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『葬送のフリーレン』と『僕の心のヤバイやつ』/生まれ持った素質と向き合う物語

今期のアニメで「葬送のフリーレン」と「僕の心のヤバイやつ」が素晴らしい。この一見テーマが大きく異なる2作品に私が惹かれるのには、同じ根っこがある気がしている。それについて考えたことをメモっておく。
#ネタばれあり

●あらすじ(超ざっくり)
「葬送のフリーレン」をざっくり要約するならこんな話だ。長寿のエルフであるフリーレンが、一緒に魔王を倒した勇者ヒンメルの葬式で後悔の涙を流す。「なぜもっと人のことを知ろうとしなかったのか」。そして人を知るための旅に出る。

「僕の心のヤバイやつ」はこうなる。陰キャの市川は、陽キャの山田とふとしたことで会話をする仲になる。市川は山田のことを知り、山田に知られるようになることで、変わりたいと思うようになる。

●物語の共通点
フリーレンと市川。主人公二人はどちらも「自分を変えたい」という思いを持っている。それが前面に出ている「僕ヤバ」と、後景に隠れている「フリーレン」ではだいぶ印象が異なるが、自分を変える物語という面では同じだ。そして主人公は決して前向きでは無く、だけどパートナー(ヒンメルと山田)のとても前向きなところに触れることで、少しづつ変わってゆく。ここまでは同じだ。

●目指すゴールは違う
一方で、主人公の性格が大きく違う。フリーレンは他人への興味が薄く、自分の趣味を大切にする。意図せず人を振り回してしまう。市川は他人のことをとても気にしていて、人のために自分を犠牲にしてしまう。だから思わず人に振り回される。フリーレンは他人に鈍感すぎで、市川は敏感すぎる。なので、どう変わりたいのか、つまりゴールイメージが大きく違う。すごく簡単に言うなら、フリーレンは「他人を知ること」、市川の場合は「自分を知ること」。それがゴールだ。

●立ちはだかる壁
鈍感すぎるフリーレンの場合、1000年以上生きるという条件の違いから生まれる「感性の違い」が絶望的な壁となる。感性が違いすぎて人の気持ちがよくわからないのだ。一方、敏感すぎる市川の場合、敏感だからこそ大きく膨らむ「恐怖」が、彼にとって巨大な壁となる。
彼らはこの壁をどう乗り越えてゆくのか、それが物語のコアにある。どちらも自分の生まれ持った素質が生み出している壁だ。長寿の感覚自体を変えることはできない。敏感でなくなることは努力してもできない。

●素質が作った壁を、素質で超えろ
フリーレンの壁を超える戦略は、もう一度旅をすることだ。これは自分の長寿を武器にするということ。刺激を受け取る感覚が鈍感であることが問題なら、繰り返し何度も刺激を受け取ればよいはずだ。
市川の戦略は、山田を通して自分を知ること。敏感さは「自分のダメさ」を思い知らせる。だから自分を知るのが怖い。自分像は恐怖で歪むのだ。でも、彼は他人のことはよくわかる。そして本気でその素質を磨けば、他人の中に映る自分自身が見えてくる。そして、そうやって得られた自己像は、きっと誰の自己像より解像度が高いものになる。
生まれ持った素質によって、気づけば作り出されてしまっていた壁。それは彼ら自身の責任では決してない。フリーレンが非情に見えるのも、市川がキショく見えるのも、それは彼らの責任じゃない。でもその壁を彼らはちゃんと受け入れて「その素質」を武器に乗り越えようとする。そういう物語であることが、この物語をエモく感じる理由にある。もちろん演出は素晴らしい。光の表現とか伏線回収とか台詞回しとか、エモくなる要素はたくさんある。でも、「磨きをかけたくなる物語構造」があるからこそ、そこに本気で演出を力いっぱいやろうという人たちが集まるのだろう。

●受容を押し付ける時代
今は変化の時代と言われる。だけれど、実は自分を変えることがとても難しい時代なのだと思う。多様な価値観を認めなければいけないという単一価値観から逃げだすことができない。だから、ある価値観から別の価値観へ変化することは難しい。自己肯定感という言葉が流行っている。今の自己を肯定しながら、自分を変化させる動機を持ち続けることはむつかしい。
要するに「変わりたい動機づけ」が希少なのだ。例えば市川の「変わりたい」に対して「いや、市川はそのままでよいのだ」と返すことに、多くの人は抵抗感を感じないだろう。それは今が「そういう時代」だからだ。そうやって変化の動機付けが成長する機会が失われる。でも、市川が言っていたように「変わらなくてよい」と言うことは、本人がそう思っていなければ単なる押し付けだ。「受容」は押し付けることができる。今は「受容を押し付ける時代」なのだろう。

●安易な受容の弊害
しかし、この受容の押し付けの弊害はもちろんある。信頼関係が育たないのだ。誰かを信頼するとはどういうことか。未来は想定外で満ちている。私たちが正確に予想できることは本当に僅かなことだ。できると思った約束は、約束した直後に崩壊を始める。これは誰にとっても同じだ。だから「人を信頼する」とは、その人が「結局何とかしてしまうだろう」と信じるということだ。この信じる行為は、ありのままを受け入れることでは育たない。重要になってくるのは「自分を変える柔軟性があるか」だ。変化しつつ一貫性を残す素質が見えたとき、その人に対する信頼が生まれるのだと思う。

●信頼関係の物語
そして改めて、この2つの物語はどちらも「信頼関係」が重要な要素であることに気づく。フリーレンは深くヒンメルを信頼している。そして私は、勇者の剣が抜けなかったエピソードを思い出す。彼は剣が抜けなくても構わないなんて、少しも思っていなかったはずだ。でも抜けなかった。そのとき彼は考え方を変えたのではない。彼はきっと「自分を変えた」のだ。彼の中の一貫性をちゃんと残しながら。
市川は山田を信頼している。それは彼女が前向きだからじゃない。彼女が悩みながら変わろうともがいている姿を見て、深く信頼したのだ。山田も市川を信頼している。それは、市川は他人のために自分を変えられる、そういう人だということを、彼女が知っているからだ。

●作品としての共通点
人には生まれ持った素質がある。その素質は変化を止める壁を築いてしまう。でもその壁は、その素質自体の力で乗り越えることができる。だからきっと、どんな人でも変わることができる。そんな人間賛歌の物語。それも強い説得力を持つ物語。それが、この二つの作品の共通点ではないだろうか。


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