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北海道博物館に行った

札幌にある北海道博物館に行ってきました。閉館間際だったのでサッとしか見れませんでしたが、ポケット学芸員というアプリで見返しながらゆっくり振り返りたいと思います。

人類繁栄前

私はナウマンゾウとマンモスゾウはほとんど違いがないと思っていたのですが、実は適した気候が違うそうです。ナウマンゾウは温暖な気候が適していて、本州から北海道にやってきたそうです。逆にマンモスは寒冷な気候が適していて、ユーラシア大陸や樺太から北海道にやってきたそうです。確かに化石見ると大きさが全然違いますね。緯度が高い方が体が大きくなる(ベルクマンの法則)のでマンモスの方が大きいですね。
そんな異なる気候の元で生きていた2種のゾウですが、北海道で見つかった化石によると同時期に北海道に生息したそうです。ホッキョクグマとツキノワグマが同時期に同じ場所に生息してた感じかな?不思議ですね。

縄文時代以降

本州と同じように縄文時代を過ごしたあと、北海道では弥生文化ではなく続縄文文化が栄えたそうで、稲作も行われなかったらしいです。今では日本有数のお米の産地なのでこれは意外ですね。
その後、北海道は大陸との交流を通じて、オホーツク文化というものが展開されていきます。クジラやアザラシを狩る漁労が行われ犬や豚を飼い、クマを神聖視していたそうです。その後、本州から鉄器が伝わり、雑穀の栽培を行う擦文文化が広まりました。オホーツク文化は大陸との関わりが強く、擦文文化は本州との繋がりが深かったようで、北海道は北と南の両方と交易していたそうです。

アイヌ文化

擦文文化以降の13~19世紀までの間の蝦夷での文化をアイヌ文化と呼ぶそうです。擦文文化からアイヌ文化への切り替わりとして、竪穴式住居から平地住居への変化やチャシの築造、鉄製品の大量使用や、クマを送る儀式などが挙げられます。
大陸と本州に挟まれ、さらに船により中国から陶磁器や銅銭が持ち込まれたりと様々な影響を受けながら、蝦夷では独自の文化が発展していきました。蝦夷の人が樺太に進出したり、逆に本州から蝦夷の地に和人がやってきたりしました。15世紀後半には武田信玄が蝦夷に城館を築きました。そしてその子孫となる松前藩がアイヌ民族と和人との交易を支配するようになり、アイヌ民族に不利な条件を押し付けるようになりました。
さらに、和人が砂金採りのために蝦夷にやってくるようになり、蝦夷に7箇所の採掘場が開かれました。その結果川の流れを変えられたり川を汚されたりして、サケ漁ができなくなり、アイヌ民族の生活が脅かされることになりました。

シャクシャインの戦い

アイヌ民族の長であったシャクシャインはアイヌ民族を率いて松前藩に戦いをしかけました。松前藩のやり方に不満を持っていたアイヌ民族たちは、シャクシャインに賛同し戦いに参加しました。シャクシャインは和人を300人も殺したそうです。アイヌ民族はトリカブトの毒を塗った弓矢や火縄銃を使って戦ったそうです。しかし武力差により松前藩に勝つことは出来ず、最後は騙し討ちに会いシャクシャインは殺されてしまいます。
このあともアイヌ民族は和人に支配され不満を抱えながらも抑圧されたまま過ごすことになります。1800年頃にはロシア船が蝦夷にやってくるようになり、江戸幕府は蝦夷を直接支配することを決めます。

江戸幕府による支配

ロシアが蝦夷や千島列島に進出して来るようになり、江戸幕府は松前藩から蝦夷を取り上げ直接治めるようになります。また、択捉島ではアイヌ民族の和風化政策が行われました。日本としては鎖国が終わり、外国との貿易港として函館が開港し、箱館奉行所(五稜郭)が置かれました。(明治の初めには旧幕府軍が新政府軍と対立し箱館戦争が起こりました。)
明治新政府は蝦夷を北海道という呼び方に変え、北海道を日本の領地として開拓を進めました。九州や本州から多くの和人が北海道に移り住み、アイヌ民族はそれに追いやられることになりました。それまでの生活を「野蛮」であるとして禁止されたり、サケ漁や鹿猟を禁止されたり、無理やり立ち退きさせられたりしました。また、政府は和風化政策を進め、アイヌ民族に対して和人とおなじ髪型や姓名を持たせるようにさせました。
政府は外国の技術や生活様式を取り入れて、本州とは異なる気候の地を開拓していきました。アイヌ民族には和人と異なる旧土人学校が開かれ、授業はアイヌ語ではなく日本語で行われたものの内容は簡易なもので不満が高まりました。アイヌ民族の方々は日本語で不満を叫び、差別問題を解消するよう呼びかける運動を起こし続け、今のようなアイヌ文化を後世に伝える活動に繋がっています。

農業大国へ

政府は北海道で畑作を中心とした農業を進めていくために、西洋の技術を取り入れ、農学校を設置しました。品種改良や技術改良により畑作、稲作、酪農の基礎が築かれ、北海道は名実ともに農業の王国へと成長しました。

現在のアイヌ民族

現在もアイヌ民族の方は日本各地にいらして、数万人からそれ以上と言われているそうです。アイヌ語を喋れる人がいなくなる!ってニュースを見た気がしたのでもっと少ないかと思っていたのですが、現在でも普通に暮らしているそうです。お恥ずかしながら、山奥で原始的な生活をしているのかと思っていたのですが、私たちと同じように暮らしているそうです。就職で北海道を離れて東京や大阪、さらには外国に住むアイヌ民族の方もいるそうです。

最後に

北海道の歴史について知ることが出来ました。今ではあたり前のように日本の一部として認識していますが、日本として開拓されたのはほんの150年程のことで、しかも先住民族であるアイヌ民族の方々をないがしろにした強引なものだったのだと知ることが出来ました。先住民族の美しい文化を絶やすことなく後世にも伝えていって欲しいです。こうやって知ることで少しでも貢献出来たらと思います。
札幌に住んでみて、本当に碁盤の目のように綺麗に真っ直ぐな道が多くて感動しました。札幌以外でも真っ直ぐな道が多くて、計画的に道や街が作られたことを感じました。
北海道の地名に、本州と同じ地名を見かけることがあります。広島とか香川とか栃木とか。本州から和人が移住してきた時に、地名を持ってきたのかななんて思いました。
アイヌ文化の内容については、ウポポイに行った際の記事でまとめたいと思います。

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