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やっぱりすごいよ!日本人~311の被災者~その1

(再投稿)
●9歳の少年『ベトナム中を涙させた少年』より引用
東日本大震災直後、福島県に派遣された一人の警察官がいた。
彼は在日ベトナム人の両親を持ち、
日本に生まれ、人のために働きたいと帰化して警察官になった。
その彼が派遣された場所は、福島第一原発から25km離れたある被災地。
最も過酷な状況に於ける日本人の人情と強固な意志に関する
感動的な物語を話した。
死者が余りにも多い・・・
初日に警察官が黙祷し
余りにも酷い惨状に涙したが、泣く時間もなかった。
治安確保の為に福島に派遣されたものの治安自体はかなり安定している。
地域住民は保安チームを結成し互いに助け合っている。
被害者と向き合った初日こそ涙を流したものの、
余りに酷い惨状に泣くことさえ忘れ
ただ呆然と仕事をこなす毎日となった。

忘れもしない3月16日の夜。
被災者に食料を配る手伝いのため彼は小学校に派遣された。
人々の長い列の中で9歳ぐらいの男の子を見かけた。
寒い夜だった。
非常に寒い気温の中で少年が、食料分配の列の
一番最後にいた。
『少年の番迄配る食料もない』
と心配して近寄って話を聞いた。
少年は警察官の彼にポツリポツリ話を始めた。
体育の時間に地震と津波が来たと言う。
近くで仕事をしていた父が学校に駆けつけようとしてくれた。
しかし、少年の口からは想像を絶する悲しい出来事が語られた。
「学校の3階の窓から父が車ごと津波に呑み込まれるのを見た。
海岸に近い自宅にいた母や妹、弟も助かっていないと思う」
と話したのだ。
家族の話をする少年は、声を震わせたが急いで顔を振り、涙を拭いた。
悔しさと心細さと寒さで・・・
彼は自分の着ていた警察コートを脱いで少年の体にそっと掛けた。
そして持ってきていた食料パックを男の子に手渡した。
遠慮なく食べてくれるだろうと思っていた彼が目にしたものは、受け取った食料パックを配給用の箱に置きに行った少年の姿だった。
唖然とした彼の眼差しを見つめ返して少年はこう言った。
「ほかの多くの人が僕よりもっとおなかがすいているだろうから・・・」
警察官の彼は少年から顔をそらした。
忘れかけていた熱いものがふと湧き上がってきた。
最も困難な時に9歳の男の子が大人の私に人としての道を教えてくれるとは思いもよらなかった。
まがりなりにも大学卒で博士号をもち、
髪にも白いものが目立つほどに人生を歩んできた自分が
恥ずかしくなった。
9歳の男の子でしかも両親をはじめ家族が行方不明で
心細いだろう一人の少年が、
『忍耐強く』
『困難を耐え』
『他人の為に犠牲になる』
ことが出来る日本人という民族は、偉大な民族だ!

今、日本は最も困難な状況に直面しているが
少年の時から自分を捨てる事が出来る国民性
の故に、必ずやより強く再生するに違いない」

自分の胸の中だけにしまっておくにはあまりにももったいない話だった。
いや、誰かと自分の感動を分かち合いたかった。
彼はベトナムの友人に自分の体験した話を打ち明けた。
ベトナムの友人も感動して祖国の新聞記者に伝えたのだろう。
Vietbao紙の記者は次のような記事をのせて、
少年と日本を称賛した。
「彼がベトナムの友人に伝えた日本人の
人情と強固な意志を象徴する小さな男の子の話に、
我々ベトナム人は涙を流さずにはいられなかった。」
「我が国にはこんな子がいるだろうか」
この記事が大変な反響を呼び、決して裕福とはいえないが、
ベトナム国民からの義援金が殺到したという。
悲劇と苦難のもとでも失われない
けなげな日本人の美徳と真の強さを、
少年の小さな行為から教えられました。
ほんとうに、ありがとう。