見出し画像

ベンチで寝ていた、家のダイニングの。

「このURLからすぐに新しい記事を書き始められますよ」というnoteの新しい機能から書いている。トップページから入ると読むだけで時間が経ってしまったり、「べつに書かなくてもいいか」と書くのを止めてしまいがちなので、いきなり白紙が開くのはありがたい。

 やっとGWが終わった。

 と、言いたくなるのは主婦だろう。GWでも家事はいつも通りな上に、自分ひとりの時間が全くなくなる。もちろん楽しいことだってあるけれども、私には「連休」という気がしない。

 そしてすっきり平常に戻った今日、月曜日。夫も娘も在宅勤務なのでそもそも家には居るのだが、仕事中はそれぞれの部屋にいるから、廊下に出て声さえ聞かなければ気配もない。リビングは私と愛犬だけのパラダイス。しかも今日はオフ。とりあえず昼まではの〜んびり「グッド・ワイフ」の続きを観ようかと思っていた。

 ……で、結局何をしたかというと、寝ていた。ダイニングで新聞を眺めているうちに眠くなり、テーブルに突っ伏して寝たのち、ベンチ型の硬い椅子の上に丸まって(身長153センチ)、3時間も寝ていた。そんなに寝たかったのか、私。

 そういうときに見る夢は、夜にちゃんと寝るときに見るよりもハチャメチャなことが多い。今回はなぜだか好きでも嫌いでもない竹内涼真や池松壮亮が登場する2週間のシンガポール滞在だった。その最終日に、帰ったらこの話を誰かにするだろうか、書くだろうか、いや、しないな、などと考えるところまでがセットだった。

 たった4年だが、シンガポールには夫の仕事の関係で住んでいたので愛着が強く夢にもよく見る。でも、今の職場の人や新しく知り合った人の誰にも当時のことは話したことがない。だから夢の中でも、「なんでシンガポール?」と聞かれるのが面倒だなーと思っていた。どうしてそれくらいのことが面倒なのか我ながら不思議だが、隠すつもりはないけど話したいとは思わない、ということは多い。

 ずっと専業主婦仲間で、レディースデイに映画を観に行ったり、電話がかかってくれば長く話し込んだりと親しくしていた数少ない友人のひとりにも、始めた習い事については何年も話していなかった。いつも聞き役でいることがほとんどだったし、自分から「今これやっているのよ」というタイミングもなかったからに過ぎないのだが、なにかの話から、今は趣味から派生したこんな仕事をしていて……と言ったらびっくりされた。「そうだったの?!」という言葉もなかったくらい唖然としていた。趣味のことさえ話していなかったのに、仕事になってるってなによ、というところだろう。(その後連絡が来なくなったのがそのせいかコロナのせいなのかは不明)

 私としては「ただ話さなかった」だけなのだが、まあ、多いね、「話さないこと」 むかし母にも「あなたはくだらないことにはおしゃべりで肝心なことを話さない」と言われていた。

 話さない代わりに書くのかといえば、そうでもない。話したいことなら話すし、話せないことは書くこともできない。「話さなくても(知ってもらわなくても)いいや」は、「書かなくってもいいや」になる。

 そういえばそういえば、高校生の時にデイトで帰りが遅くなり、母から、誰とどういうお付き合いをしていてどうして遅くなったのかの説明を求められ、夜も遅いから手紙に書いておくと言ったものの書けなくてそのままうやむやにして寝たことがあった。起きて待っていたらしい母にはずいぶんガッカリされた(怒られた)けれど、結局話さなかった。話す必要を感じていなかった。

「いいじゃん別に、話さなくても」と思うのだ。(その後、折々になんとなくは話したけれど)

 それを発動すると、ここにも書くことが何もなくなってしまう。5週連続投稿のバッジをもらって10週連続を目指していたはずなのに、一週飛んでしまった。

---

 というところで投稿したら、「3ヶ月連続投稿おめでとう」とnoteさんに言われた。そんな大まかなことでも褒めてくれるのね。ありがたや。

Screenshot_2021-05-10 note ――つくる、つながる、とどける。