真夜中の外で

 きみの身体を流れる血液が孤独の色をしていないことに、ひどく疎外感を覚える夜がある。自分の手首と比べて透かしてわからないとしても。心臓がこんなにからっぽなんだから、血管を流れているのは悲しみに違いない、と考える真夜中がきみにないことを、わたしはとっくに知っている。

 だからこれはもし、の話でしかないけれど、もし、きみの脈拍がさみしさの鼓動で刻まれていたとして、きっとわたしはそれにため息をつくほど安堵してしまう。その仮定がわたしをまたひとりぼっちにする。きみの心臓をとりはずしてわたしの胸にはめてそれで安心するなんて、生まれてこない方がましだ。

 寝息を聴いているだけでいい。眠れないで夜が明けてもかまわない。わたしの孤独はわたしのものだということについて、きっと痛みで忘れないでいられるから。なくしたくないものからなくしてしまう夜をくりかえして、そうまでしてたどりつきたい朝焼けがあったっけ、と思うばかりだった日々の痛みよりずっと愛しい。

 過去の匂いがしみついた街にいて、ロック画面の時計が示す時刻に何度も何度も何度も心臓を締めつけられた夜々の記憶ばかりがよみがえる。通知のバイブレーションをオンにしたスマホを抱きしめながら不安なまどろみを漂っていた日々だった。眠れないまま崩れ落ちていく明日の予定をながめて、浅い夢をみたところですぐ嘘だってわかって、期待したところでたいてい続きはなかったから、最後には諦めることしかできなくなる。ルーティン化された愛はどんな手触りがしたんだっけ。朝はいつも呪いだった。

 いまは違う温度で、それでも明日を信じるには心許ない。自分を愛さないものを愛することは簡単なことだ。それは自分だけの愛だから。どんな形でもかまわない。贈られたあとの花束のことを、いまは真夜中と夜明けのはざまでずっと考えている。眠るのが上手になった、とは思わない。ずっと夜は肌に親しくて、さみしくて、目を閉じても思考は鮮やかに澄んでいくだけだから。

 朝になれば眩しいこと。春になれば桜が花をつけること。それと同じ確度で遠い遠い約束が守られてしまうこと、それがすこし、恐ろしいような気がする。あまりにも正しくて、正しさですらそんなにあたたかくはなくて、取り返しのつかない前借りをしてしまったんじゃないかとときどき思ってしまう。

 たったひとひらの言葉に込められた約束の重みが心臓の深くまで落ちてきて、戸惑うことにもまだ慣れない。美しい言葉を美しいというだけで怖がってしまうけれど、質量をもつ言葉のあたたかさには否応なく信じさせられてしまう。落雷というには甘やかで、痺れというには足りない。きっと一生忘れない、と思うことにほんとうは意味などなくて、ただそう思っている間は、忘れないことが約束されている。それを祈りと呼んでいるだけだとしても、祈りたかった。

 愛と尊敬だけは強要できないといつか読んだ。縋っても手に入れられないものに縋って、あのとき、その先になにがあると思っていたんだっけ。変わっていないね、と言われるかもしれない。すべてがあるように思える夜には温度と言葉しかなくて、できるだけ身を寄せあって、どこまでも言葉を尽くして、それでも触れえない深みがある。

 だとしても、それはもうわかった、と声を出したい。目的地をもたずに電車に乗りたい。日差しの降る季節を歩きたい。展示の感想を言い合いたい。喫茶店のモーニングを食べてまた布団に戻りたい。無数の約束未満を叶った約束にしていった先に明日がくるなら、そうしよう。真夜中の外でもう一度キスをしよう。

 すべてなんていらないから、これからがほしい。眠れるまで起きていて、起きるまで眠ればいい。閉じたままだったカーテンを開けられるときまで待っていてほしい。そしたらまた言うから。きみをきみから連れ出してみせるって。



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