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fieldnotes(日々の記録)

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リトルプレス『ありふれたくじら』の制作プロセス、随筆、うつろいかたちを変えていく思考の記録、などなど。不定期の投稿は、こちらのマガジンにまとめていきます。
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#展覧会

P.15|双子鯨の夢を見たら / If twin whales appear in my dreams

English follows Japanese. 国際芸術センター青森・ACACで開催中の展覧会「currents / undercurrentsーいま、めくるめく流れは出会って」にて発表している新作「双子鯨の夢を見たら」は、これまで私がめぐり合ったマッコウクジラたちそれぞれの異なる生と死に思いを馳せながら制作しました。 作品の中に、対となる詩を書きました。目の前にある現実と無意識のイメージ、夢と現実世界、あったはずの生と失われたもの。刺繍の表裏のような、二つの世界を語

P. 13 | 経緯、その鯨ほどの余白——是恒さくら展 / Sakura Koretsune Exhibition "The warp and woof of a whale of a tale" (北海道文化財団アートスペース / Hokkaido Arts Foundation Art Space)

札幌市にある北海道文化財団アートスペースにて、是恒さくら展「The warp and woof of a whale of a tale-経緯、その鯨ほどの余白」を開催します。 今回紹介するのは、一年間のノルウェー滞在中に取り組み始めた作品群です。 個展の開催は久しぶりです。個展をひらくことは、自分が探究·表現を続けていく途上、終わらない道の上で「現在地」を標として形にしていくことなのだなと思います。振り返ると過去3年間の2回の個展も北海道内で開催したので、今回の展示に向けて

P.11|とらう / Catch

(「VOCA展2022 現代美術の展望─新しい平面の作家たち─」出品作に寄せて) 10代の春休みの一時期、広島県の瀬戸内海にある故郷の島で「漁網編み」のアルバイトをしたことがあった。だだっ広い工場の2階、3〜4名の女性たちが片膝を立てて座り、ゴザの上に広げられた大きな漁網を編み進んでいく。黒光りするナイロンの糸は硬く、仕事を始めたばかりの私の指は3日もすると絆創膏だらけになった。 急にそのことを思い出したのは、それから約15年後のこと。東北で暮らすようになり、2018年に

P.10|汀線をゆく 〜《「せんと、らせんと」6人のアーティスト、4人のキュレーター》 (札幌大通地下ギャラリー500m美術館)に寄せて〜

​「日本人だから鯨が好きでしょう?」 そう微笑んで、私のお皿に山盛りの鯨肉を分けてくれた。 アラスカで暮らした頃、鯨猟の町で育ったクラスメイトの思い出。 私の生まれ育った瀬戸内海には、大型の鯨類はほとんど来ない。学校給食でも鯨を食べなかった世代の私にとって、鯨はそれほど身近とも思えない食べ物だった。けれど、その一皿を受け取ったときの満面の笑顔は、忘れられない瞬間となった。 昔は、よく食べていたのに。 昔は、飽きるほど食べたのに。 昔は、          。 鯨はいつも誰

news|「鯨寄る浜、海辺の物語を手繰る」(苫小牧市美術博物館・企画展「NITTAN ART FILE4:土地の記憶~結晶化する表象」のこと)

 鯨に導かれるように、海を伝うようにさまざまな土地を訪れてきた。ある時、苫小牧で聞いた話が、頭から離れなくなった。かつて苫小牧の浜辺が広い砂浜だった頃、砂山の上にあった恵比寿神社と稲荷神社に鯨の骨が祀られていたという。  それはどんな光景だったのだろう。なぜ人々は鯨の骨を大切にしたのだろう。さまざまな海浜植物が花を咲かせた広い砂浜も、鯨の骨が祀られたという神社も、すでに失われた、今。海辺に立ち辺りを見渡しても、かつての眺めを想像することは難しい。  東北から北海道南部の海

news|「石の知る辺」...ロングアイランドへの旅と、北海道立北方民族博物館の展示のこと

北海道立北方民族博物館にて、ロビー展「石の知る辺~アメリカ・ニューヨーク州ロングアイランド、先住民シネコックに鯨の物語をたずねて~ 是恒さくら 本・刺繍・写真展」(2021.01.05〜24)がはじまりました。(展示の詳細はこちら) 2019年に訪れたアメリカ・ニューヨーク州ロングアイランドで、先住民シネコックの人々と鯨のかかわりを尋ねた旅の記録の写真とともに、鯨にまつわるエピソード、そこから着想された刺繍作品を紹介します。刺繍作品群は昨年発行したリトルプレス 『ありふ