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fieldnotes(日々の記録)

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リトルプレス『ありふれたくじら』の制作プロセス、随筆、うつろいかたちを変えていく思考の記録、などなど。不定期の投稿は、こちらのマガジンにまとめていきます。
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記事一覧

P. 13 | 経緯、その鯨ほどの余白——是恒さくら展 / Sakura Koretsune Exhibition "The warp and woof of a whale of a tale" (北海道文化財団アートスペース / Hokkaido Arts Foundation Art Space)

札幌市にある北海道文化財団アートスペースにて、是恒さくら展「The warp and woof of a whale of a tale-経緯、その鯨ほどの余白」を開催します。 今回紹介するのは、一年間のノルウェー滞在中に取り組み始めた作品群です。 個展の開催は久しぶりです。個展をひらくことは、自分が探究·表現を続けていく途上、終わらない道の上で「現在地」を標として形にしていくことなのだなと思います。振り返ると過去3年間の2回の個展も北海道内で開催したので、今回の展示に向けて

P.12|ノルウェーと日本の間、ある船の記憶をたぐる / Drawing a memory of a ship between Norway and Japan

(English follows.) ノルウェーに来てから半年が過ぎました。滞在の折り返し地点です。4月下旬からオスロにて最初の展示を行います。会場はオスロ大学図書館の展示スペースです。こちらで参加している研究プロジェクト「Whales of Power」との展示です。 ここ半年ほど手繰っていた物と語りを紹介します。 ---------- それは一枚のガラスネガから始まった。撮影者はヘンリク・G・メルソム。1900年前後に日本の捕鯨船で活躍したノルウェー人砲手だ。20世紀

P.11|とらう / Catch

(「VOCA展2022 現代美術の展望─新しい平面の作家たち─」出品作に寄せて) 10代の春休みの一時期、広島県の瀬戸内海にある故郷の島で「漁網編み」のアルバイトをしたことがあった。だだっ広い工場の2階、3〜4名の女性たちが片膝を立てて座り、ゴザの上に広げられた大きな漁網を編み進んでいく。黒光りするナイロンの糸は硬く、仕事を始めたばかりの私の指は3日もすると絆創膏だらけになった。 急にそのことを思い出したのは、それから約15年後のこと。東北で暮らすようになり、2018年に

P.10|汀線をゆく 〜《「せんと、らせんと」6人のアーティスト、4人のキュレーター》 (札幌大通地下ギャラリー500m美術館)に寄せて〜

​「日本人だから鯨が好きでしょう?」 そう微笑んで、私のお皿に山盛りの鯨肉を分けてくれた。 アラスカで暮らした頃、鯨猟の町で育ったクラスメイトの思い出。 私の生まれ育った瀬戸内海には、大型の鯨類はほとんど来ない。学校給食でも鯨を食べなかった世代の私にとって、鯨はそれほど身近とも思えない食べ物だった。けれど、その一皿を受け取ったときの満面の笑顔は、忘れられない瞬間となった。 昔は、よく食べていたのに。 昔は、飽きるほど食べたのに。 昔は、          。 鯨はいつも誰

news|「鯨寄る浜、海辺の物語を手繰る」(苫小牧市美術博物館・企画展「NITTAN ART FILE4:土地の記憶~結晶化する表象」のこと)

 鯨に導かれるように、海を伝うようにさまざまな土地を訪れてきた。ある時、苫小牧で聞いた話が、頭から離れなくなった。かつて苫小牧の浜辺が広い砂浜だった頃、砂山の上にあった恵比寿神社と稲荷神社に鯨の骨が祀られていたという。  それはどんな光景だったのだろう。なぜ人々は鯨の骨を大切にしたのだろう。さまざまな海浜植物が花を咲かせた広い砂浜も、鯨の骨が祀られたという神社も、すでに失われた、今。海辺に立ち辺りを見渡しても、かつての眺めを想像することは難しい。  東北から北海道南部の海

memo.|76年前、ヒロシマからそう遠くない島

今年は札幌で過ごしている、8月6日。広島県で生まれ育った一人である私にとって、この日付はいつも特別だ。今日、周りでどんなイベントが起きていても、まず思うのは原爆投下の日ということ。何日も前から心がざわつく。 今年こそ見に行きたいと思っていたとある神社の例大祭が、昨年から2年連続して中止となった。これまでの中止は1945年のみだったという。その例大祭の関係者で、戦争を知る世代の人がコロナ禍と戦争を「同じようなものだ」と語っていた。その言葉はなんて重いのだろう、と思った。 東

P.9|行間の風景: 1. 「砂山の鯨」

「行間の風景」を旅する宮城県石巻市、牡鹿半島の先端にある鮎川浜は鯨の町として知られる。長年鮎川浜で暮らしてきた女性は、「鯨は陸(オカ)から見てもいねぇんだもん」と言った。と。彼女の夫は捕鯨船の銛打ちだった。捕鯨船は一度漁に出ると一週間は戻ってこなかったそうだ。沖のずっと向こう、どこまで行ったかわからない、と。 鮎川浜の人たちと鯨の関わりはさまざまだ。海を泳ぐ鯨を見たことはないけれど、鯨料理が得意な人。鯨の歯の加工の仕事を継いできた人。捕鯨船乗りや鯨の解体士も。 鯨という巨

P.8|「網走のカラス」のこと

2016年の夏頃、気になるニュースが目にとまりました。アラスカからロシアに向かって弓形に延びるアリューシャン列島の小さな島に打ち上げられた鯨が、新種らしいとわかったこと、そしてこの鯨が、日本の北海道・網走の漁師たちの間で「カラス」と呼ばれ、昔から知られていた存在だったということでした。 (2019年、このクジラは「クロツチクジラ」として発表されました|プレスリリース 国立科学博物館/北海道大学) カラスと呼ばれるその鯨は、どんな風景のなかにいるのだろうと、気になってしょう

news|「石の知る辺」...ロングアイランドへの旅と、北海道立北方民族博物館の展示のこと

北海道立北方民族博物館にて、ロビー展「石の知る辺~アメリカ・ニューヨーク州ロングアイランド、先住民シネコックに鯨の物語をたずねて~ 是恒さくら 本・刺繍・写真展」(2021.01.05〜24)がはじまりました。(展示の詳細はこちら) 2019年に訪れたアメリカ・ニューヨーク州ロングアイランドで、先住民シネコックの人々と鯨のかかわりを尋ねた旅の記録の写真とともに、鯨にまつわるエピソード、そこから着想された刺繍作品を紹介します。刺繍作品群は昨年発行したリトルプレス 『ありふ

P.7|鯨めぐり(青森県青森市〜八戸市〜岩手県洋野町)

三陸沿岸部〜北海道沿岸部の漂着鯨にまつわる記録や伝承の連なりが気になって、調べている。 特に、鯨がイワシやニシンを連れて来る漁業の神と結びつけられる話の数々。それは、全国一律に「捕鯨は日本の文化」と語られるようになった時代以前の、土地に根ざしたものの見方のような気がする。 8月最終週末、青森県青森市〜八戸市〜岩手県洋野町の旅記録。 1. 諏訪神社(青森県青森市栄町) 陸奥湾に流れ込む堤川の河口近くにあるこの神社には、祭日にイルカの群が川をのぼり参拝するという伝説がある

『ありふれたくじら』Vol.6 刊行のお知らせ

リトルプレス『ありふれたくじら Vol.6:シネコック・インディアン・ネーション、ロングアイランド』 2019年、アメリカ合衆国ニューヨーク州・ロングアイランドを旅した。この島に暮らし、古くから鯨を利用し敬ってきた先住民シネコックを訪ねた。かつてロングアイランドの近海ではたびたび鯨が見られていたが、一時代に盛んだった捕鯨活動や船舶の往来により長い間姿を消していたという。近年、ふたたび鯨が現れるようになったこの島の海で、人と鯨はどのような物語を編んでいるのだろう。『Ordin

memo.|戦後41年に生まれ、戦後75年にふりかえる。

8月15日。先の戦争の終戦の日、日本中の人たちが死者を悼み「二度と戦争を繰り返さない」ことを誓う。 次の終戦の日まで、新たに始まる一年をどう過ごしていけるだろうと考える。 新型コロナウイルス(COVID-19)感染拡大防止のため人が集うことが制限された今年はとくに「想像する」ことが重視されていた気がしている。 75年前の「あの日」、「あの日」までの日々と「あの日」から続いてきた日々を、後から生まれた者として想像する。 先の戦争を知る人たちの語りを聞き、残された記録を読み、あ

p.6|あなたにとっての青、わたしにとっての赤

8月です。 仙台は雨雲が去り、夏らしくなってきました。岩手県盛岡市・Cyg art gallery で毎夏開催されているART BOOK TERMINAL TOHOKU 2020が始まりました。私は2016年の開催時から毎年参加しています。 今日は、今年出品している新作のポストカード・ブック『あなたにとっての青、わたしにとっての赤』の紹介を。 ポストカードであり、本。ページは袋状になっていて、切手を貼って使っていただけるポストカードが1ページに1枚、入っています。これま

p.5|ことばの接点

今日で6月が終わる。2020年の半分が過ぎた。生活の中のさまざまなことが少し違う日常として戻ってきたこの一ヶ月は、ふりかえると大きな変化があったのかもしれない。最近、街中のアーケード商店街に行ってみると、人出はかなり増えた。けれどここ1週間くらい、宮城県内でも再び新型コロナウイルスの感染が報告されている。ものごとが再び動き出すペースと、見えないものの影響とが、どう関係していくのか予測できない不安がある。 街が静かになって、多くの人が自分や近しい人たちだけの空間に閉じこもって