見出し画像

notte stellata 3月11日のライブビューイングを観て。


羽生結弦

この人の観ている世界

この人の感じている世界

最後のあいさつの言葉に、全て、現れていた



記憶力の乏しい私は、
羽生くんが、どんな言葉で
その想いを話されたのかを
明確には覚えられなかった

とても
とても大切なことを
羽生くんは最後に、言葉にして伝えてくれたんだ

きっと
言葉に起こすことさえ
とても辛かっただろう

会場のことも
そして
今のこの、世の中のことも

ああ、、覚えていたかった
とても、とても大切なこと

震える声で
しっかりとみんなを見て
話してくれた大切なこと

気を付けて帰ってね、と
念を押して、会場のみんなへ語った羽生くん

その言葉に込めた想いを
はっきりと、羽生くんは口にされた


この会場が、どんな過去を持っているかを

人の生きる時間の稀有さ、儚さを

明日がまた来るとは、限らないことを

だから、今を
生きて
幸せに
生きて、と



羽生くんが最後の挨拶で語られた内容が
以下の記事に掲載されている

「こうやって希望や祈りをたくさん届けたつもりですけど、ここでなぜここの氷にたくさん手をつけていたか、そして手をついて上に気持ちを上げていたか、少しだけ宮城県民として説明させてください。
ここは宮城県民、仙台市民、そしてすべての人々にとって本当に特別な場所です。ここは“遺体安置所”だったんです」

「だから本当にたくさんの今ある命が、この場所に集まって、その中で僕がこんな演技をしてしまって、3月11日という日にこの演技をして、ここに氷を張って良いのだろうかという戸惑いはすごくありました」

「ただ今日『notte stellata』をやって、きっと震災に関わらなかった人も、震災で苦しんだ方も、そして震災のニュースを見て苦しんだ方も、ちょっとでも希望だったり、優しさだったり、そんな時間ができたのではないかなと思っています。僕が生きて今日という日を皆さんの前で、この会場で迎えることができたのは、少しでも意味のあるものになったのかなと、自分を肯定できます」

「人生は何があるか分からないですし、今世界情勢も平和では無いかもしれません。火種はたくさんあります。ただそのなかで少しでも平和で優しさにあふれた日々が訪れるように、この3月11日の『notte stellata』という星たちは、いつも皆さんの平和と優しさと幸せを願っています」

※ 羽生結弦「宮城県民として説明させて」しきりに氷を触れていた理由とは 3.11のショーに込めた思い記事より一部抜粋



この記事には掲載されていない、この言葉たちの一番最後に羽生くんが語った、私が覚えられなかった言葉たちを書き起こしてくれた方がいたので、ここにそれを書く。ありがとう、書き留めてくれた方。。ありがとう。


どうか最後まで
最後の最後まで
気を付けて帰ってください

今日ある命は
明日もあるとは限りません

今日の、今の幸せは
明日もあるとは限りません

そうやって地震は起きました

だからみんな
真剣に

今ある命を

今の時間を

幸せに、生きてください



OH!バンデスのネット配信で
震災で妻と息子を亡くされた男性が
震災関連のミュージカルに参加される姿を
取材されているのを観た

その中で、
取材をしている記者と
亡くされた息子さんの年齢が同じと分かった

その記者が、
きっと息子さんもこう思ってるのではないかと、
今のその男性の活動に対しての感想を伝える
その言葉を聴いて、男性は涙ぐんでいた


その一連のやり取りが、
この日観た羽生くんと、重なるんだ


どんなに今を笑顔で元気に生きていても

心の中に、あの日が同時に今として在る


この日、羽生くんが舞った「春よ、来い」は
今まで見たことのあるものとは、全く違う、、
初めて感じるイメージが、胸に流れて来た


それは
身体中が熱くて痛いような、
息苦しくなるほど切ないような、
胸が裂け引き千切られたような、
触れた瞬間どっと弾けて溢れそうな、、

これは、なんだ
これは、苦しみ、、?
これは、痛み、、、?

最後、羽生くんが
天に向けて
手を伸ばす
その瞬間まで

観ていてずっと、苦しかった
このイメージは何なのだろう
この言葉で合っているのかも、分からない
この感覚。。
この感情。。

観終わった当初、
あまりに今まで見たことのある「春よ、来い」と
届いて来る感覚が違うので

この心に流れて来たものを
どう受け止めたらいいのか
分からずにいた


最後、
羽生くんのあいさつを聴いた時
羽生くんの震える声を聴いた時
羽生くんの泣いたような目を見た時

その流れて来たものが何なのか
薄っすらと、分かった気がした


それは、羽生くんの12年間であり

あのOH!バンデスで取材を受けた
男性の12年間であり

あの日から生きて来た人々みんなの
12年間なんだと



生きる人々が12年間、ずっと
生きながら抱えて来た想い。。


誰にも語れない、
語る言葉すらない、そんな
今日
この日まで
ひとりその胸に
溜めてきた、想いたち

その想いたちが
羽生くんに乗って行く

羽生くんの身体が
叫んでいる

身体の奥底から
叫び声のように
声にならない声たちが
羽生くんの身体中から響き渡る

羽生くんが弾け飛んでしまいそうなくらい
そのたったひとつの身体の中で
数え切れないほどの想いたちが
声にならない声で、叫んでいる

最後、天から光が、降り注ぐ
羽生くんを介して
今を生きる人々の心へ

羽生くんが伸ばした手から
光を伝って、想いがのぼる

この光は
声にならない声で
叫び、呼び続けた
逢いたい人たちだったのじゃないだろうか

そんな気がした



この「春よ、来い」をみて
そして最後のあいさつを聴いて

羽生結弦という人は
忘れるとか、
気付かないとか、
考えないとか、
人が自分を保つために使う術を
何も使わずに生きているのではないか?と思った

そうして
あらゆることに目を向け
心を開き、心寄せながら

自分自身の心を、
その身体を、
伝えたいもの一心に染める
時にはまるで自分自身を全て明け渡し
何かの依代にさせているのでは?とさえ思う

自分を自分だけで満たしながら
生きることだって、選べたはず

なのに羽生くんはそれをしない

こんなに心を開いて、生きている
だからこんなにも、傷付いている
だけどそうでなきゃ
分からない、
見えないものがあって、
そうでなきゃ、
伝えられないものがあることを、
羽生くんは、知っているんだと思った


最後のあいさつが、ずっと心に残っている。。

明日、自分が生きていないかもしれないって、
人は普段、どれくらい思い出しているだろう?

死を普段から意識すること

羽生くんはきっと、、
きっと、たぶん、
常に死を隣に感じながら
生きているのだと思う

いつもそれを思い出し
忘れないでいるのだと

生と死を同時に感じながら
今に心を置いて
今を生きること

これが出来ることに感じている、この気持ちを
どう表現すればいい?

その大変さ、凄さ、、ううん言葉が違う、
どう表現すればいいのか分からないけれど、

これが出来る生き方って、

目を塞いでいたら出来ない
耳を塞いでいたら出来ない
心を閉ざしていたら出来ない
自分から逃げていたら出来ない
そんな気がしているんだ

ああ、なんて表現すればいいんだろう、

大きくも小さくもなくて
そのままの自分で

弱くても狡くても逃げ出したくても
そのままの自分を隠さずに嫌わずに
抱きしめて
世界を見る、
知る、
気付く、
感じる、
考える、
寄り添う、、

GIFTの、羽生くんの苦悩を思い出す

真摯に向き合うほど
気付いて行くほど
知って行くほど

ちっぽけな自分に気付く

だから羽生くんは
僕なんか、という言葉を使うのだと

自分のスケートのことも
そのような扱いで話されるのは

羽生くんが知っている、
観ている世界が
きっと、ものすごく大きいからだと

それ程広大なものに、
意識を向けられているのだと



私はあることがきっかけで
自分や人が死んでしまうことを
リアルに感じ続けてしまうことが増えて
その感覚が四六時中起こっていたころは
何度も吐きそうになったり、
涙が止まらなかったり、
叫び出しそうになっていた

今はその激しい感覚は薄らいでいる
けどそれは、
私が死を、忘れているからだ
気付かないふりをしているからだ

自分が死ぬことが私は怖い
人が死んでしまうのも怖い

だけどそれは、
私が今に生きていないから
私が私を生き切っていないから

例えば過去起こったことに
心が飛んでしまっていたり
やるべきことをしてなかったり

今の自分をまるっと全部、
受け入れられていないからだと思う

だから、
人が死ぬことが怖いんだ
人の死が悲しい、よりも、怖い、が先に立つんだ


どうすれば、本当に、人も自分も、愛せるのか?


羽生くんは、
とても簡潔に伝えてくれた

『今を幸せに生きて』と



ずっと、羽生くんに
ひとりで全部引き受けないで、と感じてた

人はいつか死ぬ、ということ
その事実を見つめて、毎日を生きることを

羽生くんはずっとひとりで引き受けて来た
心を傷だらけにしても
己の中で、優しく美しいものに錬り上げて
私たちに
素晴らしい演技に変えて届けて来てくれた

羽生くんがこんなにも
精力的に活動されていることも
フィギュアスケートに
命を賭けて取り組まれていることも

いつも必ず来る明日なんて、ないことを
知っているからなんだと思う

このあいさつを聴いて、私は
羽生くんがひとりで引き受けていたものを
分けてもらえたような気がした
それがとても嬉しかった

そして、気が引き締まる

共に、生きよう、って
命を、輝かせよう、って
言われたような気がした



羽生くんは気付いているんだ、きっと

それがないと、人は生きていけないと

美しさを、感じること
心が何かしら動くこと
幸せを感じられること

人が生きて行くうえで
とても大事なこと

心が、呼吸するために
とても大切なこと


未来がもしも、暗い雲に覆われたとしても

この日語ってくれた羽生くんの想いたちを、
羽生くんがいつも伝えてくれる想いたちを、

必ず思い出そう

美しさは優しさ
感動は生きる糧

大切な、人の、こころ

羽生くん、ありがとう



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?