太陽のない国_短歌条例

 「太陽が沈んだあとの空が好き。」さみしくないの、ときみに聞かれた日のことを、コマ送りすらできそうなくらい隅まで記憶している。永遠は過去の別名だと知って大人になった気がした。けれど、「気がしてるだけだ」と鏡のなかに住む猫がこっそり教えてくれたから、今日は生鮮食品コーナーで一番高い魚を買った。

 眠るのも泣くのも下手になっている。わからなくなって諦めていた。絡まった茨の棘に後ろから最高機密を抜き取られても、なくなったものがなにかを考えているうちに朝が来てしまうんだ。

 「十二分遅れる。ごめん」のLINEだけ忘れなかったからかまわないわけじゃないけど愛してる。空洞がきみの形をしていないから、ほっとして悲しくなった。きみよりも大切なものが僕にあったと言われても、信じられない。もうそれを大切にするための回路は心臓から消えてしまった。喪失はいつも知らない顔をしていた。だとしても無のために泣くことなんて誰にもできない。切符を買った。遅いってきみに叱られたくて、ただ、人が少ない気がする電車の窓からを見つめて、名前を口の中だけで何度も何度も呼んだ。

 踏み出したエスカレーターは新雪のようで、ておくれ、という四文字が煌々と脳で鳴りだす。警告を振り払いながら改札口を飛び出して、かき消すように叫ぼうとして、叫ぶべききみの名前が出てこないことに気づいた。その代わり、ておくれ、という四文字をただこぼれだすように吐き出した。公転と自転の区別がつかなくなって、アスファルトがやけに近いと思ったら、座りこんでいたのに気がついた。

 悲しくて、けどそれはきみがもういないせいで悲しいわけではなくて、僕よりもきみを大事に思ってた誰かがいる、と突き付けられたせいだった。一番星ほど沈むのは早いといつか聞いた気がしたけれど、もうそのときのきみの輪郭も曖昧だった。視界が滲んでいるせいじゃないことを信じられなくて、何度も何度も瞬きをした。

 立ち上がることにも意味がもうなくて、だけどふらつきながら街へと歩き出す。商店街も裏道も、どこにもいないきみを探して。涙しか出てこなかった。どの粒も記憶を含んでいなかったから、流れては落ちていくままにしておいた。記憶だけではなくてついにはなにもかも視界のすべてが崩れ出し、僕も消えていくんだと知った。

 視覚から奪われるなんて聞いてない。でも聞く耳も消えてなくなる。香りだけずっとわかった。差し出してくれてたきみの薔薇の花束がどれくらい美しかったかいまさらになって気づいた。きみのいちばん大切な、最高機密は僕だった。灰になっても半透明に愛された記憶は光るはずだから、来世のきみにみつけてほしい。

 そのときはすべてを捨てて連れていく。太陽のないふたりの国に。


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