ただ描きたいから、描く。ということ。
落書きじゃなくて、羽生くんをちゃんと描けるようになりたいと思って描き始めた、最初の絵。
元の写真は、雑誌に載っていた、お顔が2センチくらいのもの。
もっと大きくて羽生くんの姿形が分かりやすい写真が他に沢山あったけど、この小さな写真に映し出された羽生くんの目の表情に心惹かれて、この絵を描いた。
周りの景色は、何も映っていない様に見える目。
けれど、何かを見据えている様な目。
羽生くんにしか観えないものを見ている様な目。
何を見ているんだろう、、?
何を思っているんだろう、、?
その答えは求めず、ただその姿を描きたいと思った。
学生の頃は絵をよく描いていたけど、ここ10年以上全くと言って良いほど絵から遠ざかっていたので、描き方が分からない。対象の捉え方がさっぱり分からなくなっていた。
だけど少しずつ羽生くんの面影が紙の上に見え始めると、なんとも言えない、、喜びのような、緊張のような、高揚感のようなものが生まれた。
多分自分以外の人が見たら、全く羽生結弦には見えないかもしれないけれど、私にはあの小さな写真から感じ取った羽生くんが、ほんの少しだけど紙の上に現れて観えた。描いてよかったと思った。
そうして数年が経ち、あの中国杯の映像を見返す時があった。
羽生くんを好きになり、初めてリアルタイムで競技映像を観たのがこの中国杯だった。
まさかあんな事が起こるなんて思いもしなかった。
ひたすら祈っていた。
無事でありますように。頭も骨も筋肉も脳も精神も全てが無事でありますように。この人が自然にアイスリンクを降りるその日まで、大好きなフィギュアスケートを望む様に続けていけますように。
衝撃が強すぎて、なかなか見返す事のなかった映像。
時が経ち、あらためて見てみたら、当時は気づかなかったものに出会った。
そう、羽生くんは微笑んでいた。
滑り終わった後、少し顔を上げて、優しく幸せそうに微笑んでいた。
羽生結弦という人の、心に触れた様な気持ちになった。
この微笑みを描きたいと思って下絵を描いたけど、そこでしばらく手が止まる。
この頃、羽生くんを描くファンの方々の絵を見て、似せなくちゃ、美しく描かなくちゃという、変な気負いが生まれていた。
そして色をつける事が出来なくなってしまい、何ヶ月も眠らすことになる。
再びスケッチブックを開く事が出来たのは、オイルパステルを手にした時だった。
今まで使ったことのない画材。使い方もよく分からない。でもなんだか楽しい。指から伝わる熱でパステルが溶ける。それをまた指で伸ばす。好きな色を好きな様に乗せる。思うようにならなくても、思いがけず美しい色が出来ても、どちらも楽しかった。
そうして描き上がった羽生くんは、明るく、色鮮やかに微笑んでいた。
美しく繊細な絵ではなくても、
本人とあまり似ていなくても、
そんなことはどうでも良くて、
ただ羽生くんを描きたいから、描く。
それだけでいいんだなぁ、と感じた。
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