ひとがイメージする自分になっても、いいじゃない?

50歳を過ぎると、様々な場で年長者になり、何もしていなくても頼られる立場になる。

頼られることはうれしいが、自分にそんな器があるとも思えない。
なんだか気恥ずかしい。
私、何もとりえのないおばちゃんだし。



ある人に信頼されていると感じたが、それをどう受け止めていいのか、戸惑ってしまう場面に出くわした。

そのことを現在受講している講座で先生へ相談したところ、

その場面を再現しながら、

”そのひとは、自分にどうしてほしかったのか、
どんな態度でいてほしかったと思うのか”

と尋ねられた。

そのひとの立場に入ってみると、

”包容力がある私”

”なんでも受け止めてくれる私”

を求めていたことを感じた。

そんな私になることを、自分に許して、

そのように振舞ってみたら、

そのひとが安心して微笑んだ姿が浮かんだ。

ひとが私にもつイメージが、私が思う私より、立派過ぎることがある。

気恥ずかしくて、ついその期待に肩透かしを食らわせてしまいがちだけど、その期待を受け止めるのも、アリかな。

それでそのひとが安心したり、うれしかったりするならば。

期待を逃げずに受け止めたら、自分も成長できるかな。

いつか、中身も本当に「頼りになるひと」になれそうな気がする。

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