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拾ったはいいけれど

出かける時、マンションの自動ドアの前に敷かれたマットの上に、二つ折りの小さなレシートが落ちているのが目に入った。そのままスッと開いたドアから外に出ようとして、一瞬迷う。「出口のど真ん中にあるこの紙屑を拾わずに跨いで出かけていいんだろうか? いや、よくない」
…で、手袋をした左手で拾い、そのまま手の中に丸め込んだ。

残念ながら私は、いつでもどこでも道端のゴミを拾える善人ではない。ただ、妙に目についてしまった時は、自分の精神衛生のために拾うことにしている。特に、自宅マンションの周囲とか、集合ポストの前とか、エレベーターの中や外廊下とかね。突発的に拾っても、すぐ家に持ち帰って捨てられるなら問題ない。…が、出かける時には困る。もちろんロビーにゴミ箱はないし、部屋まで戻るのは時間が惜しい。

仕方なく、左手のレシートをどこかで手放すミッションを担ったまま駅へ向かう。道々、つい期待をしてみたところで、どのコンビニの前にもゴミ箱はない。当然駅にもない、ホームにもない。手の中で小さく丸まっているとはいえゴミの存在感は大きい。いよいよ邪魔になってくる。…といってカバンには入れたくないしコートのポケットもいやだ。もちろん道端に放れない。

電車を乗る時になって、仕方なくパンツの後ろポケットに突っ込んだ。パンツなら今日洗うし、後ろポケットは使わないから、まあ、いいだろうというところ。

ゴミと共に歩いたその日は、ゴミにばかり目が行った。(拾わないけど)そして、思うほど多くは落ちてないんだなと感じた。もちろん、あるにはあるんだけど、昔はもっともっとゴミが落ちていたように思う。特に吸い殻。

車の窓から吸い殻を捨てる人だっていたし、ひどい時は、信号で停車した車のドアが開いて、バサッと吸い殻入れの中身が路上に撒かれた。電車の網棚には必ず雑誌や新聞が放置されていたし、公園のゴミ箱には膨らんだスーパーの袋に入ったゴミが積まれていた。空き缶も今より多く転がっていただろう。

いろいろな要素が重なって、それらのゴミの出る機会が減ったということもあるだろうけど、街にゴミ箱がない今の方が、いくらかきれいに保たれるというのはちょっと皮肉な話だ。

……そういえば昔、まだスマホもTwitterもなく、携帯メールが始まったばかりの頃、空き缶を放った人に腹を立てて、「聞いて聞いて!」とメールをくれた人がいたなぁ……そういうやり場のない感情の共有がリアルタイムにできるということに感動したものだったけれど、今ではそんなツールも増え、文字になった感情は相手構わずそこらじゅうを飛んでいる。

と、話はずれたけど、ゴミ箱が無ければ、空き缶を放り投げて外したまま立ち去る人も、見ないで済むのだなぁ…。

もちろん、ゴミを放る人がいなくなったわけじゃないし、食べ歩きした後に捨てたんであろうゴミが、必ず同じ場所に落ちていたりして、くぬやろ! こんなことをするやつの顔が見たい,いや、見たくない! とか思ったりしてるけど。

誰の、どこのどんなレシートかも分からない紙屑は、仕事先に着いてやっとゴミ箱に放出できた。捨てられたというよりは、誰かの元からこぼれ落ちただけだったんであろうレシートくん、長旅ご苦労さまでした。