ひとがイメージする自分になっても、いいじゃない?
50歳を過ぎると、様々な場で年長者になり、何もしていなくても頼られる立場になる。
頼られることはうれしいが、自分にそんな器があるとも思えない。
なんだか気恥ずかしい。
私、何もとりえのないおばちゃんだし。
◆
ある人に信頼されていると感じたが、それをどう受け止めていいのか、戸惑ってしまう場面に出くわした。
そのことを現在受講している講座で先生へ相談したところ、
その場面を再現しながら、
”そのひとは、自分にどうしてほしかったのか、
どんな態度でいてほしかったと思うのか”
と尋ねられた。
そのひとの立場に入ってみると、
”包容力がある私”
”なんでも受け止めてくれる私”
を求めていたことを感じた。
そんな私になることを、自分に許して、
そのように振舞ってみたら、
そのひとが安心して微笑んだ姿が浮かんだ。
◆
ひとが私にもつイメージが、私が思う私より、立派過ぎることがある。
気恥ずかしくて、ついその期待に肩透かしを食らわせてしまいがちだけど、その期待を受け止めるのも、アリかな。
それでそのひとが安心したり、うれしかったりするならば。
期待を逃げずに受け止めたら、自分も成長できるかな。
いつか、中身も本当に「頼りになるひと」になれそうな気がする。
よろしければサポートをお願いします。いただいたサポートは,自由で多様な学びのあり方について勉強する費用に使わせていただきます。