさんの依頼を受けて、モーリス・ラヴェル(Maurice Ravel)さんとムソルグスキーさんの「ホヴァーンシチナ」の編曲作業をしていたのですが、ストラヴィンスキーさんがラヴェルさんにこの「日本の3つの抒情詩」を聴かせたところ、ラヴェルさんもこの曲に触発されて、「マラルメによる3つの詩」を作曲したのです。

(by R)

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