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拝啓 小林由依様ーあなたに伝えたいこれだけの「ありがとう」と一つの「ごめんなさい」

拝啓 小林由依様

卒業生が自ら卒業するというブログを書き、その後運営から後追いの発表がある、という文化が根付いてからどのくらいの時間が経過したのでしょうか。

その発表から結構な時間が経った気はしますが、自分の心がまだ、あの日のあのブログが出された時間に置き去りのままのような気がしています。

今まで何度か、卒業する一期生に言葉を綴ったことはありますが、正直ここまで言葉が出て来なかった一期生はいません。
それくらい、あなたという存在は大きかった。
そして今も、何か言葉をかけようとするととりとめもない言葉が次から次へ溢れてきて、結局あなたに言おうとする言葉が自分でもわからなくなっています。そんなこんなで、これだけの時間が経ってしまいました。


欅坂46立ち上げに参加したみなさんのことを一期生と呼ぶのであれば、私は一人一人について、それこそ一冊の小説が書けるくらいの様々な想いがあります。

それはもちろん小林由依さん、あなたに対しても同じです。

というか、もしかしたら、あなたに対しては他のメンバーとは少し違う感情を言語化しないといけないかもしれない。

欅坂のメンバーは私にとっては全員が推しメンでした。箱推し、というのとは少し違う意味合い。全員を応援したいというのが本音中の本音でした。その中でも推しメンというのはいましたが、それは中でも特に、という意味であって、他のメンバーを推さない、ということと同義ではなくて。

そういう意味では、小林由依さん。
あなたの存在はずっと私の目に入ってはいました。
そしてこの人の魅力は一体どこから来るんだろうと、ずっと考えていました。もちろん、そのヒントはあなたの一挙手一投足にありました。

多くを語ろうとはしないものの、常に熱いものは内に秘めていて、それを爆発させる機会を天性の勘でわかっている。意識してのことか無意識なのかは私には分かりませんが、的確なところでしっかりあなたは存在感を発揮してきた。さらに言えば、そのことがグループを窮地から救ったことも何度もありました。

爆発、という見た目にはっきりわかる部分。それが効果的に成し遂げられるためには、間違いなくその裏の努力が必要です。これは想像ですが、おそらく見えないところで凄まじい努力をされている。そしてそのことをおくびにも出さない。

それがはっきり表れているのは、

「小林由依は欅坂加入前、歌もダンスも未経験だった」

という事実です。


小林由依さん。

あなたには感謝したいことがたくさんあります。

2018紅白。「ガラスを割れ!」のセンターを務めてくれたとき。


センター平手友梨奈のケガで、この年末の音楽番組は全てが代理センター。その中で、紅白のセンターを任されたのはあなたでした。
このときもあなたは、多くは語らなかった。
それでも、ずっと小林由依を見てきた人にとっては、その答えがパフォーマンスにあると知っていたからか、語らないあなたを見ても誰も何も言わなかった。

そして、あのパフォーマンス。

本当に感謝しなければならないのは、あの魂のパフォーマンスはもとより、グループとしての苦境の中、真ん中に立つという決断をしてくれたことに対してかもしれないと思ったりします。

改めて、あのときのあなたに、心からの「ありがとう」を。


欅坂46というのは、刺さる人には刺さる、刺さらない人には刺さらないとよく言われます。万人受けするものではない。
それはわかる気がします。
自らが傷ついた経験を持ち、だからこそ同じ傷を持つ人に寄り添える。
刺さらないということは、そんな自らの傷を正面からまだ向き合えずにいる人か、そうでなければ全く今まで傷つかずにここまで来た人か、そのどちらかではないかと思うのです。
でもそれらは、そんなに多数だとは思えない。
それくらい、生きていればいろんなことがある。順風満帆な人生などそうそうあるものではない。

欅坂に合格し、アイドルというのはもちろん大変な職業であって、一般論として存在するアイドルの大変さも経験しながら、欅坂特有の傷、とでも言いましょうか。それももちろんたくさんあったはずで。それは私たちの側から見ても痛いほどよくわかりました。

それでも、あなたは多くを語らなかった。

でも、小林由依さん。
私は、あなたはそれでいいと思った。
表立ってあなたの様子がおかしくなったら、それはもう引き返せないところまで来たというサインなのだと私は途中から思うようになりました。



欅坂が櫻坂に改名したとき、残ってくれてありがとう。


一期生全てに言えることかもしれませんが、その団結があまりに強かったために、正直言えば全員が卒業してもおかしくなかったと私は思っています。少なくとも、あの時点で卒業を考えなかったメンバーは皆無だったのではないかと。

ただ同時に、二期生をそのままにして自分たちがいなくなる、それも違うのではないかと、一期生の立場で思ったのではないかとも考えます。心は間違いなく振り子の如く揺れ、そして残ることを決断してくれた。
私もあのときの正直な感情として、一期生を中心としたグループが欅坂なら、櫻坂が同じことをすると違和感しかないし、改名の意味も薄れる。二期生中心のグループになっていくのは必然でしかなかった。そう思っていました。
それでも、多くの一期生が残ってくれたことには、今でも感謝しかありません。

おそらく、自分の立ち位置、そして役割を悟り切って、その場所にいたんですよね。

それが本当に、感謝でしかない。
そのことによって救われたメンバー、場面、いやグループそのものが救われたと言っても過言ではないかもしれません。



休養したとき、戻ってきてくれてありがとう。


あのとき、正直覚悟しました。
でもその一方で、自分の中のどこかで、もし卒業するのならきっと、休養ではなくそのまま卒業する形をとるのではないか、と。休養ならば戻ってくる。そう思いました。

いや、そう思いたかった、と言った方が正解かもしれない。

あのときもしも、そのままあなたが卒業していたら、そっちの方が比べ物にならないくらいのダメージを負っていたことでしょう。

3ヶ月後。1st YEAR ANNIVERSARY LIVE。
ジャマビで復帰したあなたを観たときに走った衝撃は、今も忘れません。
それはたった3ヶ月だったというのに、何年も会わなかった人に会った感覚であり、同時にとてもいい感じで力の抜けた、自然な動きに磨きがかかったパフォーマンス。それでいて力強さだけは健在で、一体なんだこれは!?と驚愕したこと。
さらにいえば、あのときに実は一つ思っていたことがあって。


そんなあなたの動きを見て、もしかしたら卒業は、近いんじゃないかと。


怖すぎて、誰にも言えなかった。
でも、そうとしか見えなかったんです。欅坂時代から、おそらくしたくてもできなかったことが多い中で、自分のできることをずっと追求してきた姿。休養も、おそらくその一環ではなかったかと思うのです。つまり、自分のやりたいことができた今となっては、グループに思い残すことがなくなったのではないかと。だからこその、自然な力の抜き加減の絶妙さではないかと。

結果として、それは当たりませんでした。決して卒業は近くなかった。
でも、いつその発表があってもいいように、あなたの姿を焼き付けることだけは怠りませんでした。

この頃から、私にとっての小林由依という存在は、儚さの象徴。
いつ消えてもおかしくない存在であって、そんなあなたを一瞬たりとも見逃したくないという思いに駆られ、そこから約2年になろうとしています。

ついに、来てしまった。

でもその分、小林由依を余すところなく見ることができたことに、感謝したいと思います。


レスくれて、ありがとう

2022年12月、Buddies感謝祭DAY2。


そもそも、私を日本武道館に連れてきてくれて、ありがとうからスタートしないといけません。
いろんな意味で櫻坂にとっても聖地の一つであるこの場所に、私は今まで足を踏み入れたことがありませんでした。

DAY2は1階最後列という、他会場なら完全にステージからは見えない角度。
でもあの武道館ならではの角度では、逆にステージから目立つ位置だったようで。
「指差して!」うちわに多くのメンバーが反応してくれました。

その中の一人が、小林由依さん、あなたでした。

ふーちゃんとともに、嬉しそうに指を差す姿、忘れません。



何より、オーディションを受けてくれて、本当にありがとう`

あなたがオーディションを受けなかったら。
私たちはこの世に小林由依という女性が存在していることを知らずに時を刻んでいたわけで。

ありえません。
そんな世界線。

辛いことも、辞めたくなったこともたくさんあったと思いますが、最初に表に出てきてくれたことに最大限の感謝をしたいです。

初めに思い描いていたアイドル生活。
おそらく、欅坂46はそれとは全く違うものになったでしょう。
でもその経験があったからこそ、今の櫻坂46に厚みを与えているのだと…失礼ながら、側から見てて思うのです。欅坂の経験がなければ、ありふれたアイドルグループとさほど違いはなかったのではと。

ただ、本当に

小林由依の名前が櫻坂から消える、ということが、未だもって現実感がありません。
おそらく卒コンの日まで…いや、

あなたが卒業して最初のライブで、あなたのポジションにあなたがいないのを見たとき。
そのときに、波のような寂寞感が襲ってくるのではないかと。

一期生21人が入口だった私です。
一期生の誰がいなくなっても、それは同じなのですが…
時間というのは恐ろしいもので、そのうち、あなたのいない櫻坂に見慣れる日が来るんだろうと思います。
そうでなくては、櫻坂をずっと見ていくことはできない。

でも、慣れたくはない。

そんなジレンマを抱えながら、少しずつ私も前に進んでいくしかないのだと。



小林由依さん。

あと一つ、謝りたいことが。


ずっとあなたのことを「ゆいぽん」と呼んでてごめんなさい。

知ってましたもちろん。
あなたがゆいと呼んでほしいと言ってたこと。

でもどうしても、もう一人ゆいがいると、区別する必要があった。
そしてもう一つ。

「ゆいぽん」は、まさしく小林由依さん、あなたしかいないのです。

私たちにとって、ゆいぽんはこの広い世のどこを探しても、あなたしかいない。
それだけ、大きな名前になった、ということなのです。

そんな唯一無二の呼び名を手放すことはできなくて…ホントごめんなさい。

でも、そんな「ゆいぽん」という呼び名とも、あなたの卒業とともにお別れですね。



他にもたくさんたくさん、感謝したいことがあります。

でも、まぁそんなことを言いつつも、感謝というものを綴れば綴るほど、終わりが見えてくるようで本当はそんな別れの挨拶のようなものをしたいわけではありません。

卒業後は、どの道に進むのでしょうか。

あなたほど多才であれば、どの道に進んでも成功を収めると心から信じられます。
今や一期生は圧倒的にインスタの方に集合している感じではありますが…卒業後はぜひ、一期生の卒業生とともに、少しでもゆったりした時間を過ごしてもらえたら私も嬉しいです。
なにせあの激動のグループのことです。ゆったりした時間などそうなかったと思うので…

そうだ。
もし女優の道に進むのならば。
同じく女優の道を歩いている平手友梨奈さんとの共演、いつか実現してほしいです。

考えてみれば、スタオバで夏鈴ちゃんとのペアダンスが話題になりましたが、それより先に二人で表現する機会があったのは、黒い羊での平手さんとのハグでしたよね。
あのときもたぶん、二人でそんなに会話してどうこうとは決めてなかったのではないでしょうか。
パフォーマンスでのぶつかり合い、そこにしか答えはないという感じの。

あれから数年経って。

二人が相対すれば、そこに何が生まれるのでしょうか。

少なくとも、敵ではない。
かといって、味方同士という言葉も何か違う。

あなたと平手さんにしか出せない空気感が、きっと生まれるのではないかと。私はそんな二人を見てみたいとここ最近よく思うようになりました。




小林由依さん。

お疲れ様を言うにはまだ早いけれど、それにしてもあなたが戦ってきたこの年月はあまりに激動すぎました。
でも、私にとっては、今も初めて冠番組に登場したシーンが忘れられません。


あれから、8年。

素晴らしい女性になってくれて、ありがとう。

私たちと出会ってくれて、ありがとう。

これからもよろしくお願いします。

                                 敬 具


                               2023年12月

                               川島 雅隆







noteの中でも、櫻坂46・日向坂46に特化した内容ですので、特に二つのグループの推し活を経て、皆様に文章で還元できるよう努めてまいります! よろしければサポートをお願い致します。