見出し画像

音の故郷に立ち帰る

東京に住んでいて実家が関西の田舎にあると、毎年帰省するのはそんなに簡単ではない。クルマで帰っても、あるいは新幹線でも、3時間や4時間ではとてもたどり着かない。かつては当たり前にあった実家が、人生が進むにつれ、気が付けば遠いものになっている。

2024、夏。

ともあれ今年は帰ることにした。まあ去年は葬式があったし、実際には毎年のようになんやかんやと立ち寄ってはいるのだが、こうして夏の帰省らしく帰省するのは数年ぶりかもしれない。

道中、東京から東名を下り伊勢湾岸自動車道に入る。亀山で名阪国道に乗り継いだあとは、針テラスから下道を行く。

立ち寄った道の駅で、奈良南部の関西弁が聞こえてくる。どきどき大阪弁も聞こえる。ネイティブの普通の関西弁を聞きながら「あれ?関西弁ってこんな感じだっけな?」と、ある種のちょっとした違和感や新鮮さも感じたりしながら、故郷に帰った。

さて、今回の帰省はいつもとはすこし違っている。帰省に無理やりかこつけて、福山のライブハウスに行くのだ。「福山Cable」でライブイマーシブのシステムを体験しにいくことにしたからなのである。

福山Cableには、d&b社のSoundscapeというライブイマーシブシステムが導入されている。去年の七月に日本で初めてのケースとして話題になったのだが、一年たってもなおライブハウスとしていまだに日本で唯一の導入例なのだそうだ。

それ以上の詳しい技術的な話はさておき、楽しみである。地元名産の柿の葉寿司とそうめんをお土産に買い込み、福山に向かう。

福山Cableに音を聴きにいく

近鉄とJRを乗り継いだあと、新幹線で福山駅に降り立つと、駅からすぐ福山城が見える。この街にはお城と福山Cableがある。

それにしても暑い。

駅前のローソンを右に曲がってすぐのビルのエレベータで上にあがると、踊り場のような空間が一呼吸あり、その先に福山Cableのエントランスが見えてくる。入ってすぐ脇のバーカウンターでトニックドリンクを注文する。

フロントの5発のポイントソーススピーカー

冷たい飲み物が美味しい。今日もほんとうに暑かった。ここはとても涼しい。

飲み物を片手に入口から奥に入ると、その先には青い逆光が差すメインフロアが広がっている。ほどよく吸音されている空間であるらしいことをなんとなく感じながら、久しぶりの人たちや初めて会う人たちに挨拶をする。

ライブイマーシブ

そうこうしているうちにイマーシブ専門バンド「イマーシバーズ」によるデモンストレーションライブが始まった。

システムから音が出る——これは……。

いままであまり気がつかないでいたが、これまでのライブ音楽におけるステレオ2チャンネルの音響表現というのはもしかすると思ったよりはるかに脆弱なものだったのかもしれない。そして、ライブ体験というものは、不完全な音とリアルタイム映像の二者による共犯関係のようなものによって、かろうじて成立していたといえるのかもしれない。さらに言えば、その不完全さに気がつかないまま私もこの事態に加担していたのではないか。

今回の福山Cable訪問は、そんな突拍子もなさそうなことを考えるきっかけになった。

上質なピュアオーディオならいいわけではないらしい

さてここで、ライブPAとピュアオーディオの違いについて考えてみる。

LRの2chからなる従来のPAでは、フロアのど真ん中で聞いている分には、確かにほぼ破綻せず音像を立ち上げることができる。しかしながら、聴衆が右や左に動くと定位は途端に破綻してしまう。たとえば左チャンネルのPAスピーカーに耳が近づくと、右にいるピアノの音が左から聞こえてしまうことになる。不完全である。単純に、聞いていて変な感じがすることになるはずだ。

たとえば、人気のバンドであるほど聴衆はフロアに溢れることになる。そうなると、センターのスイートスポットから外れた不完全な音を聞くオーディエンスの割合も増える。お客さんが一人ならある意味では音響的には問題ない(もちろん、それ以前の問題がある)のだが、バンドに人気が出るほどこの問題は大きくなるということになる。

もちろん、ライブPAというのはそういうもんだとなかば無意識に私も思っていた。家で一人で聴くオーディオシステムのようなわけにはいかないのだから仕方がない、と。

失われたライブを取り戻す

話を戻して、映像と音の関係についてもうすこし考えてみる。

ライブ演奏においては、PAから出てくる音響と目の前にある演者の映像が相互に補完される。このことによって音は、いわゆる「ライブ感のある音」として脳内で補正がかけられて認知される。これは良いことだったはずだ。すくなくともかつては。

ライブは、視覚と聴覚の相補的な総合体験である。これはあたりまえのことなのだが、実際にイマーシブを聞いて体験してみるともうすこし気が付くことがあった。それは、この音と映像の相互補完性というものが、思ったより深刻なものだったのかもしれないということである。

ライブイマーシブによって、まず単純に音像定位がよくなる。ステージのあらゆる音が、フロアのほぼあらゆる場所で聴いても、そのままの自然な姿で立ち上がってくる。

それによって、音を聞く際に視覚に頼らなくてすむようになる。しかも、この恩恵を受けるのは聴覚だけではない。今度は、視覚もクリアになるように思えてくる。演者の動きや表情がよりストレートに繊細に見てとれるようなる。

何度もライブというものを見てきたはずなのだが、このライブという体験が映像として自分にとってなにか新鮮なもののように感じられてくる。

本来はあたりまえだった音像と映像が、あたりまえのように普通に目の前に立ち上がることで、「ライブってこんな感じだったんだな」と再発見することになる。普通なはずのことがなぜか新しく感じるのはなんだか不思議な感じだ。

音の故郷

ライブの音響というのはどこか実家に似ている。

慣れ親しんだ実家というものを、時を経て再び経験してみるとなにか新鮮なものに思えることがある。これまで長いあいだ音を扱ってきて、よく知っていたつもりだったのが、こうしてイマーシブライブを経験してみると、なにか忘れかけていた音の佇まいを感じることができる気がしてくる。

いままでさんざん聞いてきたはずのライブをイマーシブで体験してみると、なぜか懐かしい音の故郷を新しく感じることになるのだ。近くて遠い実家に久しぶりに帰省したときのような気持ちになってくるのである。

こんな天井だったっけな

そういえばライブハウスオーナーの出原さんに聞いた話なのだが、従来のライブハウスの音に慣れていない高校生の若者が福山Cableに来ると、音がいいだとか音像定位が自然だとはだれも思わないらしい。彼らはまだ、故郷を失ったことがないのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?