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メンタルブロックは学校という工場で量産されている

学校の本質は工場である。と聞いたことがある。国語や算数のような数値化できる頭の良さを一定水準以上に引き上げ、また、数値化できないが社会とともに生きていくために必要な素養を身につけるための力を身につける場所だとすれば、たしかに、学校の本質は工場なのかもしれない。

学校という工場のなかで、毎日同じ時間に登校し、決められた時間、決められた内容を学習することによって、言われたことを言われた通りに、文句を言わずに処理できる人間を、金太郎飴のように量産し続けていく。日本という国を永続させるために必要なシステムという見方もできる。そのシステムに気づいたひと握りの人間が、経営者として、個人事業主として、あるいは、勤め人であっても自分の意思をもって、使われる人間から使う人間(考える人間)に居場所を変え、レーンに沿って均質なものづくりに似たアウトプットではなく、ドラマチックに、自分の考えをもったアウトプットができるようになっていく。

学校生活のなかに、自分の考えをアウトプットができなくなるきっかけは散りばめられている。ただ何となく生きているだけで、小さいものから大きいものまで、石が積みあがるようにメンタルブロックという壁ができていく。仲間外れにされたとか、いじめられたとか、記憶に染みついて離れない経験もあれば、先生にあてられたときに緊張して発言できなかったとか、時間が立つとともに薄れていく経験もある。そういったことが積み重なって、目をぱちくりさせたり、髪を触ったり、爪を噛んだり、鼻をほじったりなどの、チックと呼ばれるような行動として表れる。これらの行動によって、メンタルブロックに押しつぶされそうになる状態に抗っているとすれば、精神状態を保つための自己防衛反応であり、大人になっても緊張状態になると発動することがある。

緊張→自己防衛反応としてのチック→安定→緊張→自己防衛反応としてのチック→安定……
と繰り返していくうちに、メンタルブロックは強固になっていく。メンタルブロックを強固にしているのは、自己防衛反応であることは、メンタルブロックを外すことは自分を危険にさらすことに等しい。ここにメンタルブロックを外す難しさがある。

ぼくの場合、爪を噛むという自己防衛反応があり、その結果、爪の形は悪くなり、長い間コンプレックスになっていた。“なっていた”と過去形で書いた通り、いまでは爪を噛む癖はなくなった。コンプレックスであったこともあり、家族から爪を噛まないように注意されるたびに、聞こえていないふりをしてその場では爪を噛むことをやめ、場所をかえて隠れて爪を噛む。そんなことの繰り返しが大人になるまで続き、あるとき母親があきらめたように、「小学校一年生のときの先生が爪を短くしなさいってうるさく言ってたからそれで気になるようになっちゃったんだよね」とボソっと言ったことがあった。ぼくは、一年生のときの先生が大好きだったから、この言葉に驚いたと同時に、妙に腑に落ちたところと、ぼく自身のせいではなかったんだと、ほんのすこしの解放感があった。そこからは少しずつ爪を噛む癖はなくなり、爪の形もまずまず、人に見せても平気なレベルになった。気を良くしたぼくはネイルサロンに行き、プロからネイルケアの基本を学んだ。

緊張状態になると発動する癖には、自己防衛反応という側面がある。自己防衛反応がコンプレックスとなっていると向き合うことが難しくなるが、コンプレックスが自分を守るための行動の積み重ねの結果であることに気づき、自分自身をやさしく抱きしめてあげる。強固なメンタルブロックのきっかけになった小さな石を取り除いてあげることができれば、メンタルブロックは少しずつ小さくなっていく。

学校という工場で量産されているメンタルブロックは、きっかけは学校生活という忙しい日々にまぎれてしまう。爪を噛む、のような改めたい習慣がもしあれば、その習慣のきっかけを思い出し、上書きするしかない。変わりたいとき、ぼくらは新しい出会いを求めがちだけど、新しい出会いを求めるのは、家族や友人と話をしてからでも遅くはない。

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