1年間だけ接した人

 人生で二年間共に過ごした、別れてしまった恋人。五年間を共に過ごした、バイト先の友人。それに比べて、人生で一年間しか接することはなかったが、今でも僕の頭の隅に居座り続けている人がいる。小学五年生の頃に担任だった、高橋先生という人だ。
 小学生の頃、周りの友達は担任の先生について「1組は当たりだ!」とか「2組の先生はハズレだ!」と、言い合い、学年が変わるたびに、次はどんな先生が担任になるかという期待や不安を抱えていた。
 しかし、当の僕は周りほど担任に関心が持てず、怖くない人なら誰でもいいと思っていた。それは、きっと5年生になるまでに、担任によってクラスが楽しくなったり、つまらなくなったりすることがなかったからだと今では思う。

 4月1日、5年生になった僕は、新しい教室に入り、カバンを椅子にかけ、着席し、それから幸運にもまた同じクラスになった友達と目を合わせて、クスッと笑った。「ガラガラガラ」と音をたて、前の扉が開いた。頭は坊主、体格はゴリラのようにがっしりしている、強面の男が入ってきた。一気に教室がシーンとなった。皆、状況が理解できずに固まっていた。その男はギターを背負って教室に入ってきたのだ。そのあと、男はギターを背負ったまま「今日から担任の高橋です!高橋先生と呼んでください」と、ハキハキと言った。
 その日から、僕らのクラスには「みんなの好きな曲」と書かれた、リクエストボックスが置かれた。自分の好きな曲を書いて、そこへ入れると、週末に帰りの会を使い、高橋先生がギターを弾いて、歌ってくれるのだ。みんなが知ってる曲は、みんなで歌い、知らない曲は高橋先生が一人で歌った。そこで僕は、初めて担任の先生のことを大好きだと思えた。

 五年生になり半年経った時、僕は初めて万引きをした。学校から目と鼻の先にあるコンビニで、いつでも買えるようなお菓子を盗んだ。それが欲しかったわけではなく、その時一緒にいた他のクラスの友達に「一緒に盗んでみようぜ」と言われ、何も考えずにやってしまった。勘違いだったかもしれないが、万引きして店を出る瞬間、外にたまたまいた同じクラスの友達に、万引きの瞬間を見られたような気がした。外に出て僕は一緒に万引きをした友達と、できるだけ遠くまで走った。破裂するかと思うくらい心臓はバクバク鳴っていた。

 それから、一週間経ち、僕は高橋先生にいきなり「放課後図書室来れるか?」と聞かれた。予定もなかった僕は、放課後、言われた通りに図書室に行った。そこには、一週間前に万引きをした友達が地べたに座らされていた。僕は一瞬で察した。バレたんだ。やっぱり店の前で、同じクラスの友達に見られていたのかと。
 僕は友達の隣に座った。高橋先生は僕ら二人に「お前らのしたこと、全部先生わかってるんだ。何をしたか言えるか?」と言った。万引きを認めてしまったら、捕まるかもしれない、学校にいられなくなるかもしれない、親にひどく怒られる。色々な想像が頭を巡り、僕たち二人は何も言えず、しばらく沈黙が続いた。高橋先生は、僕に向かって「お前は、俺のクラスの生徒だ。頼む、先生からのお願いだ、自分の口から何をしたか言って欲しい。」と言った。その時の高橋先生の顔は、とびきり優しい顔をしていた。僕は、言葉よりも先に涙が溢れた。そして「万引きをしました。ごめんなさい。」と言った。高橋先生は「よく言った。ありがとう。」と言って僕の肩をポンと叩いた。
 夜になり、高橋先生はうちへ来て、親にことの経緯を話した。親は当然、激怒し、親と一緒にそのコンビニへ謝りに行った。高橋先生はその日からも何もなかったかのように接してくれた。六年生に上がると担任はまた変わり、高橋先生は他の学校へ転勤した。

 それから数年経ち、19歳になった僕は、部屋の掃除をしている時に当時の連絡網を見つけた。そこには高橋先生の電話番号が書かれていた。(昔は今と違ってプライバシーにうるさくなく、クラス全員の電話番号、担任の電話番号が記載された紙が配られていた。)
 高橋先生のことをずっと忘れられなかった僕は、携帯電話にその電話番号を打ち込んだ。少し、いや、かなり迷った。電話をしていいものなのかどうなのか。最終的に「どうせ繋がるわけないか!何年も前の番号だし!」と思い発信ボタンを押した。

「はい、高橋です!」

繋がった。あの頃と同じ、ハキハキした口調で。僕は一瞬で色んな安堵を感じた。元気に生きてたのか、よかった、声もハキハキしてあの時のままだ、よかった、またこの番号に電話をすればいつでも高橋先生に繋がるのか、よかった。たくさんの安堵を抱えた僕は,何も話すことができず、無言で電話を切った。僕一人だけが、安堵を抱えて。

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