自分の魂の道を歩みたいあなたへ~私が私になる旅の物語~
「どうしたら私はより私らしく、その命がそのようになる道を歩んでいけるのだろうか?」
これは、私の中でずっとずっと抱えていた大切な問題意識です。
自分自身がより自分自身になっていくこと。
私の命のエッセンスが生きたがるように生きて、自分の命を生き切ること。
そんな生き方をする仲間たちとともに生きて、全ての命がその命を生き切ることに全力で関わりたい。
こんな風に、レッドロード(魂の道)を歩むことを熱望する私が、私の中にはずっといました。
でも、合理化された日常に埋没して、昔からのパターンにハマり、
無意識的に人に合わせて
ただただ反応的にその場をやりすごそう
溶け込んで隠れようとする私
も同じだけいました。
むしろそいつの方が強いぐらいでした。
2人の私がせめぎ合い、自分の内が切り裂かれそうな時間が私はとてつもなく苦しかったです。
どうしたら自分が望むように生きられるようになるのかが分かりませんでした。
ですが、この私の大切な問題意識に関して、この4,5月の間に大きな変化が起こりました。
この変化の旅の中で、自分が気づいたことや自分の今後の生き方について決めたことをこのnoteに書き記していきます。
もし今のあなたが、
自分の人生を歩みたい。
本当の私で生きたい。
自分の命・魂が喜ぶことをしたい。
そう望んでいるのであれば、ぜひ最後まで読んでください。
(※これを読む方は自分なりのベストなタイミングで読んでみてください。そうすればきっと意味あるものになるはずです(*^^*))
~~~~~~~~~~~~~~~~~
はじまりはオオカミ(Nature)になる旅
ことの始まりは今年の4月10.11日にあったMOTHER EARTH EDUCATION主催の「Be Wolf Camp 2021」
私のお師匠さんである松木正さんのWolfワールドに入って、オオカミになって思いっきり遊び、仲間と濃厚に関わり、自分自身の内なるモンスターと対峙する2日間でした。
このキャンプに参加する前の私は、半年間ほどパワーレス状態が続いていました。
「ここいろhiroshima」という活動と神石高原町という町の地域おこし協力隊を3年間続けていたのですが、
どちらも自分が望んで始めたはずなのに、
気が付くとここいろのさーちゃん・地域おこし協力隊のさーちゃんという役割に自分を無意識に固定化してしまい、がんじがらめになっていました。
周りから求められていることは絶対にしないといけない。
でも、自分はどう思ってんの?本当にそれ引き受けたいの?
期待に応えないとここにいられなくなるんじゃないか。
本当に?もうそんなことしなくてもここにいられるんじゃない?
教員時代に休職を余儀なくされるほど感じた「周りの人の求めること・期待に応えないといけない」という観念がぶり返されて、それに反発する自分も強くでて、消耗しまくっていました。
自分が本当にやりたいことはこれじゃない。
もう役割だけで生きたくない。
でも、自分の本当にやりたいことをやったら大事な人たちとの縁が切れてしまうのではないか。
やりたいことが上手くいかずに身も心も廃人のようになるんじゃないか。
頭の中ではそんなことばかりがぐるぐる回って、身動きが取れなくなり、自分の本音も分からなくなっていました。
さらに地域おこし協力隊の任期満了も迫っていて、固定給もなくなるタイミング。
私は、精神的にも物理的にも「死」を感じました。
これでもかというほど、不安や恐れ、自分の古いパターンを感じ続けていました。
そのタイミングで舞い込んできたWolfキャンプに、藁をもすがる気持ちで私は飛び込みました。
この濃厚な2日間のキャンプで、私は「桜」という自分の名前のもつ力(力強く、まっすぐ、飛び出すパワー)を取り戻しました。
そして、自分の根っこ・コアのエネルギー(桜のエネルギー)とつながりなおすことができました。
パック(チーム)の仲間たちを信じて、自分の心からのリクエストを伝えて、思いっきり自分の中から出たがっていたものを放出することで、「出しても大丈夫なんだ」って心から感じられました。
この私のコアのエネルギーは、これまでの人生でもたびたび発揮されていました。
ここいろhiroshimaで一緒に活動しているあっきーの大事な講演会の時に、初対面のあっきーのおとうに「講演会絶対こなきゃダメだよ!」といきなり叫んだり。
(なんてこった!!!)
松木さんの別のワークショップに参加した時に、「助けて」という仲間の声に反応して、我を忘れて松木さんを突き飛ばして馬乗りになったり。
(なんてこった!!!パート2!!!!)
これまでも私は、誰か大事な人の存在を感じた瞬間、力強く、まっすぐ、飛び出していました。
でも、これらは他者のために無自覚・反射的に出たものでした。
それだけではダメだったんです。何かが足りなかったんです。
Wolfの時は、自らが「出したい」と思い、仲間にリクエストして、自分のために自分のエネルギーを出せました。
これこそが私にとってものすごく大切なで必要な行為でした。
自分が望んで自分のために自分のエネルギーを出すことは、私が主体的に生きるために絶対的に必要な通過儀礼だったんだと思います。
本当に飛び込んで参加してよかったです!!
(一生に一度は、Wolfキャンプ!自分の魂を揺さぶられて、本質的に変化変容したい方におすすめです!)
キーメッセージ➀パワーレス状態は膿だし期間。パワーレスそのものになって膿を出しきれば、何かのきっかけで反転しはじめる。
Light My Fire~自分の心に火が灯った日~
Wolfキャンプで自分自身のコアとつながりなおして主体性を取り戻し始めた私は、松木さんつながりの仲間(Sくん)に、自分の地域のフィールドの山を使って火のワークをしてもらいました。
火はその人自身を映し出す鏡。
本当に不思議なほど、その人が作り出す火には、その人自身が現れます。
(時に、自分の見たくない姿まで残酷に映し出します)
ネイティブ・アメリカンの中では、「火」は「幸福」のメタファーであり、火を作ることを通じて、幸せな人生の歩み方を学ぶことができるとされていました。
Sくんから、そういう火の話を前々から聞いていたので、このタイミングで自分の火をつくってみたいと思いました。
そのときの私の火の中心・コアに映っていたのは「透き通るような純粋さ・喜んでいる子どもたち(Joyful children)」でした。
コアが真っ赤で透き通ってる…綺麗…
喜んで遊んでる子どもがいる…
こんな私が私のコアの部分にいたことに驚いたと同時に、私自身の忘れていた大切な何かを思い出すきっかけになりました。
Sくんにはこれでもかというほど、自分のリクエストを伝え、
実のお兄ちゃんとは叶わなかった夢(キャッチボールをする、お互いの人生の話をする、自分の大好きなものを紹介する、たくさん甘える…)を叶えてもらい、私の中はあたたかいエネルギーでどんどん満たされていきました。
Sくんが帰った後すぐに、不思議と、
「今から自分の火を1人でつくらないといけない気がする」
「今晩、山に1人で入って野宿をするんだ。なぜだか分からないけど、そうしないといけない。」
そんな衝動的な思いに駆り立てられました。
駆り立てられるがままに、私は薄暗くなった山へ入り、1人で火を作り、1度もやったことがない野宿をしました。
その日は満月でした。
夜が深まっていくにつれて、森の中からいろんな音が聞こえてきました。
風が森を通り抜ける音
木の葉の落ちる音
何か4つ足の生き物が走る音
深い闇の静けさの中で、その森は昼間とは全く違う顔をしていました。
私は怖くなって、とにかくSくんが教えてくれた通りに薪を集め、薪組みをしました。
無事火を作れた私は、森の音に耳を澄ませたり、ぼーっと火を見ていました。
すると、ふいに「ホホー、ホッホホッホー」という声が響きました。
フクロウです。
私の火のそば、斜め左後ろ(北東)の方からフクロウの声が聞こえてきて、ずっとそばで鳴き続けていました。
その声につられるように、私の真左(東)のほうからもう1匹やってきて鳴きました。
2匹はまるでしゃべっているかのように、交互に鳴き合っていました。
私もその中の輪に混ぜてもらいたくて、「ホホー、ホッホホホー」と真似して鳴きました。
2人は逃げることもなく、私の声に「ホホー、ホッホホホー」と返してくれました。
3人でおしゃべりするような時間がしばらく続き、私は火を見ながらうとうとしていました。
まどろみの中で、夢か現実か境目が分からなくなったときに、
昼間につくった自分の火のコアの部分が小さなまあるい形になってあらわれて、その私の火のコアに真っ黒なフクロウの目が重なるような映像がぼやあっと見えました。
(なぜ真っ黒の丸がフクロウの目だと分かったかは自分でも分かりません。でもフクロウの目だと感じました。)
この不思議な出来事から、私は自分の人生自体がドリームタイムになって、フクロウと不思議な旅をすることになります。
キーメッセージ②思い立ったが吉日。自分の直感・感覚を信じて動くと、命のエッセンスの流れに乗り始める。
フクロウとのドリームタイムクエスト➀Sくんの火のワーク
旅の最初は、Sくんにこの不思議な夜のことをシェアするところからスタートしました。
そのシェアはSくんの何かを刺激し、Sくんから唐突に「俺もその森でフクロウと会いたい!自分の火を作りたい!」という猛烈なコーリングを受けました。
(Sくんから、私の住んでいる地域は「フクロウの里」と言われるほど、フクロウと縁のある地域だと知らされました。3年も住んでいるのに知りませんでした。)
そのコーリングに誘われるように、私はSくんのための火のワークをプランニングしました。
松木さんのところで半年間学んだ、苦しかったプランニング作業。
それが嘘のように、自分でも驚くほど必要な言葉が過不足なく出てきて、自然と文章となってあらわれてきました。
このときのプランニングは、今までの自分のプランニングと明らかに違い、私じゃない誰かの力を感じました。
自分が普段使わないような言葉や言い回しが自然とペンの先から出てきて、それを整理しながら、紙に焼き付けていった感じがしました。
プランニングに必要なことを調べれば調べるほど、言葉を書き連ねれば連ねるほど、自分の感覚が研ぎ澄まされていき、気がついたら朝になっていました。
「Light My Fire~Be Owl Night~」
コンセプトは「自分の真実をみる・きく~心の火に忍び寄るフクロウになって~」
自分が見た火のコアとフクロウの目が重なるビジョンのプログラムが私の前に立ち現われ、この一晩でプランニングシートとワークシートができました。
Sくんの火をつくる当日。
この日は山に入る前から、天候がおかしく、明らかにいつもと違いました。
空全体に雲が覆っているにもかかわらず、少しの雲の隙間から虹が見えたり、私とSくんの心のエッジが経つと雨風が激しく吹きつけてきたり、心が落ち着くと凪のようになったり。
これからの時間が、何かいつもと異なる次元のことが起きそうな予兆を感じました。
Sくんの火のワークを始めてからは、本当に不思議の連続でした。
満点の星空の見える中、ワークを始めたのにもかかわらず、
Sくんが闇の中で薪集めに苦心しているところに追い打ちをかけるように、突然大きな流れ星が流れ、空がピカッと光ったと思ったら、西の空から大雨が降り始めました。
「松木さんがきた!」
私もSくんもそう思いました。
サンダーバード。
西の空から雷と嵐を呼ぶ。
破壊と創造のパワーをもつ松木さんのアニマル。
サンダーバードを彷彿とさせるような天候の急変に二人とも唖然としました。
Sくんの心のエッジをさらに立てるかのように、雨はどんどんひどくなりました。
Sくんは、その雨にも負けず、
夜の深い闇の森に自ら分け入り、自分の求める薪を集め、丁寧に薪組みをして、雨をもろともしないほど、どっしりとした大きくて力強い炎を作り出しました。
その姿を私はしっかり焼き付け、彼の絶え間なく動くプロセスとともにいつづけました。
このとんでもない火のワークが終わりを迎えると、不思議と空は元通りの星空に戻り、いつもの風景の森に変わりました。
「なんだったんだ、今さっきまでの時間は。」
明らかに天候や風景が変わったことを2人とも感じて、狐につままれたようでした。
何かこの時の、このワーク、この場には、セレモニアルな力が宿っていたように感じました。
キーメッセージ➂自分以外の大きな存在を感じたら、その不思議さ・偉大さをそのまま受け入れてしまおう。否定したって存在してんだから。
フクロウとのドリームタイムクエスト②おばあちゃん=フクロウ
(お誕生日にお酒をもらって大喜びするおばあちゃん)
そのまま私はフクロウに導かれるままに、旅を続けていくと、
フクロウは私の大好きなおばあちゃんに繋がってました。
実家でおばあちゃんに、フクロウとの出逢いやSくんとの火のワークを通じて感じた摩訶不思議なことを伝えると、
なんとおばあちゃんの1番好きな動物が「フクロウ」という事実が発覚。
よく見ると実家のいたるところにフクロウの置物があり、なんで今まで気が付かなかったのか不思議なぐらいフクロウのサインがいっぱいでした。
ひとしきりおばあちゃんとフクロウ話で盛り上がった後、おばあちゃんからある提案を受けます。
「あんたがそんなにフクロウと縁があるなら、私が死んだらこれをあんたにあげよう」
なんと、おばあちゃんが死んだら形見として、おばあちゃんの金色のフクロウのブローチを譲り受けることになりました。
私にとって、おばあちゃんはガイドです。
自分が道に迷ったときも、うまく進んでいるときも、どんなときも見守ってくれる心強さとそのときの私に必要なものを与えてくれます。
87歳になっても茶目っ気たっぷりで、好奇心旺盛で、いつも新しい時事ネタや読んだ本の感想を楽しく話してくれます。
また、おばあちゃんは話を聞くのが上手で、私が目をそらしてごまかしている自分の自信のなさや真実を突きつけてくるするどさも兼ね備わっています。
おばあちゃんと話すと毎回何かに気づかされます。
このおばあちゃんの姿、あり方が、私自身の進むべき道しるべになっています。
一緒に長いこと暮らしていたのに、おばあちゃんとフクロウの関係をこれまで私が知ることはありませんでした。
でも、おばあちゃんとフクロウがこのタイミングでつながり、私の中で核心的に「フクロウは私のガイドなんだ」と分かりました。
キーメッセージ④自分のガイドには、もう出会っている。ただ気づけないだけ。身近なところから見つめ直してみよう。
フクロウとのドリームタイムクエスト➂母なる大地とつながるポイント
次にフクロウが導いてくれた先には、私の幼い頃の原体験や母なる大地とつながる場が待っていました。
私は無性に小さい頃によく遊んだ山や川に行きたくなり行ってみました。
行ってみると、その場にいるだけで子どもの頃に遊んだ遊びや当時の風景、友達とのやりとり、色や匂いがはっきりと思い出され、私の肚の奥の方からじわじわと喜びがこみ上げてきました。
そして、くたくたになるまでめいっぱい友達たちと遊んで、体が感じるままに野山を駆けまわったあの「生きてる感覚」がよみがえってきました。
このとき、ウルフキャンプで私が感じた心地よさ、懐かしさはこの原体験とつながっていることに気づきました。
「私は山や川にいるときに、素直な自分、そのまんまの自分でいられたんだ。」
「私は自然の中で遊ぶことが、本当に大好きだったんだ。」
これらは幼い頃の自分を取り戻す、自分がどこかで置いてきた自分を取り返す大きな気づきでした。
それまでは、なんとなく自然が好き、小さい頃よく遊んでた、ぐらいの感覚だったのですが、こんなにも自然が自分にとって大事な存在だったことを、このときはじめて自覚しました。
1番行きたかった山の頂上には大きな岩があり、なぜだか分からないのですが、その岩にどうしても私は会いたくて、会いに行きました。
その岩は幼い頃と同じようにありました。
私の記憶の通りにそこに存在し続けてくれていました。
その岩の上にのぼり、私の大好きな広島市の町並みや山や川、海、人々を見ているだけで、不思議と私の心は安らぎました。
友達と一緒に遊びにきたときも、家に居づらくて1人で飛び出してきたときも、
この世界に自分が存在することを丸ごと包み込んでくれるような、
自分の中にあるものを洗いざらいきれいにしてくれるような、
そんな力がこの岩にはありました。
(一緒に山川巡りに付き合ってくれた友人が撮ってくれました)
この岩とともに、大好きなこの景色をいつまでも見ていたくなるような、そんな気分にさせてくれます。
不意に、この大きな岩を抱きしめたくなって、抱きしめてみました。
すると、肚の奥の方が急に震えだし、涙が止まらなくなりました。
そして、肚の奥の方から
「ここにずっと帰ってきたかった…!!!!」
と叫ぶ声が飛び出しました。
突然のことすぎて、びっくりしましたが、はっきりと聞こえました。
自分の肚の奥の方から響いて飛び出す声を、私ははじめて認識しました。
そしてその瞬間、私にとって、この場所は、自分自身と母なる大地、この世界そのものとつながるすごく大切な場所だったことが分かりました。
自分のへその緒がつながる場所を私は自覚することができ、取り戻すことができました。
(余談ですが、ひとしきり涙を流した後、その岩から去って山から下りると、なぜか私の母がいました。普段の散歩のルートと明らかに違う場所で、犬の散歩をしていました。ここでも「母」と「へその緒」を感じました。)
キーメッセージ⑤幼いころの自分は、そのままの自分。思い出してつながり直してみよう。
フクロウとのドリームタイムクエスト④クジラ・肚の声・使命・虹の戦士
フクロウの旅も佳境に入り、フクロウが導いたのは「クジラ」と「私の使命」でした。
フクロウとの縁が深まっていく中で、ふくやま美術館に「はしもとみお」という動物彫刻家の特別展示があること知り、見に行きました。
展示室に入り、その彫刻たちを目にした途端、「この子たちは生きている」と感じました。
ありありとそこにその子がいるように感じました。
その子の生命感、命の躍動感がそのまま彫刻になったような、
こんなにも生きている彫刻を見るのははじめてで、
ものすごいインパクトと高いエネルギー感のある展示でした。
数ある彫刻の中でも、私が目が離せなくなったのが「クジラ」でした。
天井から紐でつるされていたのですが、まるでその空間を泳いでいるかのようにそこにいました。
私はこのクジラの彫刻を見た途端、彫刻の前から動けなくなりました。
そのまま固まったまんまじっとクジラの目を見ていると、不意に肚の奥が震えだし、何かがこみあげてきて、涙が止まらなくなりました。
こんなことは生まれて初めてで、
「なんで?どうしたの??」の頭は混乱したのですが、心はものすごい勢いでクジラにわしづかみされました。
私はどちらかというと海よりも山の方が好きだし、
水族館よりも動物園の方が好きだし、
水辺の生き物にも全く興味がありませんでした。
「私の人生とクジラ、一体何の関係があるんだろうか?」
不思議に思っていると、Facebookを開くたびに立て続けクジラの写真の投稿が目に入り、
猛烈に「クジラに会いたい!!!」、「クジラに会いに行かないと!!!」と感じました。
私はクジラの会うために、下関の「海響館」という水族館に行くことを決めました。
子どもの頃、家族や修学旅行で行き、大人になってもときどき行くぐらい、私にとってはなじみのある水族館です。
そこにはシロナガスクジラの全長の骨が展示したあることを思いだし、その骨に会いに行こうと思いました。
(また下関という土地は捕鯨の町だったようで、クジラと縁の深い地域だということも分かりました。)
下関までクジラに会いに行く道中にも、
フクロウとの縁がさらに深まる出来事や青龍という伝説の動物と出逢う出来事があり、
(※これは改めて別記事で書きます)
「この道であってるよ」「このまままっすぐ進みなさい」と言われているようでした。
目的地である海響館についたとき、真っ先に目に入ってきたのは、クジラの銅像でした。
水族館の外にある銅像で、引き寄せられるかのようにその子の前に立ち、目をじっと見ました。
すると、彫刻の時と同じように肚の奥の方が震えだし、何かがこみあげてきて、涙が溢れてきました。
「どうしてこんなにクジラの目を見ていると涙がでてくるんだろか?」
自分でも不思議なぐらい涙の訳が分からないのですが、ずっと見ていたくなる目であることだけは分かりました。
1番会いたかったシロナガスクジラの骨と対峙したときも、肚の奥の方が震え、何かがこみあげてきて、涙がこぼれてきました。
何がこみ上げてるのか頭では全然分からないのですが、とにかく大事な何かがあふれ出てきていました。
そして、水族館の中の生き物たちの1匹1匹を丁寧に、親しみを感じて、水族館を味わっていきました。
今までの私では考えられないぐらい説明書きも飛ばさず丁寧に読み、ここにいる生き物たちに対して、愛おしさや仲間意識が湧きました。
そんな風に水族館を味わっている中で、「スナメリ」という小さなクジラの1種と出逢いました。
水槽には二頭しかおらず、彼らは水槽の中で気持ちよさそうに泳いでいました。
仲良く楽しそうに泳ぐその姿に、私は見惚れました。
この水族館の中の生き物たちの中で、私は1番この子たちに親しみを感じました。
スナメリの目は、まさにクジラの目で、じっと見ているだけで吸い込まれそうな、何か言いたげな、不思議な気持ちになる目です。
ずっとこの子たちを見ていたくて、スナメリの水槽の前にいたら、
不意に私の肚の奥の方から
「ねえ、うちも混ぜて…!一緒に遊びたい!!」
という声が飛び出してきました。
突然の声に私自身すごくびっくりしたのですが、
もっとびっくりしたのが、
その声に反応するかのようにスナメリたちと目が合いはじめたり、水槽の中にあるボールをこっちに投げてきたりするようになりました。
私の肚の奥から出る声が聞こえたのかな…
一緒に遊びたいって通じたのかな…
音として耳では聞こえない、私の肚の奥からでる内なる声をスナメリはキャッチしてくれたように感じました。
スナメリとの不思議なコミュニケーションを経た私は、気が付くと最初に見たシロナガスクジラの骨の展示の部屋に戻ってました。
そこには、シロナガスクジラのレプリカが天井からぶら下がっていて、その子の前で私は立ち尽くしてしまいました。
その子の目を見ているだけで、また自分の肚の奥の方が震えだし、何かがこみ上げてきて、涙が溢れてきました。
そのまま私は溢れるがままに任せて、その子の目をじーっと見続けました。
というか、その子の目から目をそらすことができませんでした。
すると、突然、私の肚の奥の方から、
「クジラさん、今までずっと地球を守ってきてくれてありがとう」
「今度は私が地球を守るね」
という声が、力強く飛び出してきました。
この声は、自分の理解をはるかに超えていて、頭は一気にパニック状態になりました。
なんだ、いまの?
いま「地球を守る」って言った?
一体、何が起こったんだ?
とにかく頭は大混乱で、水族館中をふらふらとさまよい続けました。
でも、不思議と肚の奥は落ち着いていて、
「私は地球を守るために生まれてきたんだ」
とものすごく肚落ちしていました。
今まで私の人生で「地球を守る」なんてことは、1度も考えたことがなかったし、ましてやどうやって地球を守ればいいのかもわからない。
でも、これは私がやることなんだとはっきり分かりました。
それを受け入れると肚の奥の方から力が湧きました。
と同時に、途方に暮れました。
こんな大きな使命、どうしたらいいんだろう…。
その時の私には、あまりにもショッキングな啓示でした。
フクロウに導かれたドリームタイムの旅は、私のコアを呼び覚まし、母なる大地とつながりを取り戻して、クジラを通じて「地球を守る」という使命を思い出させてくれました。
この話をSくんに伝えたら、「虹の戦士」という本を教えてくれました。
この本の表紙にある
「Warriors of the Rainbow」という綴りと、6色の虹を見た瞬間「セクシュアルマイノリティやん」と思いました。
地球が病んで動物たちが姿を消し始める時 まさにその時、みんなを救うために虹の戦士があらわれるーネイティブアメリカンの言い伝え
この本を読み進めていくうちに、
私は「虹の戦士」として生きたい。
そういう気持ちが固まってきました。
※もっと虹の戦士について知りたい方は、詳しく書いてある記事を紹介しますので、どうぞ!↓
http://travel-peace.hatenablog.com/entry/2015/09/27/165422
キーメッセージ⑥使命は突然やってくる。どれだけ頭で信じられなくても、自分の肚を信じよう。
自分の魂の道を歩み始める前の試練➀~真実を語る信頼のワーク~
この一連の旅の出来事を、私は1番大事なあっきーに伝えないといけない、と本能的に感じました。
彼に私の身に起きた出来事を1つ1つ伝え、自分がこれから歩む道、真実について語らないといけない。
そうしないと、私はこの道を堂々と歩めない。
でも、全てを語るのはあまりにも怖すぎる。
語ってしまったら、もう後戻りできなんじゃないか。
何かが大きく変わったしまうんじゃないか。
今までの自分の生き方、人とのつながり、築いたものが壊れてしまうんじゃないか。
ここいろhiroshimaという大事な居場所を失ってしまうんじゃないか。
大事なあっきーとのつながりが切れてしまうんじゃないか。
そんな恐怖が一気に私に襲い掛かってきました。
理解されなかったらどうする?変な奴って思われたら?
前みたいに本気でぶつかってもまた逃げられるかもよ?
やめときなって。
大事な相手とのつながりが切れるのはもう嫌でしょう?
絶対傷つくし悲しいよ?それでもいいの??
私の心の中のモンスターがささやいてきました。
それでも、私は自分の道を歩みたいと思い、あっきーに全てを語ることを決意しました。
あっきーにフクロウとの出会いや導かれた旅の一連の出来事を伝え、そこで自分が感じたこともすべて伝えました。あっきーは全部聞いてくれました。
いまの自分は、自分とのつながりや人同士のつながりはもちろんだけど、
自然とのつながりや目に見えない大きな存在とのつながりも取り扱いたがっている。
自分のいる地域で、自然や動物の力を借りながら、その人がその人らしくなっていくプログラムを提供していきたい。
火のワークやリトリートのプログラムを提供したい。
人生ではじめてぐらい、自分の肚の底から本当にやりたいって気持ちがでてきている。
でも、そういうことを本気でやろうとしたときに、ここいろの講演会を断ったり、関わる頻度が減ったりっていう変化が起こるかもしれない。
うちがどんどん変化をしていくと、あっきーにより負担がかかるんじゃないか、ここいろにも迷惑がかかるんじゃないか、っていう不安が出てくる。
それだったら、1回自分がここいろから離れるのもありなんじゃないか。
ということを必死に伝えました。
この時は無意識でしたが、私は自分が傷つくのが怖くて、つながりが切れるのが怖くて、自分からあっきーやここいろと距離を取ろうとしました。
それをあっきーは見逃さず、
「迷惑かけそうとかないがしろにしそうって不安を感じたら、その都度お互いに話し合って折り合っていくことの方が大事じゃない?離れるのは簡単だし楽だよ。」
と伝えてくれました。
あっきーは、私の告白を受けても、逃げずにどんと構えて、全力で自分の想いや考え、大事にしていることを伝えてくれました。
やりたいって気持ちが出てることは俺もすごくうれしいし、やってほしい。応援する。
でも、それとここいろを離れることは違う。
2人でやるからここいろだし、俺にとっても大事な場所だから、ないがしろにされたり振り回されたりが続けば、身がもたなくなる。
だから、その都度話し合ったり、気持ちを伝えるのが大事なんだって俺は思う。
やりたいって気持ちはすごく大事だけど、それと同じぐらいお金や地に足つけるってことも大事って俺は思ってる。
ここいろは、もう俺の中で「やりたい」じゃなくて「やる」って覚悟決めてるから。
俺がここいろをやめる時は、「全部やり切った」ってなって地元の沖縄に帰るときだけだから。
周りから求められてることに応えてるだけじゃんって思うかもしれないけど、俺からしたら求められてるんだから応える、って思ってる。
ここいろやりながらでも、やりたいってことをできるようにしていくのが、2人の課題だと思うから。
もう1回考えてみて。
このあっきーの言葉を聞いて、涙が止まりませんでした。
自分の想いを聞いてくれた上で、
あっきーが自分の思ってることや大事にしてることを率直に話してくれたことが、
本気で向き合ってくれたのが、
ものすごく嬉しかったんです。
私、この時まで、あっきーのことをどっか見くびってたんだと思います。
また逃げるんじゃないか、向き合わずにうやむやにするんじゃないか。
彼に対してそんな風に心のどこかで感じていて、信じ切れてなかったんだと思います。
私はつながりが切れるのが怖くて怖くて、自分から大事なつながりを切ろうとしました。
でも、あっきーはそれをつないでくれた。
芯の通った頼りがいのある姿を見せてくれた。
怖くても、自分と相手を信じて、お互いの真実を語り合ったことで、「信頼」が育まれました。
この会話から、あっきーとの関係性がまた1つ深まりました。
そして、あっきーが語ってくれた「地に足つけること」と「覚悟を決める」という言葉が私にとって鍵になることも分かりました。
あっきーが自分の肚の決まった姿、あり方を見せてくれたおかげで、その2つが私には必要だと感じました。
そしてあっきーと話し合った後すぐに、私はそれらと向き合う出来事がやってきました。
それは、私にとって「家族」でした。
キーメッセージ⑧怖くても真実を語り合おう。そこに生まれた「信頼」は、何かを生み出し、より豊かな流れを呼び込む。
自分の魂の道を歩み始める前の試練②~家族の物語から脱却し、自分の力を取り戻す~
私には4つ上の兄がいます。
彼は小5の時から躁うつ病と診断され、彼の気性のアップダウンに家族はずっと振り回されてきました。
躁うつという診断はさておき、
突然やってくる自然災害のように家じゅうがぐちゃぐちゃになる光景
錯乱状態の兄のすわった目つき
父や母が手を変え品を変え、必死に彼を守ろう、どうにかしようとする姿
を約20年私は見てきました。
私はその姿を見て、「自分も家族の力になりたい」「助けたい」とずっと思っていました。
でも、私にはそんな力はない。
私は、この家で1番小さくて、無力な存在だ。
私は守られる側なんだ。
自分の力ではどうしようもできない。
自分にも、はやく力がほしい。
そんな風に自分のことを「無力な存在」だと感じていました。
これは家族との関係だけでなく、他の場面でもずっとつきまとっていた私の根深いbelief(固定観念・信念)でした。
両親の長年の努力もむなしく、兄のアップダウンはずっと続き、
大事なものが一瞬で壊れ、
積み重ならない虚しさや諦めの空気が
ここ最近の家族の間にはにじんでました。
大事なものを大事にすることさえも諦めたくなるような雰囲気がありました。
そんな中、たまたま私が実家に帰った時に、
躁状態の兄が繁華外で徘徊をして、家に帰らないと言って困ってる。
と母から連絡がありました。
父と一緒に電話を取ったのですが、父ははっきりと「僕はもう行かない」と言いました。
20年間、嫌というほど兄に振り回され、積もり積もった感情がそこには見えました。
その時点で、私は父がもうすでにキャパオーバーしてるほど頑張ってきたことを悟りました。
私は父に代わって、生まれて初めて兄を迎えに行きました。
車で迎えに行く途中、不安と緊張で心臓がバクバクしました。
父も兄を迎えに行くとき毎回こんな気持ちになってたんだろうかと想像しました。
兄は繁華街で無事見つかり、車で連れて帰ったのですが、車内で私はかなり厳しいことを兄に伝えました。
「父さんも母さんもばあちゃんも、みんな兄ちゃんより先に死ぬんだよ!」
「兄ちゃんが変わるって決めないと、いつまでも兄ちゃんの人生は変わらないんだよ!」
桜のエネルギー感で伝えたいことをまっすぐに力強く伝えると、
兄は錯乱しながらも
「こんな兄ちゃんでごめん。30過ぎてもずっと俺は迷子なんよ。ずっと困ってる。どうしたらいいか分からん。俺にはできない。」
と伝えてくれました。
兄の中にある自信のなさや本当にずっと困っていることが伝わってきて、涙がでました。
その後、家に帰ったら、
兄は不安な気持ちをぶつけるように、
どうにか自分を保とうと物にあたり、母に暴言を吐き、
ついには足で母を蹴っ飛ばしました。
それを見た瞬間、私は飛び出して兄を捕まえて大声で怒鳴りました。
誰を蹴ってるんだ!!
兄ちゃんの方がどう考えても力が強いんじゃけそんなことしたらいけん!!
そんな風に、声を荒げて、必死に母を守ろうとしたことは初めてでした。
兄に対しても、こんなに全力でダメなものはダメと言葉でも態度でも、伝えたのは初めてでした。
不思議と怖い気持ちは全くなく、むしろ今の自分が出せる精一杯の力を出せた心地よさ感じがありました。
その後、母とばあちゃんと兄のことや家族のことをたくさん話し合い、父や母、家族全体に対して率直に感じることを伝えました。
家族のみんなが自分の自信のなさと向き合わないから、そのつけが兄ちゃんにでている、兄ちゃんがそれを引き受けてくれているように私には見えたので、そのまま伝えました。
翌日に予定されていた兄のカウンセリングに父の代わりに私がついていくことが決まりました。
母と兄と3人でカウンセリングを受けた時も、
その後にご飯や買い物をした時も、
父のことを悪者扱いにしたり、父の稼いだお金を湯水のごとく使いまくる2人の享楽的な姿を見て、
母と兄のどちらにも大事な部分が子どものまま大きくなった未成熟さ、というかアンバランスさを感じて、切なくなりました。
どれだけおいしいご飯を食べても、どれだけいい洋服を買っても、それが自分の身にならずに砂のお城が崩れていくようなもろさを感じました。
二人とも、愛に飢えているように私には見えました。
本当に必要なのは、おいしいご飯でも、いい洋服でもなくて、ただ大好きな人との心のやりとり、触れ合いなんじゃないか。
きっと不器用な父は、
それが自分にできるか自信がなくて、愛情を伝える方法が分からなくて、
無意識にお金や物理的な面を解決することでその場をしのいで、逃げてしまってだんだろうなあ
と、父の影も垣間見えました。
愛(精神)とお金(物質)、どちらかだけに偏るとおかしなことになる。
我が家は父のおかげで、お金に困る事はなかったですが、
兄が父の愛を乞えば乞うほど、父が逃げていくのを私はずっと見ていて、
「何かこの家はおかしい」
「みんなお互いを大事に思い合ってるのに、どこかボタンが掛け違っている」
そんな風に感じていたことが、やっと紐解けていきました。
そして、私自身の長年のコンプレックスに「コツコツ積み重ねるのが苦手」「お金が苦手」というものがあり、そのルーツもその瞬間はっきり見えました。
コツコツ積み重ねるのが苦手=アップダウンの激しい兄や母の影響(努力してもすぐに壊れる、積み重ならない)
お金が苦手=その場をしのぐための道具、自分の無力さの象徴(父の影響)
これが見えた瞬間、「もうこの人達と自分は違うルールで生きているんだ」と感じました。
そして、「私は絶対に、家族のルールの生き方には戻らない」と決めました。
家までの帰り道、私が運転する車で、母は助手席で疲れて寝て、兄は後ろで思いつくままにしゃべくっていました。
その光景を感じた瞬間に、涙が止まらなくなりました。
今この瞬間、私が、ずっと望んでいたこと、家族の力になるってことが現実としてできてるじゃん。
精神的にも、物理的にも、力になれるときがやっときたんだよ。
私も自分の大事な人を守ることができるんだよ。
今、家族の中で誰よりも力強いのは、ほかの誰でもなく、私じゃないか。
どんだけ、へんてこで、未成熟で、アンバランスで、めんどくさくても、やっぱりうちは自分の家族が大好きだ。
すごく愛おしくて大事な存在なんだ。
もう、守られる側じゃないんだ。
うちは守る側になったんだ。
その瞬間、私は自分の中にあった「無力さ」が払拭されました。
私は自分の大事なものを大事にする・守る、とそのときはっきりと肚をくくることができました。
覚悟を決めると、ずしっと肚の底に重さを感じました。
でも、嫌な重さではなく、私にとって地に足がつくために必要な重さでした。
今までの私は、自分自身に「力強さ」や「大事なものを守るパワー」があることに無自覚で、反応的に(受け身で)発揮していたんだと思います。
でも、自覚していなかったから「自分にはないもの」として捉えてしまっていました。
しかし、今回家族と向き合うことで、自分自身の「力強さ」や「大事なものを守るパワー」を自覚することができました。
自覚することで、「私には力がある」と思い出せ、今までとは違う、自らその力を出す主体的なアプローチが取れるようになりました。
大事なものを大事にする・守るために、今の自分の優先順位はなんだろうかと考えた時に、
➀自分の元気・健康
②家族の元気・健康
➂ここいろ・地域
④自分のための学びや体験
の順番で大事なんだと分かりました。
まずは、自分を大事にする。
そして自分の大事な人を大事にする。
そしてつながりのある人たちやその先にいるまだ見ぬ人たちを大事にして、さらに自然を大事にする
っていう順番で大事にしていけば、「地球を守る」ってことにもつながるんだと感じました。
「地球を守る」って自分の肚の奥から出てきたときは、
何か大きなことをしないといけないんじゃないかと焦ったり、知らないことが多すぎて不安な気持ちが強かったんですが、
あっきーや家族と向き合ったことで、「地球を守る」という壮大な使命も自分の中でかみ砕くことができました。
全部つながっているんだから、まずは自分から、自分の身近なところから、大事にしていけばいいんだと分かって、より肚の奥がずしっと、でも力強さも湧いてきました。
キーメッセージ⑨自分のルーツを紐解けば、自ずと自分の道が見える。自分のルーツを肯定できると、覚悟が決まる。
旅で私が得た宝物~コアメッセージ~
ここまでの道のりで、
やっと私は、地に足をつけながら、レッドロード(魂の道)を歩み始められるようになりました。
この道のりを経て得た、
「どうしたら私はより私らしく、その命がそのようになる道を歩んでいけるのだろうか?」
という問いに対する、今の私のコアメッセージは、
もう考えて道を選ぶ必要はない、ただ感じた方へ進むだけでいい。
もう外から付け足す必要はない、ただ自らを思い出すだけでいい。
もうやりたいことを追い求める必要はない、ただやると決めるだけでいい。
そうすれば、気づいたときには私の道を歩き始めている。
Who you are?
I am SAKURA!!!
(自分が誰かを思い出せ。)
(自分がここまで来た道のり、今いる場所、今から向かう場所を見つめろ。)
(自分で自分を再定義しろ。お前の名前を取り戻せ。そして叫べ!)
私は丸2か月間、
フクロウが導いてくれる方へ、ただ感じた方へ進み続けました。
自らを思い出すような体験をたくさんしました。
そして、大事な人と向き合って、肚から覚悟を決めて、自分の生き方を決めました。
大事なのは、「感じること・思い出すこと・決めること」
この3つが揃ったとき、私は私の道を歩み始めることができました。
これらのメッセージは、フクロウの旅で得た私の人生の大きな宝物です。
この宝物があなたの人生に手渡り、よりあなたらしく、輝いて生きていくためのお守りになれば幸いです。
決意表明
ここからは、私の決意をきいてください。
私は私自身の命を生き切り、その人がその人らしくなるプロセスを後押しする存在になります。
私は自分の大事なものを大事にして、守っていきます。
私は自ら変化を起こす生き方、実践する生き方をします。
地球を守るために、虹の戦士の生き方を実践していきます。
地球の一部である自分を何よりもまず大切に扱い、自分につながる全てのものたちを大切に扱っていきます。
私は私につながるすべてのものに感謝を伝え続けます。
私には助けてほしいときに、必ず助けてくれる存在がいることを感じて、この世界を信頼して生きていきます。
私は自分の使命を生きるために、ここいろも地域での活動も、自分がやりたいと思うことは、全力でやりきります。
私は、地に足つけて、自らの悦びに従って、自分だけの小道を進んでいきます。
私は学んだことを存分に活かして、その人がよりその人らしくなることを後押しするプログラム・場を作っていきます。
私は、大樹のようなエルダーになります。
これら、私が決めた生き方をするために必要な自分を鍛えるレッスンや試練に、私は感謝の気持ちをもって立ち向かいます。
学びつくします。受け入れ、手放し、変容し続けます。
最後に
この長い長いnoteを最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
このnoteに書き記したことは、私の人生のほんの一部にしかすぎません。
でも、この私の人生のほんの一部が、あなたの手に渡ることで、
自分の人生を歩みたい。
本当の私で生きたい。
自分の命・魂が喜ぶことをしたい。
そう願うあなたの人生に、何かが起き始めるきっかけになればと思っています。
私たちの旅は、はじまったばかりです。
ともに旅を続けていきましょう。
ホーミタクエオヤシン。
2021.6.10 高畑 桜