所有から共有の時代へ、手放す、ということ
さくらこです🌸
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3年前に書いた記事から引用します。
わたしがあらゆる恐怖を乗り越える経験をしたのは、わたしに必要だったから。
恐怖という感情は「何かを失う」ことに現れるもの、と書いた。
愛情、お金、人間関係、健康…
人間の悩みの元であるそれらが無くなる、失う、という感覚になった時に出る衝動が恐怖の正体。
全てはあるから、大丈夫
離れていても繋がっているから
なんて甘いことを言うことはしない。
その衝撃は人間を破壊するほどのレベルだということを体験すれば、そんな軽いことは言えないはずだ。
わたしは孤独は怖くない。
全てを失う体験はもうしているし、命すら失う疑似体験も何度もあり、それは恐怖ではないことも知っている。
友人や家族を失うことも、わたしには最早恐怖ではない。
最後の最後に、魂の片割れを失う恐怖に向き合ったけれども、それも恐怖ではなく「痛み」であると知った。
失う、という感覚は、所有しているから出るもの。
前にも書いたけど、愛は所有しない。
ただそこにあるもので、それを認識できるかどうか?に過ぎないものだ。
いやー、固いですね(笑)。
必死に怖さを無くそうとしていたのが、今読むとバレバレです(笑)
怖いものは怖い、それでいい、と今は思います。
でもこの「所有意識」というものは、どんどん薄れていく世の中になっているな、と思います。
所有意識から共有意識へ
シェアオフィス
シェアハウス
カーシェア
シェア畑
そういったものが出てきているのも、時代の移行期だからなんだと思います。
これからもどんどん、共有するものが増えていくことでしょう。
そこに意識をチェンジするためにわたしは、早々に所有の概念から脱出させられ、いろんな経験をさせられたのだなあ、と思います。
それには、ものすごい痛みも苦しみも伴いましたが、もしもあのままの意識だったら、この時期に、いろんな恐怖と向き合わなくてはならなかったかもしれないな、と思うのです。
そもそも、よく言われる「手放し」というのも一緒ではないかと思います。
今まで、何度も手放しをさせられてきたと感じていたのですが、それも所有の概念があったからこそ起きたことだと思うのです。
「手放したくないもの」は当然誰にもあります。
けれどそれはあくまで「手放したくない」というだけで、それ以上のこともそれ以下のこともありません。
でも例えば、人だったら、手放す時は、その人は自分といる幸せよりももっと幸せな場所に行く時に手放しが起きます。
だから、自分がその人の成長のためにしてきたことを誇りに思い、相手の幸せを願って送り出す。
それが、わたしの中の男性性のプライドです。
例えば物だったら、その物は自分のところでの役割を終えた時に手放しが起きます。
だからその物がより生かされる場所に送る、感謝を持って処分する(地球に還す)。
気持ちよく送り出せるためにも、日頃から丁寧に扱う、慈しむ、愛用する、などをしていると、手放しもスムーズです。
目の前のことや人に真摯に向き合い、善く生きる
わたしはツインのことも、夫婦のことも、このことを主軸に書いてきましたし、実践してきました。
対象に愛を出し惜しみしなければ、手放しすることもスムーズに行くようになります。
それにはまず、自分の中の愛を信じることから始まるのではないかな、と思うのです。
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