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38歳で亡くなった祖母が自宅に来た話

母方祖母は38歳で亡くなりました。
母が4歳の時のことです。
当然、一度も会ったことはなかったのですが、あの日、仕事から帰宅すると自宅の和室に祖母が座っていました。

母は晩年、透析患者になりました。
体調がもっとも辛そうだったのは、透析導入前の一年間です。
その年は一年の大半を入院していて、外泊で戻っても体調を崩してしまうことを繰り返していました。

和室にお布団を敷いて休んでいる母は、時々肺に水が溜まって状態が悪化します。あの日は丁度、そういう悪化が起きる手前の日でした。

帰宅して母の様子を見に行くと、母の枕元に和装の女性が座っていました。
着物と帯は、濃淡のある紅色。その上に黒い羽織を着ていて、頭の中に紅梅色という名前が閃きました。
黒い羽織と人物の皮膚の色から瞬間的に、亡くなっている人だとわかりました。同時に「お母さんのお母さんだ。」と理解しました。
咄嗟にかける言葉も思いつかず、黙って部屋を出ました。

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あの日から3日もせぬ間に、母は再入院しました。
母の呼吸が苦しそうで話しかけることもままならず、枕元に座っていた女性のことを母に話せずに居ました。
なんとなく、母が向こうの世界に連れて行かれるような気もして、とても話せませんでした。

母は幼い頃に母親を亡くした寂しさを、娘に話してくれることがありました。母には年子の妹が居て、姉妹で同じ境遇を乗り越えてきたと話していました。
母の入院に際して、母の妹がお見舞いに来てくださり、思い切ってあの日の出来事を話してみました。

母の妹に話すと、非常な驚きで関西弁の台詞が返ってきました。

「なんやて!?紅梅色!!」

そういうと大泣きして、しばらく会話になりませんでした。
聞けば母の妹は以前から、霊的な神職の方と懇意にしており、ひと月ほど前に神職の方の助言に従ったと言うのです。
その助言は、「亡くなったあなたのお母さんが、どうしても行きたいところがあって着物を求めている。あなたが紅梅色の着物と帯を着けて、どこかに一日行楽に出かけなさい。その後、その着物をお母さんのお墓の上の山に置いてきなさい。」というものでした。
素直に助言に従った母の妹は、「お母さんが行きたかったところは、姉さんのところやったんやね。」と泣いていました。

***

以降、母方祖母に会う機会は一度もありませんでした。
その入院を機に透析導入した母は、その後に4年間の命をつなぎました。
母は病の床で、自分の母に会えたのでしょうか。

亡くなった人も想いに従って、実に近いところで見守ってくれていると知りました。
今なら、母方祖母は母をお迎えに来たのではなく、貴重な4年を我々家族に与えるために会いに来てくれたとわかります。


母が亡くなって20年近く経ちました。

もし何かピンチが来ても、お母さんはそばにいて励ましてくれるよね…

母の死後もずっと、そんな気がしています。

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