見出し画像

米国の分断工作にのせられる韓国と、堪える日本

令和6年能登半島地震で、日本の気象庁が発表した津波警報の範囲に竹島が含まれていたことについて
何やら韓国外務省が日本側に『抗議』したそうです。
『竹島が日本領土であるかのように気象予報の地域に加えられていた』と、ご不満だったようです(全国紙記者)
竹島に関して韓国は「自国の領土」と主張し、
日本との間に領土問題はないなど言っています。

そもそも竹島問題を『つくった』のはアメリカです。
当時の李承晩大統領のアドバイザーとして李承晩を傍で操っていたのは、米国CIAの人間です。
側近がCIAだった事実は『東亜日報』
(2014年4月14日)にも記載されています。
そうして李承晩に反日政策を強行させ、
李承晩ラインを引かせました


そもそも、当時の韓国軍の統制権は、米軍にありました。
その韓国軍が、日本の漁民を殺害したり、襲って大怪我をさせ捕らえた、全ては米軍の統制下で、米国主導で行った事です。

↑日本の漁民を襲ったのも、
↓韓国軍に漁民を狙って発砲させたのも、指揮したのは米軍です。

勿論国際法違反です。
違法行為によって略奪された領土の所有権は、
日本にあります。

米国は、竹島を韓国に奪わせた時、
日本を占領していたGHQは、竹島に米軍を待機させていた。

その後、アメリカは
韓国に資金を提供し、竹島の海底資源をセッセと盗らせました。

┃歴史を通じて、日本が韓国に注いだ愛情

このような韓国に対し歴史を振り返ってみますと、
併合をして欲しいとの【韓国側からの要求】に応じ
我が国は韓国を併合した。その時期に日本は
母親のように面倒を見ました。
この史実は調べれば解ります

全ての韓国の子供達にハングルを教えたのは、日本

他にも…日本は韓国に対し、
どのように尽くしてきたか、一つ例を挙げます。

┃日本は朝鮮戦争で、韓国のために命を捨てて戦い、韓国を守った。

(インターネットから引用)
http://kaizublog.seesaa.net/article/424140879.html
 朝鮮水域における本格的掃海は、未だ我が国が占領下にあった時期のことであり、
日本としては平和条約締結の前で、国際的にも微妙な立場にあったのでこの掃海は秘密裏に行われた。
後に事実が明るみに出ると、当時の国会において、憲法上の兼ね合いから国会承認もなしに掃海艇を派遣していた問題となった。

 日本は掃海艦艇33隻を派遣し、29個の機雷を処分しました。
朝鮮戦争に伴う国連軍への協力として実施した次の掃海があります。

  ・朝鮮水域における本格的掃海    昭和25年10月10日~昭和25年12月6日
  ・朝鮮水域における試航船掃海    昭和25年11月18日~昭和27年6月30日
  ・東京湾及び佐世保港外の日施掃海 昭和25年 7月16日~昭和28年9月15日

  大久保は、1978年(昭和53年)、 朝鮮戦争に参加した機雷掃海隊のことを思い、
触雷し犠牲となって亡くなった若き掃海隊員のことを思い、歴史に事実を残さなければと、
1978年(昭和53年)9月、当時のことを綴った『海鳴りの日々 ― かくされた戦後史の断層』を海洋問題研究会より出版。

国内外に大反響を起し、NHKテレビは『日本特別掃海隊朝鮮戦争秘央』として特集を組んで数回放映した。

 国会議員として要職につくなどの他、1987年(昭和62年)4月、日本伝統俳句協会の創立に尽力、副会長にも就任の経歴があった。
勲一等瑞宝章授与の際に、
「この栄光は私一人のものではない」と機雷掃海隊のことを思い、
「春惜しむ 慶びごとに 召されても」の句を詠み、手記を発表したのだった。
━―━―━引用おわり━―━―━
この、日本が韓国を、命を捨てて守ろうとした歴史は
アメリカの分断工作にそわない為、歴史から消し去られています。
我が国の姿は放蕩息子(韓国)が目覚めて帰ってくるのを待ちわびる親の姿と重なります。