映画「エルヴィス」に励まされるオタク

 少し忙しくしていたら、2週間も更新をさぼってしまった。しかも今回は短め。映画「エルヴィス」を見に行った感想だ。

 はっきり言って私はエルヴィスのファンではない。世代ではないし、曲も知ってはいるがあまりに定番すぎて、これと言って好きな曲やアルバムがあるほど聴き込んでいるわけではない。

 見に行った理由は「エルヴィスの自身の音楽を貫き通した精神がオタクを励ましてくれるから」である。

 今回は伝記映画につきもうネタバレもクソもないと思い、そのまま書くことにする。エルヴィスは知っての通り、白人でありながら当時黒人の音楽とされていたロックミュージックで一世を風靡した、世界で最も売れたソロ・アーティストである。

 プア・ホワイトとして生まれたエルヴィスにとっては黒人は身近な存在であり、彼らの作り出した音楽もまた然り。映画では白人のエリート層の規範に馴染めなかったエルヴィスが黒人街に向かい、まるで「ホームに帰ってきた」とばかりに緊張がほぐれ、黒人ミュージシャンのB.B.キングに自身の葛藤を打ち明ける場面がある。

 これは予告映像でも見られるが、エルヴィスの番組初出演の際に観客の男性に「髪を切れ、ホモ!」とヤジを飛ばされる場面がある。現在もそうだが、アメリカでは男性が前髪を少し垂らした程度で「ホモ」「カマ野郎」と侮辱を受ける。今ではロックのカリスマとして知らぬ者のいないエルヴィス・プレスリー。しかし今よりももっと情報の少なかった時代、エルヴィスのスタイルが世間一般の感覚でいえば唾棄される存在であったことがはっきりと描かれている。

 私がオタクとしてエルヴィスに励まされる点はここだ。エルヴィスはファンの女性たちの悲鳴のような歓声を受けていたが、やはり「良識派」には蛇蝎のごとく嫌われ、やりたいことをやれず屈辱を受ける場面もあった。昨今、良識派……というよりリベラルを気取りつつ表現の自由を弾圧しようとする勢力に重なる部分がある。彼らは彼らの愛好する表現のみ擁護・庇護し「キモいオタク」に対してはそうすることが正義であるように弾圧しようとしている。彼らが当時のアメリカに存在していたら、積極的にエルヴィスのレコードを焼いていただろう。

 しかしエルヴィスは負けなかった。どれだけ否定されようと自身の音楽を貫き通した。それらは大人には非常に不道徳で不健全に見えたが、若者たちはエルヴィスに熱狂し、彼の音楽やファッションは後世に多大な影響を与えた。もしエルヴィスが初期で完全に潰されていたら、その後の音楽界はまったく違う道筋を辿っていただろう。

 ヒップホップがドラゴンボールのキャラ名や用語を歌詞に取り入れているように、アニメや漫画といったオタク文化は海を越えてまったく別のジャンルに影響を与えている。そして日本では二次元キャラがラップで戦う「ヒプノシスマイク」という作品が生まれ、多くのファンを獲得している。

 こうしてお互いに認め合い、取り入れ合い、表現・文化がより発展していく。自分の「気持ち悪い」という感情だけで、「こんなの価値がない」という何の根拠もない主観だけで表現の自由を弾圧しようとする勢力の存在が、文化の停滞を招くのだ。

 現在、第26回参議院議員通常選挙が行われている。私も先日期日前投票を済ませてきた。2枚目の投票用紙には表現の自由を守ろうと必死に活動してくれている議員の名前を書いた。これからもエルヴィスも、ヒップホップも、日本のアニメ・漫画も、自由に楽しめる社会が守られることを願って。

 それにしても映画「フォレストガンプ」で幼少期にエルヴィスに独創的なダンスを教えたフォレスト・ガンプ役をやったトム・ハンクスが今度はエルヴィスの稼ぎの50%を搾取していたトム・パーカー役をやるの、ちょっと面白かったな。

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