犬のいる家
「犬、飼いはじめたんですね〜」と言われると、なんとなく「そうなんです、家に迎えたんです〜」と言い直す癖が私にはある。
意味合いとしては飼っているに違いないのだが、飼われている気持ちになることも多い。比較的、私は犬に面倒をみてもらっているほうだ。たまに私が泣いてると、耳を下げて「どうしたのどうしたの?」とぺろぺろ舐めながら心配してくれるし、原稿を書く気にならずにサボっていると「どうせ時間を持て余しているなら有意義に過ごしちゃおうぜ!」とおもちゃを持ってきて、楽しい時間の提供に尽力してくれる。
飼うというそもそもの言葉自体にも、なんだか納得できていない。もし先ほどの会話の切り口の正解があるのだとすれば「犬と暮らしているんですね〜」だ。うん、これなら心にジャストフィット。
相棒とか家族とか、関係を表すそれらの名称は素敵だが私にとってのイッヌ様(名前は個犬情報のため秘匿としている)は、女王様として君臨している。
犬の躾に関しては正解がさまざまにあって、とにかく自由に過ごさせてあげたいという人もいるし、人間と主従関係を結んでいかなければ、後々犬にナメられて大変ですよと警告する人もいる。
その両極の主義主張の間にも、もっと細かくそれぞれの家庭内での躾やルールはあるとは思うけど、私は基本的に自由にさせる主義だ。部屋の中もフリーの状態にして好きに歩かせている。
もちろん危ないゾーンには入らないようにとか、誤飲をさせないよう床に物は何も置かない、とか、拭き掃除も念入りにとか、脱走ゲートの設置など最低限目の届く安全圏で自由にさせている。
留守番をしてもらっている時はリビングを開放しており、ペットカメラで様子を見ると、ソファの上やクレートの中で寛いでいるお姿が拝見できる。寝る時は、私と一緒にベッドの上で寝る。私の股の付近や足元で丸まって、彼女は大爆睡。実によく寝ている。(あ、そうそう、イッヌ様は女の子です)
保護犬団体から引き取って、一年が経った。現在イッヌ様は1歳と3ヶ月(推定)である。元々は野犬、雑種。犬種鑑定に出したらシェパードと柴犬と甲斐犬とパグが入っていた。先祖は賑やかだ。
最初に保護犬団体に行ったときに会ったイッヌ様は赤ちゃんだった。だから正直なことを言うと保護犬っぽさは殆どない。茨城の山奥で、兄弟犬6匹と彷徨っていたところを発見され保護された。近くに母犬はおらず、あくまでも推測だが、すでに母犬は死んでいるか、(私は犬の世界のことはよくわからないけれど)育児放棄的な経緯だったのではないかと保護犬団体のスタッフから告げられた。
茶・オレンジ・黒が混じった毛並み。スタッフに抱っこされたままやってきた、その子。私の顔を見ることもなく、そのスタッフの脇の間に顔をうずめてなかなか表情を見せてくれなかった。
源氏名のように名前が決められていたけどその名前に反応をすることもなく、人が多い状況にイッヌ様は怯えていた。覗き込んでまでその顔を見るのも気が引けた。ただ、他の兄弟犬たちは積極的というか、好奇心に突き動かされてジタバタしている子たちが多かったので、脇の中に顔を沈めたまま微動だにしない姿を改めて見た時に、「この子は慎重な気質なのかな」と思った。
その場に参加していた単身者は私くらいだった。単身者も応募可能だとはいえ、大所帯の家族連れが数組、親子が数組、夫婦が数組、といった組み合わせばかりだった。20人以上はいた。
途中でスタッフがアナウンスを流し始め、今回の説明を改めて語り出した。後半にさしかかって放った言葉の中で、驚いた箇所がある。
「審査は簡単ではありません。何度も落ちる人も多いです。なので落ちたとしても気落ちせず諦めないで何度も通い、しっかりと家に犬を迎えたい熱量を伝えていただきたいです」
なるほど、と私は心の中で頷いた。他の団体がどうかは知らないけれど、そういうものなのか。
要するに、私はこの中では審査に落ちることが確定しているようなものだけど(なぜなら単身者よりも、家庭のある希望者の方が優遇されるとも言われていたのだ)、この家族たちのなかにも「あなたは犬との生活に適していない」と厳しい事実を突きつけられることがあるんだ。しかも何度も。
そうした厳しい規定があることで、私はかえって安心もしていた。誰がなんと言おうと、安易に命を預かってはならない。生涯を通して愛せるかどうか、世話ができるかどうか。予め他者からジャッジされること。それは本来なら、絶対的に必要な過程なのではないか。そう感じたりもした。
配られた説明書の最後のページ、バインダーに挟まれた希望用紙を書く時間になる。紙を捲ったとき、そこに書かれている一文に、胸が痛んだ。
「希望するワンちゃんの順番を書いてください。
1.
2.
3.
4.
5. 」
どの子も当たり前にかわいいのだし、どの子も当たり前に尊い命なのに、欲しいとか欲しくないとか優先順位をつけて考える人間、自分のエゴを見せつけられた気持ちになった。
とはいえ、それが現実なのだ。
生き物を家の中に招くこと。これは私や私たちの勝手な希望である。対して犬の希望は全く通らない。あくまでも私たちの何かしらの欲求を犬に叶えてもらう、犬に付き合ってもらうということだ。周りの人たちはすぐさま記入を終えて、受付へと吸い込まれていく。
私は、どうしようと考えた。
「全員かわいかったです」と書いた。
そのまま提出しようとして立ち上がったが、少し思い直してもう一度パイプ椅子に座り直し追記した。
「全員かわいかったです。ただ、ずっと顔を隠していた〇〇ちゃんのとても慎重な性格は、私の気質と合う気がしました」
正直に全て書こうと決めて、職業の欄も収入の欄も家の情報も、働いている時間帯も可能な散歩の時間も、全てそのままごまかさずに書いた。とはいえ職業的にも立場的にも、審査が通るとは到底思えなかったから、「たとえ審査に通らなくても任意の寄付金はお支払いします」と記入用紙に追加して書いた。
働いている時間に関しては融通が効くというか、時間の調整は元々希望が通りやすかったのでそこはどうにでもなる。長い時間、家を空けるような仕事のスケジュールは入れないようにしよう。家だって、いかようにも過ごしやすい空間に変えることはできる。安心して迎え入れる環境はちゃんと私にもつくれる。
と、少し期待もしていた。
やっぱり身勝手なことしてるよなあ、と溜息が出る。変えられないのは、職業。変えたくないのは、見た目だけで判断しない気持ち。
……って、のこのこ譲渡会に来ておいて、何を偉そうに言ってるんだろうか。
保護犬を迎えるのではなく、保護犬団体を応援する方向へ気持ちが切り替わっていた。あの家族やあの親子やあの夫婦に引き取られて、幸せに暮らすんだろう。それでよかった。
とはいえ、家族家族家族、の大集合に私はちょっとダメージをうけた。
前回の記事にも書いたが、私には家コンプレックスがあり、その中に「仲の良い家族」コンプレックスも内包されている。なので模範的な輝かしい家族を見ると、優しい気持ちになる反面たまに苦しさが襲ってくることがある。
このままでは模範的家族たちに飲み込まれてしまう……!と喉元まで競り上がってくる叫びを唾で呑み込んで、帰り道、平井堅さんの「告白」を爆音で流しながら高速を走った。
翌日、電話がかかってきた時は驚いた。
本当ですか?と聞き返した。
大人だけど飛び跳ねた。
慌てて車を飛ばしてショップに行き、ペット用品をひとしきり購入する。脱走防止用ゲート、トイレ、クレート、ケージ、ご飯入れ(餌入れ、は抵抗がある)、水入れ、リード、ハーネス、ネームプレート、ペットシーツ、除菌スプレー、散歩用ポーチ、、、と爆買いだ。爆買いというか、必要最低限のものだけど、よっこいしょと頑張って全部家まで運んで慌てて室内に設置した。
来た初日から、イッヌ様は夜鳴きをした。
本当に赤ちゃんだ。
私はネットで調べた夜鳴きの情報をたどって、ケージの近くのソファに寝た。それでも鳴き声は続いた。悲痛な声で激しさも増していく。キャンとギャンを混ぜたような音で、私が何も知らずにその声を聞いたら「虐待でも受けているのでは」と思うような叫び方だった。
どうしよう、とソファに寝そべるのをやめて、ソファの後ろにあるケージの前に移動して座り込んだ。
イッヌ様の視界に入る場所は、この床の上しかない。なのでブランケットを床に敷いたり、コット(キャンプで使う道具)を組み立てたりして一番近い距離にいることにした。視界に入ることで安心感を与えられる、とネットに書いてあったのだ。それでも、ずっとずっとイッヌ様は鳴き続ける。夜の2時、3時、4時になっても鳴き止まず朝も白々として来る頃、ようやっと疲れ果てたように眠る。それが数日の間続いた。
ケージの隙間からずっと不安そうな顔が見える。
兄弟で群れを成して生きてきたのに、急に独りぼっちにさせられてそりゃあ怖いよね、不安だよね。ごめんね。どうしたらいいかな?
いろいろとやってみた。「疲れた犬は良い犬」と言う言葉を知って、疲れたら寝るだろうとずっと夜中まで一緒に遊んでみたり、ケージの中に入って抱っこし続けたりもした。一時的には鳴き止むけれど、ケージに入れて1匹になる、そして夜、という条件が重なると鳴く。
ケージで一匹で寝れるようにならないとダメ、なのだという。それも躾の話だ。万が一の時の為にというのもあるし、ケージの中が落ち着く場所なのだと犬に覚えてもらうことの大切さも、ネットやSNSには散見された。
でもどうしたらいいんだ……と私まで泣きそうになった。
さらに調べると、天罰式という情報が出てきた。それはケージやクレートを布か何かで覆い、外で大きな音を出して「鳴いたり悪いことをすると天罰が降る」というイメージを植え付けさせる、すなわち恐怖を与えることで効果を発揮する躾の一つらしかった。
……もういいや、と諦めた。
全部ネットで調べてるだけじゃん、と馬鹿馬鹿しく思ったのだ。
トイレに敷いたペットシーツを一枚剥がし、イッヌ様用のベッドと共に寝室に持っていった。それからリビングに戻ってイッヌ様を抱き上げて一緒に寝室に向かう。
鳴き声が止んだ。
声がない夜は一週間ぶりだった。
ベッドの下にイッヌ様用のベッドを置いてみる。
さて、どうくるかしら?
イッヌ様はてちてちとベッドの下まで歩いてきて、かりかりと縁を引っ掻き始めた。
「くる?一緒に寝る?」と尋ねた。もちろんイッヌ様は意味がわかっていないだろう。でも私の頭の横、枕の上に乗せると、急に安心したようにすやすや寝始めた。その時期は寒かったので、顔の湯たんぽにさせてもらった。私もその頃全然寝れておらず、一緒に深く深くしっかりと眠った。
そしてイッヌ様は、いま横で寝ている。
優雅ないびきをたてて、へそ天をしている。
我が家に来るとは思わなかったなぁ、と改めてその顔を見て思う。覚悟をしていなかったわけでは全くなくて、ただそんな幸せな巡り合わせが、一緒に暮らすことのできる機会がおとずれるだなんて、夢みたいだった。来てくれて本当にありがとうイッヌ様。私は社会的信用も乏しい弱い生き物ですが、あなたのためになら全力でえろ屋をやりますよ。ってか、えろ屋をやる甲斐があるってもんですよ。ドッグフードだけでは飽きますから、野菜も茹でたりしましょう。鳥の頭の缶詰も買いましたよ。
散歩も1日2回、これは保護犬団体と結んだ里親との約束のひとつですが、そんなことは約束しなくとも、ずっと家にいるのはさぞ退屈でしょう。そのたくましい筋肉をふんだんに使いたいでしょう。外に行きたい、その気持ちもめちゃくちゃよくわかります。マジで行きましょう、2回でも3回でもいくらでも!
それにしてもおもちゃはすぐに壊してしまいますね。クマのぬいぐるみから綿が出ているのはちょっとグロテスクにみえるときもあるので、定期的に新しいおもちゃを買いましょう。誤飲したらどうしようといつも慌てて取り上げていますが、それもそうで、イッヌ様には長生きしていただかないと困ります。五百円くらいで買ったおもちゃが案外長持ちしててビビっております。値段ではないですね。
イッヌ様、そして明日はトリミングですね。肛門腺絞りと爪切りと耳掃除とシャンプー、そして検診までありますよ。かなり忙しいです。ハードスケジュールとなりますが、身体を労わるための肉を用意しております。
「ちょっと太ったかな?」と先生に言われてしまったので減量中でしたが、イッヌ様だけがダイエットというのも忍びないので、私も合わせて減量しております。お気づきではないかと思いますが。やはり暫くの間、お肉はスペシャルな機会だけにとっておきましょう。あ、今日はもちろん肉をお渡しします。どうか機嫌を悪くしないでください。
ところで、最近のイッヌ様は17キロに達した。
抱き抱えるのも一苦労だ。
米を持ち帰るのが、こんなにも軽く感じてしまう日がくるとは。
17キロの重量を一本の足に全て乗せた状態で、最近、私の胸を踏む。
なんてバイオレンスな、おみ足……。
さらに平たくなった、私の胸……。
私の体の変化。特に胸において。
これは年のせいではなく、垂れたのでもなく、イッヌ様の戯れによるものです。
つまり、地ならしされているのです。
さすが、女王様……お見事。
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