トラぺジウム 【映画感想】 人はなぜアイドルを目指すのか?

なぜ見に行ったのか?

アイドルアニメは興味がないため元々見る予定ではなかったのですが、SNSで話題になっており、普通のアイドルアニメではないとの評判を聞き興味をそそられたので見に行きました。

話の概要

話は主人公がアイドルユニットを作るという目的を隠して友達を作る所から始まる。

オーディションに失敗し自分単独だとアイドルとして採用されないと考えた主人公は、東西南北の学校から話題性のある子を引っ張ってきて(友達になって)、その話題性をもってアイドルユニットを作ることを画策する。

「アイドルにスカウトされるため」という目的を隠して、世間の話題になりそうな活動へ友人たちを誘う。
主人公の地道な「工作」の末、彼女らの活動は芸能関係者の目に留まり、念願のアイドルデビューを果たすことになるが、主人公以外の友人は芸能活動を友人関係の延長線上に捉えていた。

友人らは「アイドルになりたくてなった」訳ではないため、仕事に限界を感じ、進路に迷い、個人の幸せを優先して、皆が同じ方向を向いていなかったことが亀裂になりユニットは崩壊する。

主人公は夢を絶たれることになり、その先に何を思うのか、主人公は結局何を得たのか?ということを説明してこの話は終わります。

この話は結局何を言いたかったのか?

この話は「なぜ人はアイドルに憧れるのか」を書いた話だと思いました。

主人公は「アイドルは絶対的に神聖で素晴らしいもの」だと思い込んでおり、彼女のアイドルになることへの固執、執着心はある種狂気的なものがあります。

本作はこの狂気を描いているという点で純文学的な映画です。

彼女はアイドルが輝いている存在であるのは、アイドルが「偶像であるから」ということを十二分に理解しています。
だから彼女は大衆にとっての偶像になるため、ボランティアなどをして「自分達をよく見せる活動」をひたすら繰り返します。

自分の裏の顔は思わぬところからSNSで一気に拡散するため、裏の部分の工作にも余念がありません。

彼女の根底にある願望は「人に良く思われる」ことであり、その究極的な存在としてアイドルがあるため、アイドルになることに執着しているのだと思われます。

本作は一貫して「自分をよく見せたいという心理」を書いています。
アイドルは彼女の目標ではありますが手段であって本当の目的ではないのです。

そして本作は「自分が周囲から認知されるため、良く思われるためにどこまでできるのか」が、アイドルとしての職業適正であると言っているようでした。
それはアイドルである作者が業界を見た上での実体験に基づいていると思われます。

ズルをしようが他人を蹴落とそうが利用しようが、それをしてでも「前に出ようとしない」とアイドルとして大成できないのでしょう。
その果てに自分が「外面の化け物」になろうと構わないと思っていないと。

作品の終盤では、主人公が自分の身勝手な行動で周囲を傷つけていたことに気づきます。

アイドルは周囲に希望と笑顔を与える存在なのに、自分達が笑顔で楽しい存在でなければそれを人に与えることはできない。
自分の信じてきたやり方・価値観ではアイドルの意義に反することがあることに気がついてしまったのです。

本書は現代社会の価値観へ問いかけをしています。

主人公がアイドルになりたいと願ったのは、他人にどう思われるかということを基準にした価値観に支配された社会でアイドルが輝いている姿を見て衝撃を受け、それが自分の軸に、目標になったからでしょう。

目標を叶えるために自分の信じたやり方で行動して、挫折を味わった。自分が間違っていることに気が付いた。しかし主人公はそれでも諦めません。
自分の夢を揺るぎないものとして捉えています。

自分をよく見せたいという願望は誰にでもあります。
自分をよく見せることと基準としている社会は歪んでいるかもしれません。その願望から生まれたアイドルという存在は「人に良く見られること」への憧れを与えます。
でも同時に夢や希望も与えるのです。

アイドルという存在は歪んでいるかもしれないけれど、確かに美しい。

そこにトラぺジウムというタイトルの妙があり、この作品の文学性があります。
面白かったです。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?