あらゆるところに《実物》が在る。
なのに、【ないモノ】を見て【ないモノ】を有り難がって、その【有り難がったモノ】に囚われて生きているのが【自我】なんだ。
【言葉】も【思考】も、決して《そのもの》にはなれないし、《そのもの》以上に《そのもの》にもなれない。どこまで行っても【紛い物】

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