庭のキジ

具体的な必要年収を考えたい。でもその前に僕が最終的に目指すのは自給自足という点を改めて心に誓いたいと思う。つまり理想は年収などという概念とは無縁の世界に行きたい。1年間食べて行かれる必要経費という感じ。幾らだったか?などとはもう考える必要はない世界。うちは長野県の田舎なので庭に毎日のようにキジが餌を啄みにくる。キツネもいるし先日は犬の散歩途中にカモシカの動画が撮れた!さらに狸、熊、アナグマにテン、もちろん野鳥や虫は沢山いる。

自給自足って言うとうちの奥さんも含め皆、「えっ、本当にそんなこと出来るの?」という反応にあう。でも先ほど挙げた動物達はキジから虫一匹に至るまで全て自給自足しているはずだ。もっと言えば庭に生えている木、植物だって皆自給自足している。

では同じ生物である人間はなぜこれほどまでにハードルが高く感じるのか?それは単純に子供の頃から培ってきた、いや培ってしまった価値観にあると僕は考えている。だから余計にその連続してきた価値観を替えることって容易ではないのだ。農業としての野菜作りと自給自足での野菜作りは根本的に違う。自分で食べる分には虫食いだろうが形が悪かろうが構わない。ここなのだ、ここが子供の頃より刷り込まれた間違った価値観だ。あらゆることは「虫食いだって不格好だって全然問題ない!」のだ。でも綺麗で整ったもの、こと、考え方を求めると必然的にコストが上がっていく。新車、新築、新しい靴に洋服、美味しいフレンチにハワイへの旅行、受験に進学。でもそれら全ての経験は時間とともに刹那的に消費され、残るのはスナップ写真と過去への満足感。

あらゆる生物はこの経験に対するエネルギーを使わない。今にしか使わない。だから自給自足出来ている。人間だって今日一日を生きるために生活するなら出来るはずなのだ。

自給自足するってそれ程ハードルが高いことではないと自己暗示も含め言い聞かせている。必要なのは一家4人が一年間食べるための収穫高と冬季に食べる野菜の保存法、またその加工法。お米は基本一年間に一度しか取れない訳だから秋の収穫で一年分のお米が採れるのが理想だ。

僕が計画し、昨年から養鶏農家さんへの研修などから導かれる自給自足のサイクルはまず養鶏と野菜作りを平行して行う。春から秋にかけては全力で野菜作り、また養鶏に励む。野菜くずは鶏の飼料となり、鶏糞は畑に回る。まずはこのサイクルを確立したい。そして晩秋から冬にかけては保存食にした野菜、葉物、根菜類を中心に食す。で、理想はこの冬期期間は鶏のガラで採ったスープと自家製醤油を使ったラーメンとおにぎりのお店で現金収入を得る。また春が来る。なぜフレンチをやってきたのにラーメンか?それはまた別の記事にしたいと思います。結構理屈があるんです。笑。

なかなか具体的年収に辿り着けないな~数字にするのが少し怖いんですよね。それ出すと奥さんに完全否定されそうで。。笑。

PS 夢物語にならないようにきちんと動いています。まずは会社辞めました。明後日は就職予定の農家さんとお話しに伺います。楽しみです。


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