【ネタバレ有】バチェラー3から考察する、恋と愛


10月末にバチェロレッテを観てから
バチェラーシリーズにどハマりしたのだが、その中でも特にバチェラー3は考えさせられることがありすぎて私の頭はパンク状態。

他人の恋愛事情なんて結局の所自分には何ら関係はないし、「○○を選ぶなんて有り得ない」「はやく別れてしまえ」のような口出し・意見は本当に失礼なことだ。

だが、他人の恋愛談を糧にして自分の生き方や恋愛観・ましてや人生観までもに影響が及ぶことは悪いことではなく、寧ろ素晴らしく価値のあること。そのくらい自身に影響を与えてくれたのがバチェラー3だった。

ここからはネタバレ。

最終回で難儀を醸した、最終回。
ファイナルローズを渡した水田あゆみさんから岩間恵さんに乗り換えるという、正直女の気持ちを踏み躙るような選択だった。

自分が水田あゆみだったら涙が枯れてしまうほど泣き浸るだろう。裏切られた、それならばファイナルローズなんて要らなかった、1ヶ月なんて早すぎるだろう、と多くの失念に駆られる筈だ。
しかもこの類の恋愛サバイバル番組は、余すところなく撮影されるため 「自分が最終的に選ばれなかった」というbad endをも視聴者に知られることとなる。
絵に描いたような悲劇のヒロインだ、そう言っても過言ではない。途中経過で潔く落とされた女性とは話が違う。

しかし友永の目線から考えたらどうだろうか。
たしかに、友永の選択は独りよがりで自分勝手であった。だが、私からすると友永の選択は理に適った、人間味溢れるものであったと考えている。

友永は途中途中で、これが番組であるということを忘れるくらい本企画に没頭し、「恵さんが好きだ」「俺は恵さんがいい」と連呼するようになる。どう考えても、岩間一強であった。それほど本気で女性陣に向き合っているという証拠ではある。 

しかしながらそんな友永の選択を揺るがす決定的な事件が2つ。

①両親・兄の気に入った女性が満場一致で水田あゆみであった。
②岩間恵との2shotにおいて、「好きだけど、恋愛感情ではない」と言われた。

これらの2つは友永にとって、衝撃的であったに違いない。ここで私が声を大にして言いたいこと。恋感情と愛感情は殆どの場合相反するものであり、交わることはない。そして多くの人間は、恋感情の方を運命だと信じて選択する。

中学生にもわかるような稚拙な説明で言えば、
「一瞬の幸せ と 永遠の幸せ を並べた時、愚かな人間は一瞬の幸せを選んでしまう」ということだ。深層心理では後者を選ぶべきだ、と理解しているにも関わらず前者を選んでしまうのは薬物依存や不倫傾向にあることと同じである。
しかし、初恋の甘酸っぱい思い出をいつまでも記憶の根底に留めているように、一瞬の幸せを宝物とする人も多い。

バチェラーに話を戻すが、
友永の場合、自分が岩間恵に対して抱いている感情が「恋感情」であるにも関わらず、「愛感情」であると誤った認識をしてしまっている。
そのため、家族全員が水田あゆみを推している現実に直面したときに脳内でエラーが発生する。

自分の運命の相手は岩間恵なのに水田の方を選ぶのか。

極め付けは、岩間恵の口から放たれた「真也さんのことは好き。だけどこれが恋愛感情なのかはわからない。」という衝撃的な言葉であった。そこで友永の脳内は更にパニックを起こす。家族に「正しい自分の考え」を否定された挙げ句の果てに、岩間本人からも否定されてしまうのである。

そのことを境に、友永の脳内はバグ修正をするかのように意識転換されていく。

俺の運命の女性は水田あゆみだ。

それ故 友永は水田にファイナルローズを手渡し、婚約指輪を捧げることとなる。
しかしながら先程も述べたように、人間は「恋感情」を抱いている方を永遠に忘れることができない。

筆者である私もそうである。恋をしていた(恋感情を抱いていた)異性は、数年経った今でも心の根底に色濃く残っている。
甘酸っぱい思い出や 傷つき涙したあの苦しい感情、心臓の高鳴りなどすべてが鮮明に思い出される。あの頃に戻りたいとさえ思う。

だから、友永は岩間に乗り換えて正解だったのだ。仮に水田と結婚していたとしても、幸せにはなれるかもしれない。しかし、岩間への恋心を秘めた友永は、生涯を共にする水田のことを幸せにはできないであろう。

最初から岩間を選んでおけば、という意見があるのも当然だ。だが、あの時の友永の状況を考えると、水田を選ばざるを得なかったのも理解に難くない。

バチェラー3は、恋と愛の違いについて深く考えるにあたり良き教科書であったと思う。


咲桜

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