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キュロスの碑文を歌いたい(2)

再びキュロスの碑文に戻れば、その43節に「…(私(キュロス))より前王の一人アッシュルバニパルの碑文の中に、(私は見た)」と書かれています。これは、エサルハドンからアッシュルバニパルにつながった「天命の書板」の精神をキュロス2世は引き継いだのではないか?!と、キュロスの碑文の発音の教えて下さった、渡辺和子先生が、大きな発見をした興奮を私に激白していました。

そもそも、なぜこのような複雑な話を長々と書いているかと言うと、2月17日(木)渡辺和子先生にキュロスの碑文の発音を教えて頂きに行った町田の喫茶店で、キュロス・トークが白熱し、二人とも心はキュロス2世のバビロニア王国に跳んでいたからです。

エサルハドン

さて、キュロスの碑文はアッカド語(またはバビロニア語とも言う)の楔形文字によって綴られています。

楔形文字

渡辺和子先生はアッカド語の先生とはいえ、ご専門はギルガメッシュ叙事詩(B.C. 1300〜B.C.1200)などで、直接キュロスの碑文を研究されていらっしゃる訳ではありませんでした。今回、私が「キュロスの碑文を歌いたい」という申し出を受けて、この楔形文字の発音を復元してくださいました!渡辺先生は、キュロスの碑文の欠けているところを修復したアーヴィング・フィンケルによる最新版で翻訳してくださいました。

アッカド語を話す人は、現在誰もいません。B.C.1000年ごろにはアラム語にとって替わられます。そういえば、今でもアラム語を話すと言うシリアのマアルーラという村に2009年に行ったことがあります。私の感覚では、ヘブライ語に近い感じがしました。すでに3000年前に誰も話さなくなった言語を音読してみました。例えば、キュロスの碑文 32節後半、

「私(キュロス2世)は全ての人々を集めて(彼ら)をその住居に戻した。」

キュロス円筒碑文 32節

「クッラトゥ(すべての) ニシュー(人々)シュヌ(彼らの) ウパッヒランマ(私は集めて) ウテール(戻す) ダドミー(住居)シュン(彼らの)」

になります。なんとなくアラビア語をやっているとわかる感じです。アッカド語の音読に血眼になっている女子2名、渡辺和子と桜井真樹子。喫茶店で3時間経っても動こうともしませんでした。

のちのダレイオス1世(B.C.550〜486)によって建設された
アケメネス朝ペルシャ帝国の都ペルセポリス

音読解明を終了し、帰途についた時は、満月が煌々と現世を照らしていました。

キュロスに笑われているように思い、ふと、見上げた月に、つまり憲法9条とは、天命の書板、キュロスの碑文と同じことなんだろうと思いました。信仰の自由とはまた別で、戦争放棄について書かれたものですが、これも平和外交の役割を担っていたのではないでしょうか?今や憲法9条を机上の空論と考える世論が主流となりつつあります。しかし、「天命の書板」の政策を続けたアッシリア帝国は1,400年続きました。

憲法9条を輝かしい精神を持った条文であると人々が思い、アラブの紛争地域の人々から、「アーティクル・ナイン(Article 9)の話をしてくれ」と言われた時代に生きてこられたのは、人類としての幸福でした。

これらは理想の空論でしょうか?ではなぜ、そのことに思いが至ったのでしょうか?それが知性という人類の神秘だと哲学者ヴィトゲンシュタインは言っています。


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