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『カムカムエヴリバディ』を観ていたら疑り深くなっていった

#テレビドラマ #entertainment #カムカムエヴリバディ

 先々週の金曜日8時15分過ぎ、矢も楯もたまらず、『カムカムエヴリバディ』の公式ページを開いて次週予告を見ると、そこには「第22週 2001-2003」とありました。と、いうことは……、
「since 1925だから、100年の物語っていうと最終週はめちゃくちゃ長くなってへん!?」
 と第103回で久々に五十嵐を見たひなたの叫びの如き思いを抱きました。それから一週間。次週予告を見ると、
「最終週 2003-2025」
 そりゃあ、100年の物語なのですから「since 1925」だったら最後は「2025」になるのは端から分かることですが、さすがに視聴者時空を突破して未来に突入するのを提示されると、驚くし、もう何が何やら分からんが、突っ走っておくれ、という気持ちになってます。100年の物語で最後の四半世紀近くを最終週5回に詰め込むというのを、第1回を観た頃の自分に伝えると「またまた、こいつはほらを吹いているぞ」と思ったはずです。
 こんな『カムカムエヴリバディ』を日々観ていたら、だんだんと疑り深くなっていきました。今、最も疑っているのは「アニー・ヒラカワは安子ではないのではなかろうか」ということです。
 ラジオ英会話がまだ放送されているのかと驚く。怪しい。
 甥のジョージから「岡山には行かないのか」と言われる。怪しい。
 ひなたが差し入れをした回転焼きのあんこを食べてはっとする。怪しい。
 ひなたからあんこのおまじないを聞かされると慌ててどこかへ行く。怪しい。
 全てが怪しい。あたかもアニー・ヒラカワは安子であると誘導しているようではありませんか。それじゃ、アニー・ヒラカワが安子じゃなかったとしたら誰なのだ? ということになりますが、私の思考が行きついた先で、お豆腐屋さんのおきぬちゃんだろう、というところに落ち着きました。「きぬの夫の力はラッパを吹いていたしなあ。トランペット奏者になってアメリカに渡っていてもおかしくない……」。疑念は人の脳をこのようにしてしまうのです。
 そんなに疑り深くならなくてもいいではありませんか。最終週の予告では、岡山のクリスマスフェスチバルで主要人物が揃って楽しそうにしていましたよ、という声が聞こえてきそうです。疑念に囚われた脳はそれさえも歪めてしまいます。今は、
「脚本の藤本有紀さんは『平清盛』の最終回のラストシーンで、海の底にある都の幸せそうな風景を描いていたから、予告のクリスマスフェスチバルも岡山の夢幻かもしれない」
 と思っています。
 最終週の予告には疑り深くなった私の脳を解きほぐす安心材料もいくつかありました。その一つは桃太郎のことです。予告を見るまでは、
「大学進学で岡山に行って以来出てきていないな。桃太郎役の青木柚さんはもう出てこなくて、2020年辺りで『お姉ちゃん……』などと言いながら40代半ばの見知らぬ人がいきなり出てくるのであろう」
 とばかり思ってました。それはごめんなさい。疑い過ぎてました。
 こんなにも疑り深くなりつつ『カムカムエヴリバディ』を観ていましたが、全く疑っていなかった点もあります。例えば、ひなたと五十嵐の別れ。これは字幕データの功罪とも言えます。テレビドラマで字幕をオンにすると、台詞や周囲の音が文字で表示されます。親切なことに、字幕は色分けもされています。基本は、
 黄色……主役
 青色……主役の相手役、ナレーション
 緑色……上記以外の重要人物、頻繁に出てくる人物
 白色……その他の人々
 となっているようです。この「法則」のために、例えば、ヒロインはあの人とこの人との間で恋心が揺れ動いているようだけれども、最後は青色字幕の人と結ばれるんでしょ、と冷めた目で観る羽目になってしまいます。ただし、『カムカムエヴリバディ』は字幕色分けが変則的で、三代のヒロインが登場順に、黄色(安子)、青色(るい)、緑色(ひなた)になっています。それゆえに、安子の結婚の話題では稔(白字幕)か勇(白字幕)かどちらと結ばれるか分かりませんでした。そう言えば、アニー・ヒラカワの台詞は黄色じゃないですね。
 反対に字幕によって、早い段階から分かってしまうこともあります。それが「字幕データの第2法則」です。色付き字幕が出ると、画面に映っていなくても誰が話しているか分かります。では、白色字幕の人はどうなるか。画面の枠外で話している場合や姿は映っているけれども背中を見せていて口が動いているのが分からない場合などでは「()」書きで役名の一部が台詞の前に付されます。もし私がテレビドラマに出て、画面には映っていないけれどもしゃべったら、
(桜濱)このドラマを見ていたら だんだんと疑り深くなってきたよ。
 といった具合で表わされます。字幕データはひらすら分かり易くするための工夫が為されているので、()の中身は誰が話しているのか誤解を生まないような表記になっています。稔と勇とはこれが適用されていたので、「(雉真)」ではなく、「(稔)」「(勇)」と表記されており、安子の結婚について、その相手がなかなか分からなかったです。
 字幕データの丁寧さは、裏返せば分かり易さに過ぎることにもなります。錠一郎は身内を亡くしたのちに定一の計らいで大月の姓(と名の漢字)を得ていましたが、字幕データでは「(錠一郎)」だったので、「いずれるいと結婚して姓が同じになるんだろうな」と見当が付きました。これにさほどの問題はありません。問題は次の世代です。
「(五十嵐)」
 姓の表記だ! 後々、ひなたと同じ姓にならないぞ!
 ひなたが「文ちゃん」と呼び始めても、
「『(五十嵐)』だからなあ」
 風鈴をひなたにプレゼントしても、
「『(五十嵐)』だからなあ」
 再会して、おしゃれなバーで二人してお酒を飲んでいても、
「『(五十嵐)』だからなあ」
 案の定、デイジーでした(2022年4月1日の『あさイチ』にゲストで出演した川栄李奈さんの冒頭の掴みは見事でした)。ひなたに関しては、小夜吉のことば(第102回)と連続テレビ小説『オードリー』のヒロインを説明する語り(第104回)から、結婚云々の展開は無いのかもしれないな、と思わされているのではないかと疑っています。
 疑り深くなっているからといって、楽しんでいないわけではありません。むしろ、楽しんでいます。ミステリーの感覚で観ています。連続テレビ小説の週5回の放送にも慣れてきつつありますが、一か月に一週だけは6回放送にするなどして、もう少し長く観ていたかったなあ、と思いながら、明日からの最終週を楽しみにしています。

 余録
 意味有り気に2、3回登場して、その後出なくなった人物は、私はほとんど気になりませんでした。人生にはそういった通りすがりの人がいますね、で済ませました。

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