誰にも救えないこと

心の許せる友人知人にも恵まれて、短期で行く先々の職場でもとてもよくしてもらえて、没頭できる趣味やライフワークにも出会えて…

それでもどうにもならないことというのはあって、ちょっとした心の影や自分でも気付かないようなストレスに触れる度、数分とはいえ突然気管が狭まり息ができなくなったり被虐待時代の記憶でうなされて起きたり、或いは身体が重くて重くて歩くのもしんどかったり自律神経の不調で一睡もできないまま仕事に行かなければならない日が頻繁にあったり…

それは誰かに話を聞いてもらえば治るのだろうか。薬漬けになれば解決するのだろうか。そんな途方もない救いを模索していた時期も今となっては懐かしい。ただただ、今と、ほんの少し先だけを頑張って、プツンと逝ってしまうか、満足したタイミングで自ら終えるのか。どちらかを目指すようになってから今は生きるのが楽だ。

家庭にも学校にも職場にも居場所がない人が逃げ込める駆け込み寺ならぬ駆け込みシェアハウスを作りたいと思っています。ご賛同いただけましたら幸いです。