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9月「曼珠沙華のうた」⑥

「姉さん…?」
 声をかけても、無言で俺をぎゅっと抱き締めたまま動かない姉。俺の視界には姉の背中しか入らないせいで、どんな表情をしているのか分からないけれど、何かに必死に耐えているようにも見えた。
 幼い頃は姉の方がずっと背も高く、背中も大きく見えたのに、背丈は中学生くらいでとうに超えていたし、気づけば姉が小柄に感じるほどになっていた。いや、元々大きい方ではなかっただろう。あくまで幼い頃の俺から見て、大きく見えただけで、姉はきっと平均よりも少し小柄なんだと思う。抱き締められているのは俺なのに、その背に腕を回せば、すっぽりと収まってしまいそうに見える。そういえばあの日も、殴られた後にこうやって抱き締められたんだ。
「朔、……んね」
 昔のことを少し思い出していると、姉が何かを呟いていた。他のことに気を取られていて、途中何を言っているか解らなくて、もう一度聞き直そうとすると、姉が俺からスッと離れた。
「今…何て言ったの?」
「んー? 朔は何を感慨深そうにしてたの?」
「え、いや…殴られた日も抱き締められたなって…あと、姉さんがこんなに小さかったっけって思ってた…」
 隠すのもおかしな気がして正直に話せば、姉はまじまじと俺を見つめた。
「え、何?」
「素直」
「え…いや、隠したってどうせバレる…し、何か今日の姉さんはいつも以上に変で、何かよく分かんないけど、昔の話とかもしたし、何か…俺も変になったのかも」
「いつも以上に変~?」
 思わず口から出た言葉に、姉は拳をつくると、俺のこめかみを両手で挟んでぐりぐりと手首を捻る。力が弱くても意外と痛いやつだ。これも昔、幼い頃によくやられたな、と痛みの中で記憶が蘇る。
「…ごめんなさいは?」
 まるで昔に戻ったかのようなやりとりに、今度は俺が姉の顔をまじまじと見つめる。久しぶりに会うせいなのか、行方知れずだったからなのか、姉の存在そのものが懐かしく思えた。
「…ごめんなさい」
 こめかみをさすりながら、姉の様子を注視していると、姉は呆れたようにも哀しいようにも見える笑顔を俺に向けた。
「昔はよくやったね。朔は…結局素の部分では何にも変わってないんだね。背丈はこんなに大きくなって、体もいつの間にかおっきくなって、口も達者になった。でも根本的なところは何にも変わってない。姉ちゃんがいつまでも居るとは限らないんだよ? なのに…何でそんなに…」

 『姉ちゃん』

 感情が昂った時、姉が俺に向かって自分のことを指す呼び方だ。それもここ何年も聞いたことはなかった。こんなふうに感情が昂ることも、あの殴られた日以来だ。それでもあの日は怒っていた。こんなふうに涙を流してはいなかった…。
 今までたった一度も見せたことのない、姉の涙を目の当たりにして、俺はその場で立ち尽くすことしか出来なかった……。

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