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新作能「菖蒲冠(あやめこうふり)」誕生の秘密(1)

「斎王に出会った人との物語」として有名なのは、式子内親王(しきしないしんのう1149〜1201)と藤原定家(ふじわらのていか 1162〜1241)。式子(しきし)は賀茂斎院(かものさいいん)の斎王を1159〜1169年まで勤めました。「定家」は、式子が斎院の時代に和歌の先生として定家(ていか)と出会い恋に落ちた、という物語です。実際には式子が斎院から退下して、1200年亡くなる1年前に式子は定家に自分の歌を見てもらっていますが。

「神に身を捧げる日々を通して」をテーマに考えているうちに、斎王は、本当は男だったという設定が浮かんできました。

そこに決定打を出してくれたのが、西村宏堂というお坊さんのお話です。

西村さんの著書「正々堂々」(2020年 サンマーク出版)にも書かれていますが、西村さんは、子どもの頃から自分は女の子だと思って、女の子の格好をしたりしていました。彼はお坊さんになるための修行を始めましたが、一つの心配ごとがあり、お坊さんの作法の女性用と男性用のどちらを自分は選べば良いのだろうか、と思っていたそうです。そのことを指導員に相談したところ、修行の最後の日に、大変偉いお坊さんがその相談に答えてくれたそうです。

「作法は教えの後にできたものです。どんな人でも平等に救われるという法然上人の教えがもっとも大事なことですから、作法は男女どちらのものでもかまいませんよ」
「日本では、お坊さんは洋服も着るし、時計もつけます。それとキラキラしているものを身につけることと何が違いましょうか。多くの人に教えを広めることができるのなら、キラキラしたものを身につけても問題ないと思います」

「正々堂々」(2020年 サンマーク出版)

このお坊さんの言葉を聞いたとき、すべての物語はまとまったような気がしました。

西村宏堂さんは浄土宗、清沢満(1863〜1903)は浄土真宗ですが、清沢満之は一度読んでおかないと、と思い「精神主義ほか、清沢満之」という本を読みました。その中の「精神主義」にも、

…ところが、真正の道徳は、けっして、このような優劣差別の妄念から生じるものではなく、万物一体の真理に基づいた平等の障碍(しょうがい)のない正念から起こるべきものである。

「精神主義ほか、清沢満之」(橋本峰雄 中央公論新社 2015年)

仏教の平等思想について詳しいわけではありませんが、西村宏堂(に語ったお坊さん)、清沢満之のとらわれのないものの見方を「菖蒲冠」に綴ってゆきました。

「菖蒲冠」の中で斎王は、自分は皇女ではなく皇子だと告白すると、その言葉に感動して仏が現れて、この世を照らしてくれます。この仏の姿は、法隆寺の百済観音(救世観音)です。以前「百済観音」という能の台本を書いたことがありますが、去年の7月に国立東京博物館で開催された「聖徳太子と法隆寺」という特別展で、百済観音をデジタル3 Dで彩色を復元してみました、という映像を見て電光石火のごとく台本が生まれました。

そのとき 天夜(てんよ)は 光満(ひかりみ)ち 皇女(ひめみこ)照らし 給(たま)ひけり。現(あらわ)れし 仏(ほとけ)の姿(すがた) 金色(こんじき)の 天衣(てんね)の揺らぎ 影揺(かげゆ)らぐ。皇女(ひめみこ)の 涙は 仏に御手(みて)に 落ちたれば 銀(しろがね)の 滴(しずく)となりて 光り落つ。瑠璃(るり)の瓔珞(ようらく) 明らかに 御姿(おんすがた)に 照(て)らされし。紅(くれない)の口(くち) かすかにほころび 語(かた)り給(たも)ふ。

「菖蒲冠」台本より


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