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わたしは「セロ弾きのゴーシュ」 中村哲が本当に伝えたかったこと

宮沢賢治が気になり、手に取った本。中村哲さんがご自分の活動の理由を説明される時に、宮沢賢治のお話をあげられていたのだとか。
(以下の「」でとじた文章は、『わたしは「セロ弾きのゴーシュ」 中村哲が本当に伝えたかったこと』から引用したものです)

中村哲さんは医師でありながら30年以上、井戸を掘り、25.5キロにもおよぶ用水路を拓く支援活動をパキスタンやアフガニスタンで行なった方です。

「完成したものが1300本以上。これによって、畑はともかく、その村を離れずにすむといった人口が約35万人。」(p.157)

井戸1本あたり、約250人の人達の生活を営めるんですね・・・。

「本当に受け入れられるものというのは、黙っていても普及していくというのが、私たちの経験で、例えば、サツマイモにいたしましても、広がるものは、試験農場から盗まれるんです。夜中にこっそり、誰かが種芋をとっていく。そのうち種芋がなくなってきましたので、サツマイモは蔓からも増やせますから、『蔓も盗っちゃいかん』と言う噂を流しますと、翌日から今度は蔓が盗られる。これはですね、非常に我々としては嬉しい兆候なんですね。」(p.175)

盗んでほしいがために、盗まないでという情報を流す戦術が面白いです。

「本来なら死ぬべき人が、治って助かっていくだとか、本来なら、この砂漠化で何万人も出た難民を出したところが、水が流れてきて、命がよみがえってくると言いますか、トンボが来るわ、フナが来るわ、アメンボが出て来るわ、で、カエルは鳴くわ、魚が入ってくるわ、鳥が来るわ、おまけに人間も、そこで一緒に仲良く暮らしていく里ができていく、これは見ていて楽しいものなんですね。この楽しみだけは、死ぬまで離したくないと、こういう風に思っております。」(pp.189-190)

「現地は兵農未分化と言いますか、農民であるということは、同時に、戦闘員でもあるということですから。彼らが生活に困って手っ取り早い収入を得ようとすれば、まずどこかの政治グループの傭兵となっていくというのが、昔から一つの生計を立てる手段としてあったわけですね。」(p.179)
「たとえば、白兵戦になって敵軍のなかに自分の村と同じ人々がいるということがわかりますと、派手にドンパチをやって、的を外して撃って、そして日当だけはもらってくるという社会ですから、これは、誰が味方か敵か、わからないと思いますね。」(p.185)

「まず健康で命があること、三度、三度、ご飯が食べられること、家族が一緒におれること、これ以上の望みを持つ人のほうが少ない。」(p.214)

「よくよく考えれば、どこに居ても、思い通りに事が運ぶ人生はありません。予期せぬことが多く、『こんな筈ではなかった』と思うことの方が普通です。賢治の描くゴーシュは、欠点や美点、醜さや気高さを併せ持つ普通の人が、いかに与えられた時間を生き抜くか、示唆に富んでいます。」(p.225)

縁があってその場所に行く。出会いがある。好きでやりたいことが見えてくる。日本の江戸時代にできた技術が川を作るのに活かされる。植えた柳が川沿いや川底に根を生やして多くの生命を守ってくれる。壊されたら「そうか、また作るか」と、それぞれがそれぞれの場所で出来ることを積み重ねていく。

アフガニスタン 干ばつの大地に用水路を拓く
https://youtu.be/y2Du_SLRhhI


ひとりの人間の真摯な仕事は  おもいもかけない遠いところで  小さな小さな渦巻きをつくる           「小さな渦巻き」茨城のりこ