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ご・は・ん・を・た・べ・て・い・る・だ・け・の・か・ん・ じ・や……

 ことばには光と影があります。薬と毒と言い換えてもいいかもしれません。自戒を込めていいますが、ボクも毒をふくんだことばを言い放ち、相手を傷つけ、周囲を暗くしてしまった経験が無数にあります。「やっちまった」と軽くやりすごすことはできず、自分のひどいことばを思い出すたびに、取り返しのつかない失敗に凹むことが少なくありません…そんな毒のあることばをめぐる小論文の出題(山梨大学医学部2006年)を紹介します。 
 課題文が紹介したのは、あるALS(筋萎縮性側索硬化症)患者をめぐることばの「やり取り」です。患者は東京新聞特報部デスクをつとめた折笠美秋(おりかさ・びしゅう)さん、彼が死の前年に出版した『死出の衣は』(富士見書房、1989年)の一節を筆者は引用・紹介します。

×月×日、曇り。昨日までの蒸し暑さは去りたりと。朝、最近あまり顔を見なかった某医師カーテンの中を覗き「お腹 のガスの具合 はどう 土堤っ腹に穴を開けて出そうか」と、それだけ言い捨てて行く。同医師は或る時、私が口でワープロを使う様を見せて欲しいと電機メーカーの人を案内して来た。「この人も病院でご飯を食べて居るだけの患者さんです」と説明した。居合わせた妻にその言葉を書き留めさせた。書きながら妻は口惜し泣きした。この患者には何の治療法も無い、事実その通りだ。間違いではないし、無論悪意を含ん で吐かれた言葉でもあるまい。しかし、指導的な立場にある医師だ。ちょっぴり心遣いがあってもよいのではなかろうか。

 課題文の筆者は柳田邦男さん、彼の『「生と死」の現在』(文藝春秋BOOKS、1992年)からの出題でした。柳田さんは折笠さんのことばを読んで、以下のような思いをつづっています。

病気が治り生産的な活動に復帰できる見込みのなくなった者に対し、現代医療はしばしば冷淡になる、全身不随であっても、患者はその精神生活においてかけがえのない大事な一日一日を過ごしているのだが、現代医療はしばしばそうい う人間の心の問題に関心を払わなくなる。そういう現代医療の体質が無意識のうちに医師の言葉に投影されたのであろう。折笠氏がかすかに目と唇を動かして夫人に意思を伝えるのを、夫人は懸命に読み取って、一字ずつメモしていく、「ご・は・ん・を・た・べ・て・い・る・だ・け・の・か・ん・じ・や……」と、その情景を瞼に浮かべて日記の文章を読み返すと、胸が結まる思いがする。

 折傘さんと柳田さんのことばを読んで、「感じたこと」を自由に述べることが設問1です。そして、折笠さんのようなALS患者を医師として担当した場合「あなたは患者に対して何ができるのか」を述べることが設問2です。ともに制限字数は500字以内でした。設問1は医師としての適性をみることが、設問2は課題解決能力をみることが出題の趣旨と思われます。感性と理性に秀でた学生を入学させたい…という大学の思いが伝わる出題です。
 さて、あなたはどんなことを感じ、考えたでしょうか?そして、それを、どのように、自分のことばとして表現するのでしょうか?

 その後、柳田さんはNHKスペシャル「命をめぐる対話"暗闇の世界"で生きられますか」(2010年)に出演して、実際にALS患者や家族との対話を繰り返します。そこでは、人を支え合うということばの光の面が見事に描かれています。授業の中でもDVD上映をしてきました。終了後の生徒さんたちの「しんとした」空気が好きでした。事実やことばが人の心を動かす瞬間に立ち会えたからだと思います(^^)


 

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