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MV再生に関して川島の中にあるアンビバレントな感情 毎日note #35 フリーな火曜日 2024年6月4日付

6月5日、櫻坂46の9thシングル「自業自得」のストリーミング先行配信が開始される。
先日のnoteでも書いたとおり、MVよりも前に先行配信がなされるのは、おそらく私が記憶する限り初めてである。
ラジオでの銀河系初解禁はかつての定番であったが、現在はMV先行が主流となった。

どういう形であれ、Buddies界隈は盛り上がることは間違いないのだが、昨年のAAA以降、ファンダム同士での戦いに「勝つ」ということを覚えてしまってからは、相手が強ければ強いほど燃えるという、まるで川島という人間を体現したような状況が生まれていることがとてつもなく面白い笑




私は、幼少期から極度の負けず嫌いであった。

もはや幼少期のエピソードなんてお恥ずかしい限りにはなったのだけれど、実は根っこの部分では今でも変わっていない。やはり負けるのは身を斬られるより辛い。

人生は勝負であり、そして勝ちたい。


ところが、年齢を重ねてくると「勝負」の意味合いが少し変わってきた。
いや、見方によっては大きく変わったと言えるか。

いくら勝つといっても、勝てば官軍ではない。勝てれば何でもいい、というわけではない。幼少期はそれでも何でもとにかく勝てればいいわけだから、そこが違うと言えば違う。


勝負というと、とかく相手がいるもの、と思いがちだ。実際世の中で出回っている勝負の多くはそうだろう。でも、相手というか、他人が存在しての勝負に勝った負けたと一喜一憂するのは、二流、いや三流だ。


誰と勝負するか。

相手は、己の心。


己との戦いに勝ちたい、正確に言うと「克ちたい」のである。

己に勝てない人間が、他人に勝つなどあり得ようか。



ときに「川島さんはなぜそこまで櫻坂が欅坂を超えることにこだわるのですか」とDMで質問されることがある。
おそらくその方々の趣旨から言えば、欅坂は欅坂、櫻坂は櫻坂でいいじゃないかと。なぜ超えなければならないのかがわからない、ということなのだろう。

表向きの理由は、このnoteでは何度となく登場した、改名後の名前が発表されたときのクレジットが「欅坂46を、超えろ。」だったから。


要は、自分たちで過去の自分たちを超えろと、このとき示しているのだ。
何をもって超えるとするのか、それは確かにわからない。
でも、これで明らかなのだが、櫻坂が戦うべき相手は、乃木坂でも日向坂でもなく、ましてや他のアイドルグループでもない。

過去の自分たちなのである。

欅坂を超えることばかりがクローズアップされがちだけど、実は櫻坂に転生した後の自分たちにも克たないといけない。



かつては、同日に有力なアーティストやグループが同じように新曲を発売する日には、敢えて被せて来なかった、という歴史があった。
もちろんこれも、敢えて避けていると公表されているわけではなく、結果からの推論の域は出ないのだけれど、確かにあまり聞いたことがない。

そんな日が、被ってしまった。


週刊誌のWEB版なんてろくな記事が載ってない可能性の方が高いけど、まぁこれは趣旨でもあるんで乗っけておこう。

今までして来なかった(と思われる)他グループとの発売日被りを、急に仕掛けてきた櫻坂運営の意図はどこにあるのだろう。


これはいろんな要素があるとは思うけれど、もしかすると「Buddiesというファンダムの影響力を運営が高く評価した」というのもあるかもしれない。
だから敢えて強敵と発売日を被らせて、どこまで勝負できるか試す、という可能性も大いにあるとみている。


正直、過去作のMV視聴回数は、事前に期待したほど伸びていなかったのが現状だった。盛り上がり方とMV視聴の数字が合わないというか。

確実にファンの裾野は広がっているのに、それがこと視聴回数、あるいはCDの売上枚数という数字になると結果になっていかない。私みたいな素人には謎で仕方なかった。


でも、もしかしたら、次こそは運営の勝算があるのかもしれない。



とはいえ、だ。


川島は確かに勝負にはこだわる負けず嫌い。
私自身はもちろん、私に関わるすべての人が負けるのもイヤ。見たくない。
それほどまでに勝負、勝ち負けがすべてだと思っている人間だった。

…だった?


そう、今は、勝ち負けよりも、もっと大切なものが見つかった気がしているのだ。
それが冒頭に述べたとおり、相手は他人ではなく、己の心に克つ、ということにつながるのである。



それと、もう一つ。

推し事の基本中の基本を忘れてはいけないと思うのだ。


それは「楽しむ」ということ。

正々堂々と戦うためならいざ知らず、再生回数を稼ぐために半ば義務のような回し方をするというところに、楽しいという感情は果たしてあるのだろうか。

メンバーは、どう思うか。複雑だ。

もちろんMVを回してほしいのが本音には違いない。ただ、「観たい」から回したのではなく、「勝ちたい」から回した、というのは、嬉しいのだろうか。まぁ嬉しくないわけはないのだろうが、その理由が理由だけに、手放しで喜べるかどうかは実に微妙だ。

自分がMVを作る側であるならば、それが何度も観たいと思えるものを作りたいし、リピートしたいと思ってもらえればそれが最高の喜びであるだろう。でも、「勝つ」ために回すというのは、ただの義務感だ。当然、櫻坂のためにやってくれているわけだから、嬉しくない、ということはない、とは思うものの…

それでも、やっぱり…

うん、どうなんだろう。



だから、というか。
個人的には、今回は「楽しむ」という原点に立ち返った、MV視聴にしたい。

観たいと思えば、観る。

リピートしたいと思えば、する。

自分の心のままに。


私が勝負におけるこだわりを持たずにMVを視聴するので、私から呼びかけるということも当然ない。

自分が勝ちにこだわらないと言っているのに、MV回そう!と呼びかけるのは辻褄が合わない、というものだ。


かといって。

ここがとても重要なのだけど。

MVを回しましょう!という呼びかけをしているBuddiesを否定する気など毛頭ないし、断然スゴい方々ばかりだと思っている。もちろん拡散はしてもいいかとは思っている。


要は、MVを観て楽しむ、ということと、視聴回数を上げて勝つ!ということが、自分の中で並び立たないのである。


とはいえねぇ…

実際、幕が上がって勝負が繰り広げられ、もし及ばずだったとしたときに。

そのとき自分がどんな感情になるかは、想像がつかない。



だって、生来の負けず嫌いだもの。

勝てる要素がこれだけあるのに負けたら、どんな気持ちになるのかな。


…矛盾してますね笑

これがアンビバレントな感情、ということだけど、こんなところで欅坂を持ってくるなとお叱りを受けそう笑

でも、それはやはり、欅坂からの流れの中にある系譜。
そこから生まれる感情でもあるので、関係は大いにある。


理想なのは、9thMVが本当に素晴らしく、多くの人を惹きつける出来であり、何度もリピートしたくなる内容であり、呼びかける必要もないくらい数字が上がっていって1位になる、ということであって。


MVを楽しむ、ということと両立して勝てればそれが一番なんだけどね。


もちろんそんな甘くないのは百も承知。


だから、どちらかをとれ、と言われれば、私は…





楽しむ方を選ぶかな。現時点では。


くれぐれも申し上げておきたいのは、個人的なスタンスでの話。
しかもまだ、どちらに転ぶかすらわからないくらいの。
負けず嫌いが表に出てしまうと、180°違うこと言い出しかねない笑
だから繰り返すけど、MVを回そうと呼びかけている多くの皆様の声を批判する気は毛頭ない。逆に感謝さえしている。

MV解禁前に、いや音源解禁前に、そのことだけはしっかりと明示しておきたかったのである。




櫻坂メンバーが、いや櫻坂に関わるすべての人々が、渾身の力で完成させてくる音源。そして、MV。

渾身の力で、それを楽しむ。

それがBuddiesの礼儀だと思うのだ。




noteの中でも、櫻坂46・日向坂46に特化した内容ですので、特に二つのグループの推し活を経て、皆様に文章で還元できるよう努めてまいります! よろしければサポートをお願い致します。