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インドを独立させた、日本精神

(ご参考「世界から恐れられた七人の日本人」丸谷元人著
封印された大戦の偉業と日本の復活 上巻 65頁~より)

以前、藤原機関(F機関)について少し触れました。

この藤原岩市氏(F機関)についてもう少し書いてみます。
F 機関は大東亜戦争開戦前に、イギリスとの開戦を想定し、
当時イギリスの植民地であったインド独立の支援や、
イギリスと闘うインドを支援する工作を行いました。
独⽴運動をやろうとしているインド人の⾰命家や独⽴の志⼠たちに会い、感銘を受け、
「この⼈たちをイギリスやヨーロッパなど白人の搾取、奴隷状態にしてはいかん」
と、男気に燃えました。
当初イギリス軍はインド⼈をイギリス軍の⼀部として⽇本軍と戦わせていました。
その約5 万⼈のインド兵が投降しました。
藤原少佐はそのインド人らを集めて、インド国⺠軍をつくり
そして彼らに対し訴えました。
「我々と⼀緒に戦おう!
何とかしてイギリスの植⺠地から、圧政から脱するんだ。
立ち上がろう!」
と励ましたのです。
藤原少佐は万単位のインド人捕虜達を勇気づけ立ち上がらせました。
インドの人たちは
「私はインド国⺠軍に入るぜ。イギリスと戦うぞ。日本と⼀緒に戦うぞ」
と、藤原氏が造ったインド国民軍に入ったのです。

当初、藤原少佐は上官から命令を受けた時自宅にメンバーを呼んでこう言ったそうです。
敵味⽅さえ超越した広⼤な陛下の御仁慈を拝察し、
これを戦地の住⺠と敵、特に捕虜に⾝をもって伝えることだ。
そして敵にも、住⺠にも⼤御⼼に感銘させ、⽇本軍と協⼒して硝煙の中に新しい友情と平和の基礎とを打ち⽴てねばならない。
われわれはこれをさらに敵中に広めて、味⽅を敵の中に得るまでに⾄らねばならぬ
⽇本の戦いは住⺠と捕虜を真に⾃由にし、幸福にし、また⺠族の念願を達成させる正義の戦いであることを感得させ、
彼らの共鳴を得るものではなくてはならぬ」
「なおこの仕事に携わる者は、諸⺠族の独⽴運動以上にその運動に情熱と信念をもたねばならぬ。
そしてお互いは最も謙虚でつつましやかでなくてはならぬ。⼤⾔壮語したり、いたずらに志⼠を気取ったり、壮⼠然としたりすることを厳として慎まねばならぬ。
そんな⼈物は⼤事を成し遂げ得るものではない。
われわれはあくまで縁の下の⼒持で⽢んずべきだ。
われわれは武器を持って戦う代わりに、⾼い道義を持って戦うのである」
「われわれに⼤切なものは、⼒ではなくて信念と⾄誠と情熱と仁愛である」
白人や中国人が行う諜報戦のように⼩⼿先の謀略などではなく、本当に誠の⼼のみがあるというのです。
これが今⽇のインドの独⽴につながっているとのことです。
我が国の謀略機関は、中野学校も「謀略は誠なり」と⾔いました。
⼩⼿先のことではできません。
アメリカや中国がいろいろな国で⼯作活動をしても、
そこで恨みしか残さない、戦いの⽕種しか残さないというのは、そこに誠の⼼がないからでしょう。

この精神で藤原氏が造ったインド国民軍が、
今日のインド軍の先駆けとなりました。
戦後イギリスの研究家から、
「何故、この藤原少佐がここまでうまくインド人をまとめてできたのか、分からない」
「あなたはどうやってやったんだ?」
と戦後何度も聞かれたそうです。
藤原少佐が言われたことは、
「(白人のような)謀略的な、利得的な、短期的な⼯作というものは⻑続きしない。
⼩⼿先の⼯作なんて⻑続きしない。
⾦で釣ったり、⼥や酒で丸め込むというのは、相⼿に決していい感情を与えないのだ。

そこに誠の⼼があって初めて機能するのだ」
これが、我が国の工作機関でした。

『F機関』のリーダー 藤原岩市少佐

●グラバイ・デザイ(インド弁護士会会長)
インドは程なく独立する。
その独立の契機を与えてくれたのは日本である。
インドの独立は日本のおかげで30年早まった。
この恩は忘れてはならない。
これはインドだけではない。
インドネシア、ベトナムをはじめ東亜民族はみな同じである。
●チャンドラ・ボース(デリーインド国民軍裁判主席弁護人)
日本軍の勝利はアジアのインド人に感銘を与え、
自国獲得の戦いに参加することを可能にした。

今、我が国が真に復活するには、
知情意の三要素が必要です。
言い換えますと『真実』『誠実』『結実』
先ずは、真実を軸に自己確立しなければ…!