小説×詩『藝術創造旋律の洪水』[chapter:≪ユウカ【優香】の章①≫【caretaker】ー長崎 天草地方教会群ー第10話]

ーねぇ、無理してない?
ううん。まだまだ大丈夫。

ー怖くない?
大丈夫。平気平気。

ー手伝おうか?
ありがとう。大丈夫だよ。

ー寂しくない?
うーん…一人でいる方がゆっくりできるの。

なんて。
「大丈夫」、「平気」なんて全部嘘【ウソ】。

人に頼った方がいいのに人に頼ろうとアクションを起こしかけると、プライドでもなく罪悪感のような抵抗感の重い障壁がベルリンの壁のように立ちはだかる。
一人で全部しょい込んで限界ギリギリまでフラストレーションの袋はパンパンに膨れ上がってあるきっかけでバチンッと弾け袋という私の心と体の一つのものはバラバラの破片になってひらひらと舞い散る。
自壊の負のスパイラル。
いつも自分のことは後回しで、悲しそうな人や傷ついている人をみるとほっとけない、相手の介護に懸命に魂を擦り減らし、疲弊しきった私はいつも一人の時間で私の心身を癒す、この繰り返し。突破口の見えない迷路のようだ。

夜勤から凛とした顔はくたびれた曇り空に変化、ボブスタイルで長身の女性はマイカーで長崎の天草地方にある教会群にまっすぐ向かう。
この女性の名はユウカという。心優しき看護師であり修道女としてその透き通る歌声で教会に訪れる迷える子羊たちの迷いや悩みに灯篭を灯す。
ユウカは5歳の時に父を交通事故で亡くしている。
メタセコイア並木の美しい情景、母と父に挟まれて手を繋ぎ談笑、それはありふれた幸せな家族の絵であった。そこにいきなり車道から車が突っ込んできて父は跳ね飛ばされた。
それは一瞬だった。
さっきまで楽しく笑いあってて高い高いと抱っこしてくれた父は体が捻転し頭部からアスファルトに鮮血の湖ができる。
近くの高次医療圏の病院に救急搬送されたが、全身打撲、内臓破裂、失血による出血性ショック死でこの世からあっという間に去ってしまった。
アクセルとブレーキを踏み違えたといっていた運転手の呼気からアルコールが抽出され、ユウカの父の命を奪った男は業務上過失傷害の罪で書類送検、逮捕された。
ユウカはそのときのことを思い出そうとしても片頭痛のような痛みが走り記憶は曖昧である。
葬儀で母のすすり泣く嗚咽が脳内に反響していたのは五感が残像としてアルバム化している。
父の逝去後、和式のトイレが設置された6畳くらいの仮設住宅のような場所に母と二人で引っ越した。
「ユウカ、ごめんね、かあさんがもっとがんばってお金貯めんとね」
病弱な母は生前の父の貯金をできるだけ切り崩さないようにと昼夜関係なく働き始める。昼間は派遣の卸売業の仕事、朝3時から派遣の仕事が開始するまでは弁当工場での仕事、ほぼ寝るためだけに帰宅する母の弱り切った姿を間近でみていたユウカは
「お母さん、大丈夫?」
と不安げに母の背中をさする。
「ユウカ心配かけてごめんね。母さん大丈夫よ。ユウカは優しい子やっちゃねぇ」
本当は辛いのに苦しいのにそんな表情見せずに笑顔な母の姿がユウカの瞳に映ると幼いながらにも心にズキンと痛みが走った。
ユウカは学校では友達は多くできた。だが、心から打ち解けて接する人は一人としていない。自分のことは自分で何とかしなくちゃ、困っているお母さんを早く楽にしなきゃ、そして母の介護の延長線には看護師という職業が天職として待っていた。

マイカーを五島列島へと行くフェリーに乗船する。甲板にあがって潮風を感じる。朝日が海の水面にキラキラとクリスタルな宝石の粒を散りばめ幻想世界のような息をのむほど美しい情景。いつもこの情景を見るたび、静かに涙【tear】が頬を伝う。
涙は心のやさしさの形。躓かなければ誰しも優しさを知ることなどできない。

長崎、天草地方教会群。二百数年禁教のなか小さな小舟で五島列島に逃げ込みひっそりと自給自足の生活を送っていたキリシタンたちがいた。明治の初めに久賀島から迫害の豪炎があがり、炎に飲み込まれ42人の魂はあの世へと渡っていった。それから幾多の苦難が去り、教会をたてようと決意した者たちにより、リブ・ヴォールトの意匠を凝らした天井の教会をはじめ、素朴な教会、「祈りの家」が雄大な自然と共存し、ユウカを優しく包み込んでくれる。

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