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葬送のフリーレン24話感想/言葉のない複製体

葬送のフリーレン24話視聴。感じたことをメモしておく。
#ネタバレあり

葬送のフリーレンという作品で「言葉」は重要なキーワードだ。魔族は欺くために「言葉」を操る。そして、24話で登場した複製体は言葉を発しない。そして心がない。これは何を意味するのだろうか。

●「魔法能力」と「言語能力」の扱いの違い
水鏡の魔女(シュピーゲル)によって作られる複製体は、人の記憶を読み取って作り出される。魔法を学んだ記憶が複製されるため「魔法能力」は完全に同じになる。それなら「能力」がすべて複製されそうな気がするのだけれど、言語能力は複製されない。ここがこの話の不思議なところで、だからそこには深い意味があるのだろうと思う。そしてそれはたぶん、言語能力の複製は難しく、そして「心」は言語能力がないと作れない、という設定だからではないだろうか。

●複製体を通して見える魔族と人間の違い
「魔法能力」と「言語能力」。人間は魔法を目的のためだけに使っても構わない。でも言葉をそう使うと、信用を失い社会から廃除される。「言語能力」は使うのが難しい。「複雑な使い方」が求められる能力なのだ。そう考えると、複製体というものを通して、魔族と人間の違いが見えてくる。
言語能力を使いこなせる魔族は、複製体より人間に近い。でも、言葉能力を「単純な使い方」しかできず、人間のようには使えない。
魔族は人間を陥れるために言葉を操る。だから人間より高度に言語を操っているかのように感じる。でも、「陥れる側」が「陥れられる側」より高度なはず、というのは錯覚だ。人間の言葉の使い方は高度だからこそ、陥れられてしまう。しかし、高度だからこそ強みもある。それは信頼関係だ。第二次試験会場である零落の王墓の最深部で、フリーレンたちが速攻でチームとしてまとまろうとしているのは、まさにその「強み」によるものだ。私たちは非論理的に言葉を信じることができる。そのことは決して弱みではない。

●心が複製できないわけ
言語知識は脳内に情報として保存されている。それは複製することは可能だろう。でもスナップショットの複製では消えてしまうものがある。それは変化だ。どこからどう動こうとしていたのか、どの程度の強さで変化しようとしていたのか。そういうものはスナップショットにすることで消えてしまう。そして、言語能力や「心」というものは、そういう変化から立ち上がってくる幻想なのだろうと思う。誰かが話しかけられたときに、私たちの心は変化する。それは、常に変化している心の変化の流れと、話しかけられた刺激の合わせ技で、どういう方向に変化してゆくのかが変わるもの、なのだろう。だから、人の記憶のスナップショットを利用するシュピーゲルの魔法では複製ができなかったのではないだろうか。

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