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死ぬ権利ではなく生きる権利を

※暫定公開中です

 衝撃的な事件が発覚しました。ALSの患者さんを死亡させたとして、医師2人が嘱託殺人罪の容疑で逮捕されたのです。事件について「安楽死」と表現するメディアがほとんどです。しかし、それは誤解を招く表現で、医師による「殺人」に他なりません。
 事件をスクープした京都新聞の記事によれば、「医師2人は被害女性の担当医ではなく、直接の面識はなかった」とのこと。この点で、医師による従来の「安楽死」事件とは、様相が大きく異なります。現段階で十分な情報がないため予断は避けるべきですが…余罪がないことを祈ります。
 患者さんの苦痛に対する共感から、「安楽死」ばかりか事件に肯定的な言説がネット上には散見されます。しかし、良い「殺人」なんてあり得るのでしょうか?もちろん、死を強く望んだ患者さんの気持ちはボクも理解します。しかし、彼女が苦痛の中で生きる道はあったはずで、医師がめざすべきは「殺す」ことではないはずです。
 また、ボクを含めて社会は彼女が「生きる」選択ができるよう、何かできることはなかったのか…安易に「安楽死」や事件を肯定するのではなく、自分事としてしっかり考えたいと思います。

 事件の一因かもしれませんが、医学部受験生の答案には安易に「安楽死」を肯定する例が昔から少なくありません。志望理由として「人の命を救いたい」と明言する彼・彼女が、実にあっさりと人を「殺す」ことを肯定する姿に、強い違和感を抱いてきました。そんな受験生の風潮に、強い危惧を抱いたと思われる医学部・小論文の出題例を以下に紹介します。

次の文は日本ALS協会事務局長の新聞への投稿である。この文を読んであなたの考えを600字以内で述べなさい。(秋田大学医学部医学科2006年推薦入試)

 ALS(筋委縮性側索硬化症)患者の人工呼吸器を母親が停止し、死亡させた事件の判決(引用者註:当時の記事及び5年後の「悲劇」はリンク先にあります)が2月、横浜地裁であった。「生きたくない。いつまで我慢しなければならないのか」という息子の意向をくんだ嘱託殺人罪として、懲役3年(執行猶予5年)が言い渡された。
 この判決に関連した取材で、「患者が希望する場合、呼吸器使用を停止できるように法整備すべきだ、という意見があるが、協会としてはどう考えているのか」という質問を何度か受けた。それには、「慎重に議論すべき問題だが、療養環境の整備が先決だ」と答えている。
 ALSは患者数が約6800人(引用者註:最新の患者数は9968人・リンク先)と少ないこともあり、社会での病気の正しい理解や社会的療養環境整備は、いまだに不十分である。
 書物には「ALSは原因不明の難病で、運動神経が侵されることから全身が麻痺(まひ)し、余命3~5年」などと書かれている。しかし、身体を動かしたり、話すことができなくなっても、適切なサポートがあれば、前向きな生活が可能なことや、呼吸筋が麻痺しても、呼吸器を装着すれば長期療養が可能、といったことは余り知られていない。
 理解ある医師や支援者に恵まれ、精神的サポートや療養環境が整えられた患者の中には、呼吸器をつけて海外の会議に参加したり、農業や介護事業所などの仕事に打ち込んだり、絵画や短歌、パソコン通信などに生きがいをもって日常生活を楽しむ人もいる。
 しかし、そのような患者は限られており、多くの患者や家族は、まだ深刻な問題を抱えているのが現状だ。
 呼吸器をつけたいと望んでも、「頻繁にたんの吸引を行う24時間の在宅介護体制がとれない」「長期入院受け入れ先が見つからない」などの理由で、呼吸器装着を断念し、亡くなる場合もある。
 介護保険や障害者ヘルパー制度を利用しても、たんの吸引や、文字盤を使った意思疎通の方法を知っているヘルパーを見つけるのは困難だ。呼吸器がはずれるなどの事故が、後を絶たないという深刻な問題もある。
 茨城県のある男性患者は、小学生の長女、心臓病を患う70歳の母親、脳卒中の後遺症を持つ75歳の父親の3人と暮らしている。今後、呼吸器の装着が現実問題となる。彼は「自分と家族が生活できる経済環境と、看護、介護体制があれば、呼吸器をつけて生きたい。子どもの未来も見てみたい」としながらも、「私の家では介護を家族に頼むことはできない。安易に呼吸器をつけると、家族に重荷を背負わせてしまうのではないか」という不安も抱えている。
 このような悩みを、だれが受け止め、どう解決するのか。呼吸器使用停止の法整備を議論する前に、まず患者が、家族の介護負担や療養先がないなどの理由で、「生」を選択できない現状を解決することが先決であろう。

 最後の一文「まず患者が、家族の介護負担や療養先がないなどの理由で、『生』を選択できない現状を解決することが先決であろう」は、今回の事件を考える上でも忘れてはならない視点です。「安楽死」や「尊厳死」などの「死ぬ権利」を保障する前に、まずは苦痛の中にある患者さんの「生きる権利」を保障すべきです。
 医学部受験生がある状態にある患者さんを「殺す」ことや「死なせる」ことに肯定的どころか、積極的であることに危惧を抱いた医学部・小論文は他にもあります。札幌医科大学医学部には、以下のような書き出しの課題文を読んだ上で、尊厳死にかかわる内容説明とそれを踏まえた見解論述を求める出題例(2008年推薦入試)があります。

人の死にざまはその人の生きざまを映す結晶である。生死はあざなえる縄のごとし。尊厳死を望むなら、尊厳生がなくてはならない。死を覚悟しつつ、尊厳ある生はどうしたら創れるか。そこに医学は何を貢献できるのであろうか。

 これも、「死ぬ権利ではなく生きる権利を」という視点に基づく出題です。二つの大学に共通するのは、以下のような医学部受験生に対する鋭い問いかけです。あなたは、どう答えますか?

・あなたは「人の命を救いたい」から医師をめざすんだよね?
・簡単に「殺す」「死なせる」のは医師の仕事なんだろうか?
・どんなに困難な状況でも、患者さんの「生」の選択や「尊厳ある生」を創り出す工夫や努力をすることが、医師の役割や責任ではないのか?

 もちろん、こうした問いは医師だけではなく、ボクを含めた一人ひとりの人間に対する問いかけでもあります。

<参考リンク>

東海大学病院安楽死事件・横浜地裁判決(1992年3月28日)

川崎協同病院事件
 川崎協同病院「気管チューブ抜去・薬剤投与死亡事件」への声明(2010年10月)
 川崎協同病院安楽死事件・最高裁判決(2007年2月28日)

iPS使い薬発見、ALSに効果確認 慶大治験(朝日新聞2023年6月8日)

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